2013年10月24日木曜日

「数字が独り歩きしている」

大上段に振りかぶったようなものの言い方をすれば、今、日本人に求められているもの、いや、諸外国でもそうだ。国際機関でもそうだ。
「放射能、放射線について“正しい知識”を持つこと」。面倒なことには違いないが、核と付き合うことを、ある意味“求めた”人たちは、そして、国難であり、公害である原発事故と向き合っている人達は、それが“ブラックボックス”に入っている問題であろうとも、それを“知識”として学び、もろもろの“判断”の基準にしなければ「やってられない」のだ。とあらためて思う。

しかし、それを知識として習得し、理解するのは、これまたとんでもない困難を必要とするということ。

昨日、原子力規制委員会の田中委員長は記者会見でこんなことを言っていた。IAEA、国際原子力機関が出した報告書。そこにある「年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量は、除染だけで短期間に達成できないということ、住民に説明する努力をすべきだ」ということに関連して。

「国が長期目標としている年間追加被曝量、1ミリシーベルトというのな、数字が独り歩きしている」と。

田中俊一を支持するわけでもなんでもないし、IAEAもICRPもWHOも、およそ、多くの人がありがたがってそれに傾倒する「国際機関」というものに、全面的に信頼を置いているものでもないが。

IAEAが言うように、いつの間にか、だれもきちんと説明しないから、マスコミの罪も大きいが、「年間1ミリシーベルト」という数字は、定着してしまった。
毎時0,23μシーベルト。

様々なことの判断や意見の出発点はこの「1ミリ」。それと「100ベクレル」。
もちろん門外漢だが、放射能とは放射線を発する能力のこと。その能力を表すのがベクレル、人体が直接影響を受ける線量をしめすのがシーベルト。
ベクレルは主に食品や水・土壌の中に含まれる放射能の総量を表す場合に使い、単位はパーキログラム。
シーベルトとは、外部被曝や内部被曝で実際に人体が影響を受ける線量を表す単位で、時間あたりで示される。

避難基準は20ミリシーベルトと100ミリシーベルト間、100ミリ以上は人体の健康に影響ありが国際機関が示した基準。だから、帰還の判断基準も20ミリ。

その線量を計るのは空間線量計なのか、積算値をはかる個人線量計なのか。それによって計られる値は、なぜか違う。

あちこちに空間線量計が、モニタリングポストは置かれている。そこに示されるのは毎時のシーベルト値。0,23μ以上のところもある。そこは“危険地帯”とされてしまう。

米の収穫期。全袋検査。キロ当たり100ベクレル。90ならOK,
120ならダメ。その差30ベクレルの意味は・・・。しかもその120の農家は2年間使っていなかった脱穀機を使ったからだという。脱穀機を洗って使いなおしたら100を下回っていたという。

セシュウム検出という。そのセシュウムが134なのか137なのかは言わない。134なら、今の原発事故由来のもの。
もともと自然界にあった放射能と核実験などによって存在していた放射能をどう区別するのかの指針は無いに等しい。

ALPS、多核種除去装置が除去できるのは62の核種。トリチウムだけは除去出来ない。トリチウムがどんな影響を及ぼすのか。

内部被曝が健康に与える影響という。その健康とは何か。癌か心筋梗塞か。

数字は示される。しかし、それが及ぼす結果については学者や医者の間でも議論が分かれる。多くの健康被害の原因だとされるストレスなるものには言及されない。

数字だけが独り歩きしている。数字だけが伝えられる。数字の意味は伝えられない。だから風評の温床にもなる。

例えば放医研のホームページを見ても、素人には読解不能だ。

だからキュレーターとしてのマスコミの、特に新聞の出番がある。放射線の“基礎知識”を分かり易く伝える。普通の言葉にして伝えるという、いわば“義務”が。

数字の意味がきちんと伝えられれば、1ミリシーベルトの意味が、それが及ぼす影響が伝えられれば、「福島県には人が住めない」なんて話は無くなるのではないかと思うのだけど。1ミリの中で10年、2十年住んでいたらどうなるのかも。

ゼロシーベルトやゼロベクレルなんてことはあり得ないということ。

原発事故をめぐる様々な議論の中で、その要点が、判断材料の説明が抜けているような気がしてならないので。

近づく台風27号。またまた排出されるであろう汚染水。基準値の何万倍とかいった、何万ベクレルを検出といった数字だけが見出しに踊るのだろう。その影響や意味は。数字を並べるだけが報道ではないということ。

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