2013年10月18日金曜日

大島の惨事と「3・11」と

倒壊した家屋、一面を覆う瓦礫と汚泥。懸命の救助作業。瞬く間に汚泥に呑み込まれ、逃げることもかなわなかった人達。無念の死・・・。

大島の光景は「3・11」と重なる。2年7か月前に見た光景に。

消防庁にしても、警察にしても、自衛隊にしても、「救出力」は優れている。それをもってしてもかなわなかった実態。

「72時間」が言われ、もっと、どうにかならないのかと言う人達。
救出がかなわなかった救助隊の人たちの無念さはいかばかりか。

テレビでは早くも「つるし上げ」「悪人さがし」が始まっている。いつでもそうだ。

今、あの町長を責めてどうなる。まだ不明者がいるという現在進行形の中で。
スタジオのコメンテーターなる人は、時には声を荒げて町長をなじる。
町長や町役場に瑕疵があったことは、だれでもわかる。が、しかし・・・。

なじることが、今、正義なのか・・・。

現場は現在進行形なのに、マスコミは早くも防災計画がどうだったとか、災害情報の在り方がどうだったかと。
家族には「非情のマイク」が突きつけられる。

当事者の視点と、傍観者の視点。

「3・11」が、「福島」が、日本の悲劇の「縮図」であったように、大島も「縮図」なのだ。

不明者の捜索、足の踏み場もない現場の復旧。それが最優先なのだと。

今、今日現在、「悪者つくり」や「つるし上げ」をやっている時ではないはず。
新たな台風の発生も伝えられている。その対策に町役場総出で当たらせるのが急務。

事実は逃げない。追及は後からでも出来る。

もちろん、我々は報道で現場を知る。殺到する報道陣が、現場の作業を阻害してないか、、家族を失った人たちの心を傷つけていないか。

天災に備えて、今度の事故を踏まえて、おそらく全国の自治体では対応の再構築を図っているだろう。

警鐘としての大島の事故。教訓としての大島の事故、大島の悲劇。

津波で多くの命を奪われて地域の人たちは決して他人事とは思っていないはず。

「国民の生命、財産、安全を守る」。国の使命だ。

気象予報技術も格段に進化した。その中で、「守る」ためにどうそればいいのか。指揮、指示系統をどう確立すべきか。既存の対策で可なのか不可なのか。
ハザードマップという一枚の紙切れを配っただけで対策としているのか。

他国で地震が起き、100人単位の人が死んでいる。マスコミはほとんどネタにしない。

揶揄するつもりはないが、「ガラパゴス化」した日本の報道。

天災は地球規模で起きている。そんな“世紀”に入っている。アメリカのデフォルトは大ニュースになる。天災事故は多くの死者を出してもニュースにならない。

3・11で我々は多くの「死」に出合った。死を悼んだ。“整えられえない死”に対して、もっと敏感であるべきなのだと思う。

つるし上げは決して”正義“ではないと。

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