2014年1月19日日曜日

「見えないもの」をめぐって

「見えないものを見る目」、そんな言葉が流行っていた。その「見えないもの」という対象は多岐にわたっていたが・・・。

「3・11」後、福島では、その見えないものとは“放射能”だった。それは今でもそうだ。

「見える化」なんていう流行り言葉に乗るつもりはないが、モニタリングポストや線量計で示される数字が唯一、放射性物質についての「見える」もの。

だから「数字」が大きな意味を持ち、数字の高い、低いが判断基準になり、それが「健康被害」ということに結び付いていく。

多分、これからも「福島」は、無機質に示される数字に支配される生活が続いて行くのだろう。

健康被害なるものの、「見えないもの」の一つだ。“1ミリと20ミリ”の狭間に何があるのか。今は、口にのぼってはいるものの、それは全く見えていないはず。

そして、もう一つの見えないもの。それは、人の心の動き。見えないものにさいなまれて、より、こころが考えが対処の仕方が見えなくなってきている。

見えないがゆえに、人と人との間に“葛藤”を生む。いや、自分自身の中でもか。

見えないものを見る。なんか哲学的で、文学的で、思索的で、上手い表現かもしれない。でも、「見えないもの」を別の言い方にしたらどうなるのか。

例えば「瓦礫」。宮城県ではその処理は完了したという。瓦礫と言う言葉で、それでしか言い表せない光景は、無くなった。見えないものになった。しかし、その跡に残った荒涼たる光景は、依然、「見えるもの」として存在する。存在し続ける。

原発事故の現場。それは「見えるもの」であり、「ここにあるもの」だ。それが「見えないもの」、「そこにあったもの」という過去形で語られるまでは。


哲学や文学は、ある意味、「ここにないもの」を対象にして、それを探す試みだった。

それが一つの“救い”のようなものだったから。

でも、「ここにあるもの」「そこにあるもの」として捉えれば、向き合い方も変わってくる。

この国は「ここにないもの」を探し、求める。そんな文化を中心にしてまわってきたのかもしれない。

常に「ここにあるもの」「見えるもの」を中心にして、もろもろ考えて行けば、あらたな展開だってあり得るのかもしれない。

「もし、仮に、原発が無かったら」。そんな論議は福島ではもう通用しない。

例えば、震災や原発事故を捉えた映画は、見えないものを対象に、その見えないものをどう表現するかに、それに携わっている人たちは、苦労し、意を用い、精魂を傾けて来た。それは今後も為されるだろう。

たとえば“家族”という小さな単位であっても、そこに横たわる「見えないもの」をどう演出し、どう演じるかに、悩み続けて来た筈。

3年前まで語られてきた「見えないもの」と、あの日以降の「見えないもの」への捉え方、考え方は違う筈。

福島にあるすべてのことを「ここにあるもの」と捉えて、さまざま考えて行かねば。

絵空事のような話にはもう飽き飽きしている。

「最後の一人まで探し出す」。年金記録の問題で、時の政府は大見栄を切った。それを誰かは信じた。でも、結果は、それが不可能であることがはっきりした。
政治の“約束”なんてそんなもんだ。
「最後の仮設が無くなるまで」、そう言われて何かを信じるのだろうか。

「今、ここにあるもの」、それと向き合うことしかない・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...