2014年1月7日火曜日

「町の文化は本の数で決まる」

原発事故で町のほとんどが帰還困難区域に指定されている双葉郡の大熊町。
そこの住民の多くは会津若松市の仮設で暮らしている。

いつの頃からかは知らないが、「読書の町おおくま」として全国に知られているという。
大熊町の小中学生は、10年前から毎朝学校で読書をするという教育を受けてきたそうだ。
町は予算を計上して町立図書館の蔵書は14万冊もあったという。小中学校の図書室にも本がそろっていたという。

それらの本は持ち出すことも出来ず、そこに置かれたままだという。

大熊の小学生は、廃校になっていた会津若松の小学校の校舎を借りて勉強している。そこには全国からの支援で8千冊もの本が送られてきているとか。

「町は読書と言う武器を持っている。それを最大限に生かす。町の未来のためにも」。そう関係者は言っている。

読書の習慣が身についている子供たちは、放射線のことについても勉強している。県の方針では年3時間がそのための勉強とされているらしい。
なんとも、こころもとない県とも思うが。

大熊の子供は年20時間、それの勉強に充てる。そして、学ぶ。読書の習慣がついていると想像力が生まれる。放射線のことにしても、単なる科学知識だけにとどまらない。その先を想像し、深いところまで考えるようになるという。

校長はこう言っている。
「読書は自立するときの糧になる。知識を増やして、みんなが同じ意見になった時でも、別の意見を言える人間になって欲しい」と。

同調なる空気が支配するこの国。その中で異論を言える人が育っていくということ。それが必要なんだと。

帰還にしても貯蔵施設の問題にしても、住民への説明が行われる。100人の集会。大きな声に支配される雰囲気。そこで持論を、自論を述べることには勇気がいる。

大熊の子供たちが読書の後、どういう事をしているのかは知らないが、クラスの10人程度に分かれて、誰かが問題を提起し、それをもとに議論すれば、話し合えば、全員が納得した結論だって生まれるだろうし、他人の意見に耳を傾けるという”礼儀“も身につくかもしれない。

「読書の町 おおくま」がいつの頃から始まっていたのかはしらない。もし、それが40年も前から始まっていれば、「原発」に対する町の姿勢も変わっていたのかもしれないとも思う。
でも、町の財政状況では、何万冊もの蔵書を持つ図書館なんて持てなかったのかもしれないが。

朝、授業が始まる前に10分か15分、読書をさせる教育をしている学校は全国にもいくらかある。

かたや、町に本屋も無ければ、図書館もない地域の子供たちもいる。彼らは「電子教育」に目を向ける。スマホで受験勉強をするのだという。学習塾とタイアップするような形で。

郡山の私立の学校では、電子黒板が導入されるそうだ。
先生の、上手いか下手かはともかく黒板に書かれた字を見ることは、それを書き写すというやり方は無くなっていくのかもしれない。

後援会で、スライド、パワーポイントを使う演者がいる。聞きに行った人たちはスクリーンに目が釘付け。喋っている人の表情はうかがえない。手元の明かりは暗い。メモをとるのも至難の業。
聞いた人の頭の中になにほどの事が残ったのだろう。

そんな疑念を持つことがしばしばある。

アナログとデジタル。そんな言葉で対比するのもおかしいかもしれないが、本を読むということは、その本の厚さ、重みに比例するかのように、ずっしりと何かを読んだ子供たちに残すとおもうのだけれど・・・。

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