2014年1月5日日曜日

午年につき馬の話をちょっと

「甲午」(きのえねうま)、今年の干支である。干支はそれぞれに意味があるらしい。
戊辰戦争、戊辰の干支は「草木が繁茂し、動きが活発になる」という意味があったらしい。
なんとも言い難いが。

会津地方に馬谷(まや)という部落がある。いまでもその地名が残っているかどうかは定かではないが。
奥会津から柳津に抜ける道にある谷。そこはいつの頃からか、魔谷と地元の人は呼ぶようになった。馬橇が一台通れるだけのような道だたという。岩肌に沿って続く道の眼下には滝谷川が流れている。

山で伐採した木を馬橇に載せて町まで運ぶ途中、ある日、猛吹雪が襲った。足を滑らせた馬は川に転落して死んだ。
村の若者は普段は唯一の生活手段である馬のその肉を食べることは禁制であったが、谷に落ちて死んだ馬の肉には手を出した。唯一の現金収入の道を閉ざされた馬の持ち主の心中はともかく、若者たちは馬の鍋を作り、酒を飲んで、馬を弔いながら酒宴に興じていたという。

いわば民間説話の類かもしれない。

その奥会津出身の三坂春編(みさかはるよし)という人が江戸時代の中期に書いた本に「老媼茶話(ろうおうさわ)」という民間伝承の“民話集”がある。大方が伝聞による地域の逸話だ。

会津地方の逸話だけでなく、関東方面の民話も集められているという。
いわば「会津物語」だ。

「3・11」後、柳田國男の「遠野物語」が脚光を浴びた。その中には大津波による犠牲者の、死者と生者の会話の話は、第99話にしか書かれていないのだが。

勝手に推測させて貰えば、遠野物語よりもずっと以前に会津物語はあった。そんな話の展開も可能だ。
遠野。そこは馬の産地だ。「馬搬(ばはん)」という職業があった。

森で伐った木を馬で運び出す。昔は日本のあちこちでもあった光景かもしれない。雪の北海道には馬橇があるように。
馬搬を生業にしている人は、全国で二人しかいないと言われる。

農耕馬というのも各地にあった。馬は人間の生活とは切り離せない存在だった。

森の中、馬は“自在”に動く。トラックを入れないでも、道路を作らないでも、手間と時間はかかるものの、馬を使うことは自然に優しい作業だ。

大自然の中に排気ガスを巻き散らかさなくても木の運搬は出来る。馬に見るエネルギー問題。

青森県大間に原子力発電所が建設中だ。完成するのか稼働出来るのかは分からないが。大間、下北半島。本州の最北端。そこの尻屋崎には海を渡って吹きつける吹雪に鼻をむけて、凛々しく立っている寒立馬(かんだちめ)がいる。

寒立馬が冬の間、何を考えているのか。それは人間が知り得ることでは無い。

馬と原発・・・。

福島県相馬地方には有名な祭りがある。相馬の野馬追い。その神事に近い祭りは、原発事故で散った地元の人たちを、呼び戻し、結び付ける重要な行事だった。そこでは馬と人間は一つに結ばれている。

福島第一原発。それがある大熊、双葉。発電所が出来る前は塩田だった。その前は陸軍の飛行場。その前は・・・荒涼とした原野。
かつてその地に多くの人が入植した。馬を伴っていた人もいたかもしれない。人馬一体になってその地の開墾に当たっていたのかもしれない。

斗南藩に移封された会津藩士。その中にいた広沢安重という家臣。彼はその地に、三沢に西洋式の牧場を作った。馬がそこで飼育されていたはず・・・。

取り留めのない馬の話だ。

でも、午年に馬のことを考えてみるのも悪くない。
ちなみに。ボクは馬刺しや桜肉は食べられない。

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