2013年10月29日火曜日

「うそつき原発」

ちょっと久しぶりに「仮設」に行ってきた。毎度おなじみの例のばあちゃん。
やっと“つかまった”ので。

先週末、弟一家が郡山に遊びに来た。弟夫婦、その娘夫婦。一粒種の9歳の孫。

弟は東京の老舗の銘菓を持参。「あのビッグパレットで会ったばあちゃんに渡してくれ」と。そう、一昨年、新幹線が開通して間もなく彼らはやってきた。
避難所のビッグパレット行きを求められた。手持ちの「支援」を多少準備して。富岡と川内の役場に(当時はまだビッグパレット内にあった)それを届けた。

川内のばあちゃんの事はこのブログを読んでいて知っていた。そのばあちゃんとじいちゃん(当時はまだ健在だった)に差し入れ持って。

ばあちゃんに電話したが、出ない。折り返しも無い。まさか具合が悪くなって入院でもとちょっと不安がよぎったが。

今朝、電話がつながった。「川内に行っていた。電話はぶん投げていた。ゴメン」だと。このクソ・・・・。

菓子と、たまたま貰った郡山の大根葉(だいこんぱ)を持って立ち寄る。
「大根葉はナ、ちょっと油で炒めて、卵を合わせるとうまいんだ」。
「新鮮な葉だ、そのまま塩もみして食おうぜ」。

いつものような会話が始まる。

「川内はどうだった?」
「川内はいいとこだぞ、ほんといいとこだ。でもな、やはり不便だ。魚屋は一軒あるけど、刺身の鮮度は悪いし・・・」。

もう炬燵が入っている。ケージの中の愛犬は尻尾振りまくり。

炬燵の上の灰皿に見慣れたタバコが置いてある。ボクのタバコと同じ銘柄。
「タバコ変えたのかい?」
「あんたの忘れものだ。ほらライターも」。

マイルドセブン(今はメビウス)とフロンティアライトの煙が4畳半に溶け合う。

最近、医者に通っているという。薬を見ると高血圧の薬。
「川内には診療所はあるけど・・・」。

彼女も避難してきて知った“便利さ”。買い物、医療機関。連れ合いだったじいちゃんも”酸素“を抱えての避難だった。去年亡くなっている。それでも郡山では、病院に入院していた。

家に風を入れ、草むしりのために帰る村。

「この前、富岡の人と一緒に富岡の家に行ってみた。ネズミに食われて、土足であがるしかない。フンだらけで。新築だったのに」。
「川内の家は、水は井戸水だから問題ないが、ガスがね。釜ごとダメになっている。取りかえないと」。プロパンだからだ。

「川内には帰らない」と言う。娘さんたちが郡山に馴染み、戻らないというからだとか。「一人ではね・・・」。
車を乗らなくなった。廃車にした。車が無いと生活は出来ない。免許証だけがテレビの前に置いてある。こうすぐ更新時期だが、更新はしないという。

生産、出荷を始めた川内村のコメのことを持ち出す。
「コメは大熊のコメが美味かった。あとは郡山の米かな」。

そして言う。「うそつき原発のやろう」と。
彼女の言う「原発」には、原発そのものもあるが東電もその中に含まれる。国のことも含まれている。
「また、汚染水の話だべ、帰れないよ。もう懲り懲りだ」。
4畳半二間に日用雑貨が増えている。棚を作ってうまく収納している。居心地のいい場所になろうとしている。
「仮設の期限は伸びたけど、その先はどうするかな。娘は一緒に住もうと言っているけど、借り上げアパート。犬は入れないし」。

帰って帰れないことは無いけれど、帰ることへの逡巡。不便さへの懸念。
前途への不安。

「瀬川さん家に遊びに行きたいけど、犬の顔も見たいけど、歩いていくのは無理だ・・・」。「わかった、今度は送迎付きにする、お茶のみにきっせ」「うん、すまないがそうしてくれ。楽しみだ」。

長居した。いとまを告げると表まで見送りに来てくれる。開けた車の窓枠に手をおいたままた、まるで行く車を抑えるような感じで、名残を惜しんでいてくれるような。

「うそつき原発」か・・・。1ミリシーベルトは嘘なのか、本当なのか。20ミリシーベルトは嘘なのか本当なのか。

「帰村宣言は早すぎた」と彼女は言う。早期帰還は「ウソ」なのか、帰還困難は「本当」なのか。

「帰れると思っている人はいないと思うよ」という“当事者”の一人。

仮設暮らしの日々と、1ミリシーベルトの間に、ボクは「接点」を見出せない。

また忘れそうになっていたタバコとライターを持ってきてくれていた。箱の中には1本しか入ってなかったけれど・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...