2014年1月14日火曜日

「創られる“若者像”」

テレビの報道系、ワイドショー的番組についてだけ取り上げて言う。その「演出」について。成人の日を巡る伝え方について。
腹立たしいから。

ニュースを含め、情報系の番組は、ほとんどが発局は東京だ。成人式、それもおおむね東京での光景。

そしてテレビの基本は「画になる」ということ。画になるネタを探し回るということ。

今年は「花魁」ファッションが流行りだという。なにやら「花魁もどき」の着物姿をし、肌には描いたのであろうタトウを入れ・・・そんな格好の女の子を見つけては撮って流す。

大方の「大人」は眉をひそめる。なんだい、どうなっているんだい、今の若者は。と。
それは、大勢の新成人のごく、ごく一部に過ぎないのに。

画を求めて那覇を探す。“恒例”のような荒れる成人式。警察とのもめ事、逮捕者。
「大人」は眉をひそめる。

目立つために、目立ちたいだけでやっている「大人の目」を“勘定”に入れた行動なのに。
おかしな若者像が、テレビで“量産”されていく。うたかたのように消える一瞬の若者のパフォーマンスなのに。

東京のどこかの駅前。ご丁寧に都知事候補の顔写真と名前を書いたフリップを持参。晴れ着姿の女性を呼び止める。
「この人知ってますか。名前はなんて呼びますか」。

マスゾエ。読めなくて当たり前だよ。ヨウイチは読んでいたけど。タモガミ。無理だよ。福島県人なら、彼の出生地が田母神という地域であり、道路標識があるこで知っているだろうけど、「え、たもしん??」、そう怪訝そうに読んだっておかしくは無いはず。

そして、その番組が持っていく方向は、「都知事候補者の名前も知らない今どきの若者」っていう雰囲気。

きょう細川護煕が出馬表明したけれど、モリヒロって読める人は多くはあるまい。

新成人の一部を切り取って全員がそうであるかのように、笑いの中で語ることに何の意義があるのかとも。

そして、いわゆる被災地での成人式では、それは真実、いい話なんだし、それを取りあげることに違和感はないのだが、どうも、どの局も「お涙頂戴」のような美しい話に“仕立て上げている気にすらなる。

「3・11」以来、その実相は面で伝えられることと、点で伝えられことがあった。そして点で伝えられることは、深く掘り下げられており、丹念に取材されて居り、点を見ることで面が見えること、わかることもあった。

成人式の伝え方、それは、どうもお手軽な「点」での伝え方。それで、面としても若者像を伝えて欲しくない。

こんな話題も提供されていた。沖縄だったか。式典のあとの「バカ騒ぎ」で、ごみがまき散らかされた道路を振袖姿の子が、ごみ拾いをしているという話題。

どういう、誰の発案かしらないが、振袖でのゴミ拾い。やめたほうがいい。着物が汚れる。衣装屋さん泣かせだぜ。

家に帰ってジャージーに着替えてからやって欲しいなとも。

だから、そのテレビを見ている人は、そのまま、その子たちを見て、「今どきの若者は」という位置づけをすべきじゃないと。
それは点にしか過ぎず、しかもテレビが「創った」ものであるという見方をしてもらわないと。それにはテレビと向き合うための“想像力”をも必要とする。

そして、それは、政治報道にだって当てはまるはずだとも。

そして、もう一面では思う。成人式とは各自治体がしつらえた儀式。そこに全員がお行儀よくいるのは、かえって不気味だとも。礼儀正しく、行儀よく、大人しい若者たち。かえって、その順応ぶりが気になったりする。

世間を見る窓としてのテレビ。その窓に向かう感性も必要なのになぁ・・・。

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