双葉郡双葉町。原発があった町、原発の“廃墟”が“残骸”がある町。
もちろん人は住んでいない。
町のメインストリートには大きな横断幕というのか看板というのか。時代を象徴するかのような“標語”が残されたままだ。
「原子力明るい未来のエネルギー」。
たぶん多くの人が明るい未来を想像して、この文字の下を行き来していたのだろう。
明るい未来を無くしてしまった町民がいるのに、この“看板”だけは今も残ったままだ。
一時帰宅の同行したテレビがその看板を”何気なく“映している。人の往来の無いところにこれだけは、あれから2年10か月になろうとしている今も、そのままで残されている・・・。
もうこの“標語”を信じている人はいない。少なくとも双葉郡の中には。
なんで「撤去」されないのだろう。線量が高いと言っても撤去作業くらいは出来るはずなのに。
東電に対するいやがらせなのか。「東京」に対する、再稼働を言う人たちへの、無言の抗議なのだろうか。
この標語は、かつて地元の子供たちに呼びかけて、採用された標語だったと記憶している。
双葉町の人たちはどういう思いで、看板の映像を見、時にはその下を車で通っているのだろうか。
廃墟の中に居座る看板。
シャッター商店街の屋上に残された実態の無い看板よりもずっと始末が悪い。
往時を偲ぶ「原風景」だというのだろうか。
往時を思った時に、心の傷に塩を塗り込むようなものに、よそ者のボクには見えてしまうのだが。
彼らにそれを聞く術を持たない・・・。
「原発遺構」として、それを残しておくのも一つの考え方だろう。双葉町にそういう”歴史“が”遺産“があったのだということで。
作家の一人が唱える「原発観光地化計画」なる“構想”とは、全く別次元の問題として。
その“看板”が映し出されるたびに、それを他所から見る目は「福島への偏見」になるような気もする。
忌まわしい過去を拭い去るのか、それを“碑”としてつるしておくのか。
残酷な光景。そうとしかボクには映らない。
もはやくすんだ看板なのか。未だ以って光り輝くメッセージなのか。
あの、あそこにある標語を見るたびに、復興とか再生とか、そんな言葉が、「看板倒れ」に聞こえてきてしまうのだが。
2014年1月9日木曜日
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