2013年10月3日木曜日

日本人が「考え」「議論」すべきこと。ここ数日でもいいから。

東日本大震災以降、「人の死」「人が命をかけて他者を助けること」に敏感になっている。
事あるごとに「死の在り様」について語っているかもしれない。

JR横浜線の踏切で、線路上に倒れた老人を助けようとして自らが列車にはねられ死亡した女性の出来事。

周囲の状況はつまびらかにしないし、それはともかく。
人が人を助けようとして命を落としたということ。それだけは事実。

現場には献花に訪れる人が後を絶たないという。彼女がとった行動に胸打たれた人、その“勇気”を称えたい人・・・。
人が持っている心を、隠されていた心を、「覚醒」させたのかもしれない。

そこを訪れた人は手を合わせ瞑目しながら考えたであろう。
「もし、自分だったらどうしただろうか」という事を。

どうあるべきか。正解は無い。もし、それが僕だったどうしたか。わからない。
見過ごしたかもしれない。目をそむけたかもしれない。助けに飛び込んでいたかもしれない。

その場に置かれた時の自分の精神状態、心理状態にもよる。迫りくる電車を見ながら間一髪に期待したかもしれない。

でも、目の前で人が轢かれるのを見るのは嫌だ。何もせずに自分の心に傷を残すのも嫌だし。

テレビが伝えていた。自分ならどうするっていうことに対してのインタビュー。ある若い女性が言っていた。
「きょう一日職場でもみんなで議論しました。結論はありませんでしたが・・・」と。

マイケルサンンデル教授の白熱教室にあった討論のテーマを思い浮かべる。
人の死にかかわる「正義の在り方」を考えさせた討論を。正義とは人の道と思いながら・・・。

献花に訪れた若い男性が言っていた。
「このことはきっと忘れないでしょう」と。たぶん、献花に遠くから訪れた人たちの、その後の人生に大きな影響を与えるだろう。

命を賭して人を助けるや否や。ここ数日でもいい。日本人が議論してほしいこと。
亡くなった女性の行為は、どこかでこの国の人たちの在り様を変えるきっかけになるかもしれないから。

10年以上前、東京の新大久保駅で酔っ払って線路に落ちた日本人男性を助けようとして、日本人カメラマンと韓国人の青年が轢かれて死亡した。
新大久保駅には彼らの顕彰碑が建っている。
その新大久保駅周辺では「ヘイトスピーチ」なるものが繰り返されているという・・・。

東日本大震災。津波が迫る中、多くの人たちを救助しようとした例えば消防団員。自らの命と引き換えに多くの人たちの命を救った。
震災直後はそのことが様々話題になり、称賛の声もあった。

今、それらもその地での記憶になり、多くは“風化”という渦の中に呑み込まれていった感がある。
消防団に数々の「教訓」を残しながらも。

これを書きながらNHKの被災地からの声を見ている。オープニングには一昨年の3月の避難所の光景が使われている。
唯一のテレビがテレビの役割をはたしている番組だと思う。
あの「避難所」。毎日これを書いている原点なのだ。
心に刻まれている光景が、あらためて“覚悟”を思い返してくれているような。
僕の中では何も風化していないと思う。むしろ怒りが増している。

議論すべきこと。もう一つは消費税増税、復興増税廃止のことだ。
毎日新聞が早速世論調査を書いていた。
消費税増税賛成が46%。反対が45%。この調査をもとに言う限り、国民の半分は反対なのだ。
復興増税廃止には賛成が35%、反対が53%。

安倍のフェイスブックページ。昨日見ただけでも厳しく「増税反対の声」を、声ある声を上げていた人たちがずいぶん居た。
安倍がそのコメントを見ることはたぶん無いだろうが。

もっともっと議論すべきことなのだろう。政治家や官僚の議論ではなく、国民としての議論を。
安倍が「真面目」にフェイスブックに取り組んでいるのなら、そこに顔や名前を「晒して」意見をいう国民の声に目を注いでもいいのではないかと思うが。

所詮、お遊びのフェイスブックだったのか。パフォーマンスとしてだけの。格好付けだけの。

まだまだ「まとも」な日本人がいるということ。一人の人の行為が、声が、この国を変える力にもなるかもしれないということ。

新大久保事件が風化していなければ、もしかしたら、今のような日韓関係になっていなかったのかもしれないとも。

一人の人間の行為に政治はまったく無関心だということ。

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