2年半前、「がんばろう東北」という言葉が横溢していた。車にも、看板にも、垂れ幕にも、ヘルメットにも。「東北は一つ」だった。
「がんばろう」という言葉の理解や、意味合いや、受け止め方はともかく。
東日本大震災の“被災地”として、おおかた、6県の人たちの思いや、共同性は同じだった。
首都圏からの目も、関西圏からの目も、西日本からの目も「東北6県」だった。
東北六魂祭と銘打ったイベントも盛り上がり、東北は一つだった。
ある時期から、一つであった「東北」に微妙な亀裂が生まれたような気がする。
同じ被災地であっても、津波の被災地と、原発事故の被災地。福島県にあっても。
津波で根こそぎ家を流され、多くの死者を出した地域。生きてはいるが、前途に希望の見えない人達。
そこに温度差めいたものが生まれている。
例えば「寄り添う」という言葉がある。家族を亡くした人たちの喪失感に寄り添うということは、あり程度は可能だ。人は誰しも死者を得たという喪失感を経験しているから。
しかし、原発避難者にたいして「寄り添う」ということは、何を指すのか。難しい。
報道もそうだ。今は、ほとんどの報道は原発に目が行っている。根こそぎ街を家を流された三陸方面に関する報道は少なくなった。
同じ「応急仮設住宅」というところに暮らしながらも、そこから抜け出す方途が違う。
それは「支援」という、ボランティア含めた対処の仕方にも表れている部分がある。
津波で被災し、家族を失った人たちの多くの悲しみと苦しみ。あの津波の恐怖から抜け出せない人達。
わけのわからぬまま“強制避難”をさせられ、建物としての家はあるのに、そこに帰れないという「非情」さを抱えた人達。
風評被害なるものにさらされている福島の人達。
三陸の人たちは、「マスコミももう伝えなくなった。忘れられている」と感じている人達がいる。“復興”に向けて立ち上ろうとしている人達がいる。
前途に希望の見えない原発被害者たちがいる。
その“温度差”。それは「カネ」の問題になって具象化してくる。
いわき市はその渦中にあると言ってもいいかもしれない。
原発避難者には、一人10万円の賠償金が東電から支払われる。津波で家を流されて人たちには、賠償や補償は無い。うまくすれば生活再建資金が貸し出されることがあっても。
「家を無くした」。同じ環境にあっても、そこには乖離がある。カネの問題。それに端を発した”軋轢“。
原発は現在進行形。しかも放射能汚染という“差別”の対象。様々な制約の中、“復興”もままならない三陸。
共通しているのは“住民合意”という小さな民主主義だけか。
福島県の浜通りの一部は津波と原発のダブルパンチの被災地。宮城県にも放射能は飛散している。
風評被害は東北三県に及んでいる。
岩手や宮城でも沿岸部と内陸部には大きな温度差が発生していると現地の“地方記者”は見てとっている。
「東北は一つだ」。そんな言葉が色褪せて見えるような・・・。
敢えて言う。健康被害を恐れる人たちは、多くの死者に思いが及んでいるのだろうか。災害関連死した人達、つまり「避難によるストレス死」、そして自死した人たちの心情に思いが及んでいるのだろうか。
死者と生者の間に溝が生まれている。生者の中にも埋まらない溝が出来はじめている。
「がんばろう東北」「がんばろう福島」。そんな言葉に出合う度にやりきれなさを感じてしまうのだが。
2013年10月27日日曜日
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