2013年10月12日土曜日

何かを捨てなくてはならない

「新しい物を手に入れるのには、それまでの何かを捨てなくてはならない」。災後、そんな意味のことを言っていた人がいた。
誰かの格言らしい。

原発。それは新しいものだった。そして人間は、これでもかこれでもかと新しいものを手に入れようとした。結果、多くの自然を「捨てる」ことになったのかもしれないが。

なんでもかんでも欲しいものを手に入れる。そんな生活から脱却すべきだという警鐘かもしれないが。

時代の変遷をいうのかもしれない。

一昨年、2年7か月前、多くの人が「変わること」に気付いていた時、あの3・11が時代への警鐘かもしれないと思った時、自分で「捨てるもの」を考えた。

一番好きだったゴルフを「捨てた」。やめた。一番好きなものを捨てないと意味をなさないと思ったからかもしれない。

テレビ中継のゴルフ番組は大体見ている。そこに見られる美しい光景。芝生。芝の上に立った時の高揚感や興奮、そして楽しい時間。

大いなる未練。運動でありストレス解消であり、懐かしい思い出の数々。
それらを捨てて、「新しい」時代を語らねばならないと思った、このクソ自己満足。

3.11後、自分で出来ることを考えた。出来ることをしょうと言った。出来ること、かなりの時間を使うこともあるが、この「ブログ」なるものを書き続けることを決めた。

被災地、その表現は被災地の人たちには使ってほしくない言葉かもしれないということを承知で、被災地に関わること、それから派生する世の中のこと、政治のこと。書き続けていこうと決めてしまった。
多分、3・11後の菅政権の有り様や、福島県知事を見ていて、「ああ、この国は終わった、この県も終わった・・・」。そんな怒りがふつふつと湧いてきたからかも知れない。

ゴルフは「一日仕事」になる。特にコンペだと。一日の大半を費やされる。
「ブログ」を書き続けるためには時間が必要だったから。捨てたというより引き換えにした。時間を。ということもある。

かつて清貧のすすめという言葉が流行り、本も売れていた。清貧なる言葉もいつしか消えた。

「断捨離」という言葉も登場した。それに賛同した人たちは、それを実践していた。その言葉も今は消えた。

富岡町にリベラルヒルズというゴルフ場があった。よく言った。泊りがけでも。
早朝、ホテルの窓を開けると、玄関先の花にスプリンクラーで水がまかれている。爽やかな空気がある。
綺麗で大好きなゴルフ場だった。メンバーには東電の社員や関連会社の社員が多く加入していた。平日でも夜勤あけであろう作業員の人たちがゴルフに興じ、楽しそうに食堂で歓談していた。

富岡とは地続きのリベラルヒルズというゴルフ場もあった。郡山から288号線を通って川内村を抜けて。
そのゴルフ場はもう「無い」。

「無主物」という撒き散らされた放射性物質の帰属を裁判所に判断させたゴルフ場は、小浜城カントリーとかつては言われたゴルフ場だった。

「最近、ゴルフはやってますか」とよく聞かれる。「やってない」と答える。「どうしてですか、あれほど好きだったのに」。返答しづらい。

ゴルフをやらないと決めた自分の“決断”がばかばかしくも思える時がある。プレーをすることを誰も咎めるわけでもないのだし。
「ブログ」は夜書いてもいいのだし。

津波で家を丸ごと流されて人もいる。家族を失った人も大勢いる。その当事者では無い。家を捨て、故郷を捨てざるを得なかった原発からの避難者でも無い。当事者ではない。
当事者にはなりきれない。

だから、自分も何かを捨てないと、その人達のことを語れないと思ったからかもしれない。

秋晴れ。絶好のゴルフ日和だ。だから、こんな愚痴ともぼやきともつかないことを書いているのかもしれない。つまらない“自己満足”だなと思いながら。

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