2014年1月8日水曜日

「日本史」は学ばれてこなかった・・・

寡聞にして知らなかった。高校では日本史は選択科目であり必須科目ではなかったということを。

文部科学省は学習指導要領の改訂に合わせて高校で日本史を必須科目にするよう検討するという。
日本史は約40年間、高校では選択科目とされ、高校生の3~4割が日本史を学ばずにいたという。

これは大きな“盲点”だった。塾で時々「歴史」を話す時がある。それは学校の教科書のような歴史ではないのだが、今を、未来を語る上での過去。つまり歴史。そこには当然、東北の歴史も含まれており、東北の歴史が、「3・11」を語る上で、読み解く上で“必須”だと思うから。

塾生の多くが「歴史は苦手なんだ」という。もちろんボクも苦手だ。年号と歴史を暗記するような「日本史」には。
だから、「今」に合わせたような形で、歴史との関連性を話すようにしている。それを知らないと今の日本は語れないと思うから。

どう解釈するかはともかく、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というビスマルクの至言だってある。その言葉を引き合いに出して「歴史」を話す時がある。

「グローバル社会を見据え、日本のアイデンティティーを学ばせる必要がある」。それが政権与党の意見だとか。そんなことはどうでもいい。どうでもいいとは言わないが、アイデンティティーよりも「歴史を学んでこなかった」ことの罪は大きいと思うから。

郡山に生まれ住んでいる人達だって、安積開拓という言葉だけはかろうじて知っているが、その歴史を知らない人が多いことに唖然としたことがある。

日本史はNHKの大河ドラマで習っている。そんな人が多数なのかも。ある程度、史実に基づいて作られているが、しょせんドラマはドラマなのだ。

新島八重が日清、日露戦争を賛美しはじめた徳富蘇峰に強烈な嫌味を言う。そんな場面があったのは面白かったが。
(もっとも、それも見てはいないのです。ネットで知ったことなのですが)。

大方、歴史の教科書は「勝者によって書かれた歴史」である。「敗者による歴史書」は少ない。

例えば明治維新。明治政府は日本を「統一化」するために全国共通の国定教科書、検定教科書を作り、それを学ぶことを義務付けた。
「明治維新とはいいことだった」。そんな教えを刷り込まれてきた。官軍をよしとし、賊軍を悪としてきた。

教科書にあった明治維新。それに懐疑的になったのは福島で、会津でいろいろ学んだから。

明治維新とは何だったのだ。それを今、あらためて考えている。

昨今、この国の在り方を巡って明治維新が引き合いに出されている。たとえば言葉だけだとしても、TPP交渉を鎖国、開国といった明治維新になぞらえて。

きのう、来日中のトルコのエルドアン首相は、エルトゥールル号事故の遺族に対して感謝状を贈ったという。
安倍は二回トルコに行っている。オリンピック招致時、安倍はトルコに対して、イランイラク戦争時の日本人救出に対して礼をいったのか。少なくともその場では言っていなかった。その歴史を知らなかったからだと思う。

トルコの国民は学校の歴史教科書で、エルトゥールル号事件のことは習っている。国民はそのことを「恩」として知っている・・・。

日本史必須を支持する。ただし、その内容が問題だ。沖縄についてどう書かれ、どう教えられるのか。ビキニ環礁での水爆実験の犠牲者が久保山愛吉さんだけで終わるのか。
そして、何よりも、日本の原発史がどう記述されるのか。福島の歴史がどう書かれるのか。「不都合な真実」が隠される教科書は無意味であり有害だ。

文部科学省や中教審の「根性」を見たい。

ビスマルクの言葉をひいて塩野七生はこう書いていた。
「今の政治家は歴史にも経験にも学ばない愚者だ」と。

そうだ、もしかしたら、今の政治家の多くは高校で日本史を選択してこなかった人達なのかもしれない。

たとえ、この国にとっては「負」であろうとも、正しい日本史の教科書が出来、すべての高校生がそれを学ぶ。そうだといいのだけれど・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...