きのう「復興」という言葉についての疑義を書いた。それと同じように、あの大震災後、あちこちで言われ、問題点とされ、多くの人が口にする「コミュニティー」。
この“突然ように”降って湧いてきたようなカタカナ語に未だ当惑しているし、それっていったい何なんだいって思考が抜けきれない。
辞書にはこう記されている。①地域社会、共同体。②個人を全面的に吸収する社会集団、家族、村落など。と。
三陸地方の高台移転の話でも、福島の原発避難の問題でも、必ず言われるコミュニティー。それが壊される、それを大事にしないと・・・。
仮の町が言われた時もその言葉が前面に登場し。県外避難者の間でも、それは常に言われていた・・・。
コミュニティーとはもともとあったものだろうか。
カタカナ表記するかどうかは別にして。
それが「形」としてではなく、人間の「感情」を伴ったものなら尚更。
②の“定義”にこだわるつもりは毛頭ないが。
喪失があって、はじめてそれが意識され始めたのだろうか。全てを失って、心のよりどころ、喪失感を埋める”作業“の中で目覚め始めたものなのかもしれない。
卑近な話だが、町内会というのはコミュニティーと呼べるのだろうか。人口32万人の郡山市はやはり地域コミュニティーなのだろうか。
同じような悲惨な境遇にあった結果、その場で生まれたのがコミュニティーと言えるのかもしれない。そう“個人”を吸収してくれるような。
だから、「仮設」が生まれ、そこに暮らしている、それがかつては見知らぬ人同士であっても、そこにコミュニティーが誕生する。そして、それは極めて大事なものなのだと。
こんな話を聞いた。
狭くて住環境の悪い仮設を“運よく”出られた人がいる。県外に、見知らぬ土地に避難している家族と一緒に暮すようになった。
その人は、特に高齢者は、「仮設に戻りたい」と言い、実際に戻った人もいる。
たとえ住環境は改善され、家族とは一緒になれても、それ以上に知り合いが出来ない。話し相手がいない。それに耐えられないのだという。
仮設に戻れば、2年前から出来た気心のしれた知り合いがいる。一緒に苦労した仲間がいる。心がやすらぐというのだ。
たしかに、現実問題として、仮設があるところには新たなコミュニティーが生まれた。さまざまな“支援”も仮設単位で動く。
おすそわけも、お互い様もある。
物理的な環境よりも、人間的な環境を求めるのかもしれない。
都会の無縁社会や孤族の問題にも通じる。
阪神淡路大震災のあと、長田区でも仮設は2年で無くなった。災害復興住宅とでもいうのか。高層マンションが出来、長田の人たちの多くは、その“快適”なマンションに入った。
そして「孤」の生活を余儀なくされているという。
福島の仮の町構想はどうなったのだろう。どこへ行ったのだろう。
復興住宅なるものの建設も、遅まきながら進んでいるという。数年後、仮設は無くなるだろう。それは「長い間」住めるような場所ではないのだから。
こんなことをふと思ったりする。コミュニティーとはもともとあったものではなく、新たに出来上がった、作り上げたものなのだと。
それは、どこか「故郷論」と似ているような気がしてならない。
そして、数年後、またコミュニティーは崩壊し、物理的に無くなり、どこかで新たなコミュニティを作る動きが出てくるのかもしれない。
しかし、仮設に“Uターン”するのは行政的には、東電の側の論理からするとそれを阻む規制もあるという。
作られたものではない、作り上げたコミュニティー。それと人間との関わりあい方。
政治の問題を越えているような、それが解決出来ないような、重い課題。
2014年1月16日木曜日
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