2013年7月7日日曜日

「歴史を語り継ぐ」ということ

長崎の被爆者として、初めて国連総会で演説し「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ウオー・ノウモア・ヒバクシャ」と訴えた被団協の山口仙二さんが亡くなった。
核廃絶に貫いた生涯だった。

被爆者として、自身が満身創痍の身ながらも、自分が14歳で体験した事実。
それを語り継いで来た。

「体験した歴史を語る人がまた一人・・・」。あと10年もすれば「ヒロシマ・ナガサキ」を語る人はいなくなるだろう。体験を。

その「歴史」は資料館や本、あるいは映像の中にだけ閉じ込められる。

「オキナワ」を語る人も数少なくなった。語れる人も。沖縄の歴史は“記録”としてしか存在しなくなる。

あの戦争を語る人たちもそうだ。それは戦争そのものの実態だけでなく、戦争に至るまでの経緯も含めて。

“記録”の中でしか知り得ない歴史。不確かな記録や記述もある。生き証人がいなくなれば、後世は勝手に歴史認識も変えうる。

今がちょうど、その端境期のような気がする。

「福島の歴史」「福島の事実」「東日本大震災の事実」。60年後、いや70年後、その時を生きる人たちにどういう形で伝えられているのだろう。

残される多くの報道。アーカイブとして保存され引き継がれる映像。相当な数になる。“記録”として残される映画や写真も。

しかし、その中で、大まかな“災害”として残されるものはあっても、生の声で伝える人はいなくなる。

終戦時、ボクは4歳から5歳の間。焼夷弾で焼かれる街から逃げまどい、祖母は大やけどを負い、一生治らぬケロイドを持ち、逃げる途中で多くの“死体”と出会った。触った。

とうもろこし畑に身を隠し、B29からの爆撃から逃れることが出来た。

それらの体験を通して、「戦争とは何か」「どうして戦争が起きるのか」「原爆とは何か」。無性に知りたいと思った。聞いて読んで見て学んだ。

戦争には人間の“欲”と“政治”が大きく関係していることを知った。

後世に残され伝えられる大震災、原発事故の事実。それらは「語り継ぐ」だろう。一つの歴史として。しかし、そこに残される歴史は「数」になった死者のそれぞれ。映像には“死体”は残されない。

一番悲惨で、語り継がれねばならないことは人の口をを以ってしかないのに。

今、福島でも、日常化した“非日常”を送る人たちの、それぞれの暮らし方。それが伝え残され、語りつがれるのだろうか。

この国を覆っている大きな“空気”。原発事故は無かったことにしたいというような“空気”。

被災した今7歳の子供が自分の口で語り続けたとしても、100年先にはその子もいない。

消されないだろうけど、消されたような歴史・・・。

時々テレビで流される「島唄」という曲がある。もちろん戦争を知らない世代の人が作り歌っている曲。THE BOOMというグループの曲。

それが痛切な「反戦歌」であることを聴いている人たちのどれくらいが理解してくれているのだろうか。失恋の歌だと思っていた。そんな若い子も多い。

東日本大震災で体験した一人ひとりの“歴史”。原発事故で辛い体験をしている人たちの一人一人の“歴史”。

それらを丹念にまとめ綴っていくのはメディアの使命なのだが。

残される歴史もあれば消される歴史もある。少なくとも今の“空気”の中では、その歴史認識がどう伝えられ変えられるのか。

そんな「思い」をここに書き連ねていても、“クソの役にも立たない”のだろうけど。

大声で「再稼働反対」を叫ぶ人たちがいるのは知っている。だけど、それには馴染めない。その運動だって、どこか「福島」を自分たちの思想信条に“利用”しているようにしか見えないから。

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