一昨年、我々は「想定外」という言葉に何度も出会い、それが単なる言い訳に過ぎなかったことを思い知ったはず。その言葉とは「おさらば」した筈だと思っていたが・・・。
一昨年も盛んに言われた政治家の想像力の欠如。こうすればこうなるという洞察力の無さ。既存のマニュアルの中で事足れりとしていたことの罪。
台風26号。伊豆大島の惨事。言葉を失う。
致し方ないことかもしれないが、メディアは結果を持って、原因を探り、責任を追及することに走る。
専門家と言う人たちも、火山灰で出来た地域の土地の脆弱性を言い、避難指示を出さなかった行政を責める。
「今後の教訓にしたい」。その一語で事を収めようとする風潮。「想定外のことは起こり得る」。それが原発事故も含めて、東日本大震災が残した大きな「教訓」だったはずなのに。
地球温暖化、異常気象、自然界には「想定」は通用しない。自然界の動きはもはや人知を超えているのかもしれない。
想像力の問題だ。
自然災害だけではない。想像力を働けせていれば、防げた「事故」は多々見受けられる。
将棋でも囲碁でも、何十手先まで「読む」、つまり想像力を働かせるもの。こうすればこうくる、こうなったらこうする。
もちろん人間相手ではない、自然を相手にして「読み」が出来るかどうかは別物化もしれないが。
想像力を働かしていれば、大島の悲劇は軽減されていたかもしれないということ。
原発事故現場でもそうだ。想像力の欠如が、緊急的措置として、堰の雨水を排出せざるを得ない事態にしている。
懲りていないのだ。
大島の事故を“教訓”にして、各地で「防災計画」の練り直しが行われるだろう。「訓練」の見直しも行われるだろう。
起こりえないことを想定してのものになればいいのだが。
「結局、自分たちの身は自分たちで守るしかない」。そんな思いを抱いた人も多かろう。
またも「報道ヘリコプター」の事が問題視されている。ヘリの音が救助の妨げになるということ。
瓦礫に埋まった人のかすかな息遣いや、呼びかけ。それを聞きとるのにヘリの音は妨げになるということ。
これとて想像力の問題。
メディアが伝えなければ事故の模様はわからない。伝えようとする手段が、被災者の消息を伝えにくくしてもいる。そんなジレンマ。
この問題はかつて阪神淡路大震災の時も言われた。協定で自粛したこともあった。
現場に着いた報道陣は必ずといっていいほど聞く。
「これまでにこんな経験は・・」。経験して無いから被災したのだ。
「いや、はじめてですよ」と答える。そうじゃない。「経験してたらとっくに逃げてる。バカなことを聞くな」。そんな答えをしてもいいのに。
自戒も含めて、「想像力」、考え直してみないと。
2013年10月17日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
-
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...