2013年10月14日月曜日

スピードと時間と安全と

なんかばかばかしくて笑えてくる・・・
今更ながらだが。

東京品川と名古屋がリニア中央新幹線で40分で結ばれる。2027年開通。東京オリンピックに合わせて。建設費用は10兆円に及ぶという試算。

昭和39年の東京オリンピック時は東海道新幹線。今度はリニア新幹線。またも“夢の超特急”かと。

運賃も今の東海道新幹線よりも3倍するとかしないとか。所用時間40分。
使われる電力量も3倍とか。

言ってみれば時間を金で買うということ。

時間は金で買うものなのか。「そうだ」ということなのだろう。

早くも停車駅をどこにするかどうかの綱引き。模型図見て嬉々とする人達。
これも「便利」ということばであがめられるのか。

なんかばかばかしい。

なんで人はそんなにスピードに憧れを持つのだろう。あらゆるところにスピードを求めた結果の今の日本の体たらくって思うのだが。

仕事にもスピードが求められ、スピードが善とされる価値観。

かたや「のんびりした時間」をもとめ、「ゆったり時間が過ぎて行く自然」を田園風景に求める精神性。

二律背反じゃないのかな。

かたやスピードと追求する人たちがいる。そんなに必要性が無い人のはずなのに。
かたや、スピード感の全く無い被災地の復旧・復興。一昨年からまったく時間が止まったままの、事実、とまったままの時計が放置されたままの原発避難地。
錆びた瓦礫や伸び放題の雑草だけが時の経過を教えると言う事実。

人生の時間を少しでも長くしようと、長寿大国ニッポンを謳い、高齢者を「エサ」にしたような悪徳介護ビジネスの横行。

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」。

そんな交通標語があった。車のスピード違反を諌めるために。

でもあの標語は、車だけではなく、社会全体を風刺したものだったのかもしれないのに。

車屋さんたちは考える。安全な車を。人が運転しないで車が自動的に危険を察知して停車やハンドルを切るという技術革新の粋を。
人があっての「道具」なのに、人の意志や技量とは無関係に自動化される「道具」の数々。

だから、突き詰めて言えば、科学技術の進歩、発展は、人間を、究極「疎外感」に陥れるのかとも。

鉄道のATSでもそうだ。それのスイッチを入れるのは人間のはずなのに。装置が自動的に停止させる。それに安心すると人間は考えることを、その労力をやめる。

家電製品も全自動。ドアの自動ドア。なんでも自動。センサーが察知し、人間の手を煩わさずに機械が全てを判断する。
医療機器もそうかもしれない。医者はいなくても機械が判断する。PETだ、陽子線治療だ。金持ちだけが“恩恵”にあずかる。

パソコンは「さくさく」と動かなければストレスになる。

早いことはいいことだ。そうなのかな・・・。

仮設に住む環境は遅々として改善されない。

どっかでは時間がとまったまま。どっかでは時間を金で買う。必要としているのかどうかは無関係に。それに人は慣らされていく。

機械が作り出すスピードに人間が慣らされる。

なんだか変なんだな。

そしてテレビの番組では、リニア新幹線を賛美するニュースの後に、「のんびりゆったり各駅停車の旅」なんてのをやっている。

どことなく笑えてしまうんだ。スピードを真に必要なところにそれは無く、さして必要でもないところにそれが持って行かれる。

やはりおかしい・・・。

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