2013年10月20日日曜日

街ぐるみ読書会

きょうは早めの投稿。「まちぐるみ読書会、まちヨミin 郡山」というイベントに参加するために出かけます。ほとんど一日“拘束”の予定。

この読書会、一冊の本を参加者みんなで読んで、感想を述べ合ったり夢やヴィジョンを語り合うものとか。なんか面白そうな集まりのようで。

課題本は福沢諭吉の「学問のすすめ」、それに各自が一冊ずつ本を持ち寄っていくつかのグループに分かれて話し合いをするという企画らしい。

キャッチコピーは「まちヨミで広がる市民の輪」、そして、「まちヨミで“知”の開拓を!“」と。

補足にはこうある。
「信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではないだろうか」。
教材の斉藤孝訳、「現代語版 学問のすすめ」の抜粋。

以前、「知るという支援」というタイトルで書いたことがある。

知らなきゃ始まらないと。3・11後のさまざまな世相。原発にしても津波にしても、いわゆる被災地の事を知らないと、いや知ることが理解を深めることになり、それが支援につながるというようなことを。

“友人”に作家兼音楽家の鐸木能光という人がいる。“友人”としたのは本人と直接会ったことはないが、ネットを介在してしばしばやりとりし、彼にテレビ出演を依頼したり、彼の著作物を送ってもらったりしているから。

彼の作品に「マリアの父親」というのがある。あの3・11に由来する原発事故を想定していたかのような文学作品。もちろん10年くらい前に書かれたもの。すぐれた文学だと思っている。

彼が先日、フェイスブックに転載していた阪大生へのアンケートがある。教授が学生に聞いたアンケート。

今、日本で稼働している原発は?という問いに、それが「ゼロ」であることを多くの学生が知らない。113人中17人、15%しか知らなかったということ。原発が今も使われているという誤解は、それが無いと電気が足りないという結論に達するとその人は危惧している。

そのためか、今すぐ原発の稼働を停止し、廃炉にするを選択した学生は113人中たったの6人、5%だったと。

福島の農産物に対して、食べと応援、気にしないと答えた人は66%。流通しているのが食品の安全基準とされている100ベクレル以下だということを知っていた学生は113人中10人だったとも。

阪大の学生であっても、原発の現状や、事故にまつわることについては多くが「知らない」。この実情。

それは学生だけではないだろう。大人と言う人でも大方そうではないのかと推察してしまう。

「子供たちを守ろう」と言う親世代のどれくらいが知っているのかとも。知らないがゆえに、デマや風評が流布されるということもある。

「知の歩みが未来を読み解くカギになる」。しばしば塾で話していること。

これから出かける「まちヨミ」で、どんな「知」に向けた話し合いが展開されるのか、ある意味楽しみにして。

小にして学べば壮にして為すことあり、壮にして学べば老にして衰えず、老にして学べば死して朽ちず。

塾の理念。佐藤一斉の言葉を引いた。

若者から逆に学びたいことも数々ある。そういう若者もいる。

そうそう、きょうのイベントは中抜けする。駅前でやっている「あぐり市」に行く予定。郡山産の野菜の市。市、開催されていたら、それにも顔を出し、しこたま野菜を買ってこなくっちゃ。

生憎の雨。開催されるのかどうか。気になる。
大島も避難、捜索中断とか。

地元の農業関係者の作った野菜はほんとうに美味いのだ。

身土不二だ。

都会では味わえなかった野菜の本当の味。日持ちのする芋類は今度の週末に東京から来る弟一家への土産にする。弟の孫もいる。もう何回も送ってはいるが、人間の味覚は子供の頃に作られるという。その子の味覚は研ぎ澄まされてきたそうな。

あらゆることに於いての、さまざまな意味に於いての「知ることのすすめ」。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...