2013年10月6日日曜日

「町内会ゴミ拾い」と「核のゴミ」と

朝6時半から町内会、いや、市なのか。「クリーンアップ作戦」。
家の周りや道路のゴミを拾って集積所に運ぶ時たまの行事。道路脇にはまだ刈り取りが終わっていない稲が。すでにJAが立てた印の期限は過ぎているのに。

田んぼには数カ月癒されて来た。水が張られ稲が植えられ、蛙が泣き、たわわに実り、小金色に染まり・・・と。

その田んぼにはおそらく通りすがりの車から投げられてと思われる吸殻やコンビニ弁当の袋。

心無い奴らの仕業と言ってしまえばそれまでだが、よりにもよって田んぼに「ゴミ」を捨てるとは。

狭い抜け道のようなところ。中には缶ビールも。運転しながら飲んでいたのかどうか。

トングで吸殻を拾いながら、ただただ嘆かわしく・・・。農地に、自分たちが口にする、それを「戴かなければ」生きていけないコメにゴミを・・・。

何処にでもある光景とは思いたくないが、やはり“風潮”というのか、習い性というのか。

綺麗だった田んぼにゴミを捨てる。

クリーンエネルギーと称して受け入れて来た原子力発電、それが出す核のゴミ。
どこか「同じ構図」にも思えてきた朝。

田んぼのゴミは人の手で拾うことが出来る。処分は出来る。核のゴミ処理は手に負えない。その違いはあるのだけど。
人が捲いたものは人が始末できないと。始末できないものを背負ってしまった我々。

耕作放棄地がある。わずかな面積だけど。セイタカアワダチソウが生い茂っている。町内会長が電動の機械を持ってきてくれ、刈る。
放棄地の持ち主は「禰宜さま」だという。神職にあるものが無責任な放棄地を作るということ。農転だった可能なところだというのに。

ゴミ拾いの途中で思う核のこと。

きのうも書いたが小泉純一郎の「脱原発発言」。思惑を推測するのはやめよう。
それに気付いて考えを大転換させたのだから。

昨日、長年勤めていたテレビ局の創立30年プラス2という記念の集まりがあった。

30周年はちょうど「3・11」の年。二年後の式典。

「一言」と言われてまた余計なことを言ってしまった。

「3・11でこの国は変わると誰もが言った。変わらねばならないと皆思った筈。だけど、今、何も変わっていないよ。テレビも。変われよお前たち」。

「あいかわらず辛口ですね」と言われた。当たり前だ。通り一遍の挨拶めいたことなんかしてられない。

お開きになった時、一人の若い記者が見送ってくれた。
目を潤ませながら、手を握って来てくれた。「もっと勉強します」。そんな事を言っていたような気がする。

彼がいてくれて、その集いに出かけてよかったと実感できた。

一人の若者の声が、人のこころを揺さぶってくれる。

小泉進次郎のことを書いた記事が今朝の新聞にあった。復興政務官に就任して石巻を訪れた彼。

なぜ復興にこだわるのか。

大震災発生直後、燃料が足りないことを知った彼はタンクローリーを手配し、ドラム缶に移し替え、寒さに震える避難所に配って回ったという。
「これで生き延びられる」と避難所の人たちから感謝されたことが忘れられないという。

「震災を政治家として迎え、人生観全てを揺さぶられた」と語る。と記事にはあった。

小泉構造改革にはもちろん大反対だった。進次郎というその息子のことは知らない。多分政治姿勢も違うだろう。

もちろん小泉シンパでも無い。だが・・・。

二人に共通しているのは東日本大震災を、原発事故を直視したということ。見て、聞いて、知ったということ。

真夜中に吸殻を投げ捨てていった人も、昼間、その光景を見たら、田んぼを汚しているという光景を知ったら、どう思っただろうかと。

昨日のテレビ局の集まり。関連会社の女子社員で、自由書をたしなむ子がいた。その道ではそこそこ名の通った人らしい。

ステージの上で、彼女は音楽に合わせて「書を遊んで」いた。揮毫していた。

そこには、見る、聞く、知るという字も、書かれていたと記憶している。

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