2013年10月21日月曜日

「知」をめぐって

天野祐吉さんが亡くなった。最近の肩書はコラムニスト、以前は広告評論家。
以前の仕事柄、彼とは多少の付き合いがあった。80歳。今のご時世、まだまだ若いかも。なんか、一つの「つっかい棒」を失ったような。

CMは時代を映す文化である。彼の持論だった。広告批評という雑誌の編集長時を含めて、彼の広告論、それの延長にあるテレビ論。やわらかな口調で、やわらかな文体で語られる彼の論評から、いくつも教えられることがあり、「知った」こともはかりしれない。

彼は広告というものを通して時代を語れる唯一の人だったかもしれない。彼はテレビが好きだった。好きだったからこそテレビを、CMを批判した。そして、その目は世相にも行く。「知」の人だった。

朝日新聞に連載されているCM天気図。10月16日付けが“遺稿”となった。病床からの寄稿だと思う。こんなことを書いていた。
「スーパーで売っている野菜なんかに作っている人の顔や名前が出るようになった。いいねえ、あれも」。
これは「生産者と消費者の親近感を生み出そうとするCMの一種だが、それは同時に、アンチグローバリズムのささやかなCMだったりして」と結ぶ。

そんな話から始まって。グローバリズムの動きが進めば進むほど、我が家の食卓にも外国でとれた食べ物が増えてきている。ま、ある程度まではいいことだが、このままでいくと、巨大な企業と政治の圧力で、地球はどんどん文化のデコボコを失い、のっぺらぼうの星になってしまう。
たとえば、地球上の人たちがみんなユニクロを着て、みんなマクドナルドのビッグマックを食べ、みんなトヨタのクルマに乗って走っている絵を、頭の中に描いてみるだけで気持ちが悪い」。痛快な文明批判だ。
そして「エネルギーの大量消費で、大気汚染や異常気象などの環境悪化がどんどん進み、そこにつけこんで“クリーンなエネルギーです”と、この国が輸出に熱心な原発が地球上にあふれるようになったら、そんな地球にあたしゃ住みたくないという人が、結構でてくるんじゃないか」と。

住みたくなくなったのかもしれない。遺言だったのかもしれない。

もう一つ。20日付けの紙面に載った書評欄。1964年に売れた本、”日本“から”ニッポン“へ。という一文。
1964年は言わずとしれた東京オリンピックの年。こう書いている。
「ぼくの実感からいうと、この64年を境にして、東京から“江戸”が消えてしまったような気がする。建築物だけじゃない、江戸の臭いを遺す文化的なものは、人々の歩き方や表情も含めて、どんどん姿を消していったように思う」。
この「知」の人はいろんなことを知っていて、自分の中で消化している。
こうある。「企業は金儲けのためにあるんじゃない。この世界を“生きるに値する楽しいものにするためにある。ヘンリーフォードの言葉を引いている。

そして「美しい日本語を書ける人が、いま、何人いるんだろう」とも。

天野さんの言っていることがすごく納得できちゃうんだよな。

昨日の「まちヨミ」という読書会の事。僕の”仕事“は安積開拓について話すことだった。読書会のテキスト本は福沢諭吉の「学問のすすめ」。

「地」の開拓と「知」の開拓を結びつけた話をしたかった。持ち時間も少なかったし、その場に作られていた雰囲気とはどうもそぐわなかったような。テキスト本の学問のすすめは、いわゆる現代語訳。
「天はひとの上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり。僕は中学3年生の時にこの言葉に触れ、震えた。
現代語訳では、“言われている”となっているらしい。わかるな~天野さんの気持ちが。

そういえば、CM天気図というコラムで以前天野さんは「カタカタ語」の氾濫に大いなる懸念を示していたなあとも思い出す。

学ぶも、知るも、考えることの一環。
知るとか、学ぶとか、考えるということを、自分の主体的意思で取りに行こうとすることを、取り組もうとすることを、今、この国は、どこかで“避けている”ような気がして。

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