いささか旧聞ではあるが・・・。
マスコミ倫理懇談会という集まりがある。年に一回、全国の新聞、テレビ、ラジオの関係者が集まって行う懇談会、討議の場。全体会議や分科会に分かれて。
今年は仙台で行われた。テーマは「震災被災地で問う、日本のあすとメディアの責任」。具体的テーマの一つが“風化”だった。
世の中のあらゆる事象には、常に、その“負”の問題として「風化」が伴う。
戦争は、戦争体験は風化した。原爆も風化した。水俣も風化した。阪神淡路大震災も風化した・・・。忘れてはならないと言っていた事件や出来事も。
風化とは世の習い。誰でもそれを知っている。だからか・・。
東日本大震災、多くの死者、途方に暮れた被災者。原発事故。15万人の避難民。
一昨年、それが発生して、国中が“騒乱状態”にあった時、多くに人は「風化させてはならない」と思った。誓った人もいる。
月日の経過は恐ろしいものだ。もちろん意図的では無いにしても、どこかで風化を招いている。それが“国難”であったとしても。
ある程度落ち着きを取り戻し、どんな形であれ“日常”を持った人たちは、日々の暮らしの中で、記憶が薄らいで行っているような。
マスコミ倫懇。略してそう呼ぶ。その大会宣言。
「メディアは手抜き除染など、多くの事実を発掘しただけでなく、被災者の声を報じ、震災の風化と闘ってきた」。
闘ってきたのかどうかを巡って彼らの中でも議論があったという。そう言い切れるかどうかという疑問を彼ら自身が持っていた。
表層だけを伝えていたのでは「闘った」ことにはならない。「隠れた、隠された真実」に迫らなければ風化は食い止められない。その覚悟と決意が有や無しやだ。
ボク自身の中でも“風化”は起きているかもしれない。それを食い止めるために、日々のすべてのことに優先してこの“亭主日記”を書いている。
風化に抗(あらがう)している人達もいる。
でも「被災地」の多くの人は風化が進んでいると感じている。
意図的では無いと信じたいが、永田町や霞が関では、マスコミの話題になりそうな、マスコミが好みそうなネタが提供されている。伝えなければならないことが次々と生まれている。
それはそれ、これはこれ。永久的に語り継がれなければないらないことはあるはずだ。区分けは出来るはずだ。
テレビはもっとあの日の津波の映像を間断なく伝えるべきだ。混乱の極みにあった避難所の姿を伝えるべきだ。
あの時、多くの被災者は、助け合いとか、人のために役立つとか、どうしたらここから脱却できるかを真剣に体験していたはずだ。
逆説的で皮肉な物言いかもしれないが、あんな状況があったから、人々は”希望“を見出そうとしていたのではないか。とも思う。
原発事故に立ち向かう人たちもそうだった。
「風化」とは、ある記憶や印象が時とともに薄れていくこと。手元の国語辞典にはそうある。まさにそうだ。
日頃、マスコミ批判に明け暮れている亭主。でも、このマスコミ倫懇の宣言を信じたい。その宣言をすべてのマスコミ人が心に刻んで欲しい。
多くの無念の死、その死者に報いるためにも。多くの原発避難者、その不条理さを他者として感じるためにも。
原発再稼働、それは「風化」のためのめくらましとも言えなくはない。風化させない限り、再稼働論議は起きないはずだと思うのだが。
伊豆大島の悲劇。それは次への教訓を生んでいる。「3.11」から学ぶことは多々ある。学ぶことで風化は防げるとも思うのだが・・・。
2013年10月25日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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