2013年10月15日火曜日

「遅すぎる」ことのいくつか

きょうは新聞休刊日。いったい年に何回あるかこの休刊日。毎日発行してこそ新聞のはずなのに。
もともとは「新聞配達少年に休日を」という理由だったはず。今、新聞少年はいない。

休刊日だけは、その慣行だけは守られている。日々伝えるべきことは山ほどあるというのに。

世の中の慣行をぶち破れ、既存の考えを打破しろ・・・。そんな論調を掲げる新聞が「休刊日」という慣行だけは、当然の“権利”のように勝手に決めて実行していることの可笑しさ。

きのう、IAEA、国際原子力機関の専門家チームが来日した。福島県の除染に的確な助言をするためだという。
その記者会見の詳報を知りたかった。でも、新聞は無い。明日では遅すぎる。こっちには夕刊はありませんから。

テレビニュースでそれを知る。

なんで今頃の除染アドバイスかと。遅すぎる。もう巨費を投じて、効果があるなしにかかわらず除染は進められてきた。
アドバイスするならもっと早く来るべきだ。

IAEAってそもそも何だ。一昨年も来日していた。事務局長は天野さんというれっきとした日本人。
なんか「権威」に胡坐をかいているような気がする。国際機関って。
WHOだってそうだ。食品や被曝の安全基準を決め、それをありがたく押し頂いた日本政府はそれを根拠の一つにする。

どうも除染に関しては、森林からの飛散があることを承知していなかったから、再度の来日、現地調査っていうことらしい。

そんなこととっくにわかっているはず。そこに暮らしていた素人目にも明らか。

調査団訪日は日本政府の要請によるとか。体験しているその地の人たちの発する実情には耳を貸さず、国際機関がなんか言えば、それを押し頂くということか。

だいたい、今も拭えない不信感。原発の建屋の中には24時間監視しているIAEAのカメラがあったはず。いや、あった。それを見たし、案内してくれた東電の社員も言っていた。とにかく「常時監視されているんです」。事故前の話だが。
爆発でカメラも吹き飛んだだろう。しかし、その直前までの映像はIAEAにはあるはずなのに、誰もそのことについては触れない。
常時監視は嘘だったのか。カメラはダミーだったのか。まさか・・・と言いたい。

なんで今頃、除染アドバイス。遅すぎる。不可思議だ。

ニュース、報道は、早いに越したことはない。しかし、早ければいいというものではない。じっくり腰をすえて取材し、伝えるべきこともある。

福島第一原発の現場。過酷な労働環境。それはずっと前から指摘されていたことだったが、汚染水問題が表面化してから、中央のメディア、新聞はとりあげ始めた。重い腰を上げた。

全国紙が取り上げてこそ、福島の事故はこの国全体のものとして伝わる。ローカルの問題ではないということが。ローカルにしてはならないのだ。

今に始まったことではない。現場の過酷な労働環境。被曝からはじまって、賃金の問題まで。

人為的ミスは士気の低下によるもの。当たり前だ。それがやっとわかりかけてきての作業員の問題への言及。
政治家のおざなりな視察をいままで批判することも無く。作業員の声も聞かない視察は無意味だということははっきりしているのに。0,3平方キロの港湾内の風景を見るのが視察だったことも。

作業員の多くは現地、双葉郡の人たちだ。「被曝隠し」を責めるだけでは、その報道は生ぬるい。そうせざるを得ない実情を掘り下げないと。
にわか作業員も増えている。賃金の高い“除染”に行ってしまう人たちもいる。
このままでは「人がいなくなる」、その恐ろしさへの警鐘を鳴らし、問題点をあぶり出し、白日の下にさらす。調査報道の真骨頂じゃないのかと。

もっと早く伝えていたら、職場環境は変わっていたかもしれないのに。

遅すぎるのだ。遅きに失しているのだ。

休んでいる場合じゃないよ。元新聞少年だった僕はそう思う。

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