2014年1月11日土曜日

2年10カ月・・・

あれから2年10カ月。もうそんな日にちが、と思う人もいれば、まだかと思う人もいる。

何が変わったのか。何も変わってないのか。それも人のとりようで様々。

「目に見える復興は進んでいる」。先日安倍はそんな意味のことを言っていた。

目に見える復興。震災瓦礫の処理、処分状況は宮城・岩手では90%を超え大方終着点は見えてきたようだ。

福島は未だし。“汚染”されていない瓦礫ですら60%台。細々と進む除染なるもので、行き場の無い土や木を入れた野積みの「フレコン」は、いわば放置されたまま。

瓦礫処理が進んだ。それは「後片付け」が済んだということ。その後をどうするか。誰が悪いというわけではない。広がる光景は「復興」とは程遠い。

巨大な防潮堤論議が果てしなく続く。まずは防潮堤ありきということなのだろうか。津波の被災地では。

目に見えない復興。それが人の心や人間関係を指すものであれば、その目に見えないものはより「深刻さ」を増している。

福島県内は、引き裂かれた福島県内は、たとえば賠償金の問題をめぐり、たとえば自主避難、県外避難、県内避難をめぐり、県民同士の“いがみあい”や“分裂、分断、対立”はもはや修復不能な状況にすら見えてくる。

19年前の阪神淡路大震災。2年で仮設は無くなった。東北では仮設がそのままであり、その生活に慣らされ、そこから脱出する気力がだんだん失われているような気さえする。

沖縄の基地問題、原発禍の福島。それはおおかた、「その地だけの問題」とされ、「阻害」されようとしているかにも思える。

それぞれ当該地だけでは解決不可能な問題なのにもかかわらず。

「疲れた」。そんな感覚が人々を支配し始めている。

あの大震災から一ヶ月余、宮城県の山元町というところに臨時の災害FM局が誕生した。30キロ県内が受信可能区域。

未だ以って、災害情報を、地域情報を流し続けている。アナウンサーは元地元のテレビ局に勤めていた71歳の人。

いとうせいこうが書いた災後の文学といわれる「想像ラジオ」という本を想起させる。

放送免許の延長を、期限切れの前に申請した。

「仮設が無くなるまでこのラジオ放送は続ける、伝え続ける」という関係者の強い意志で。

伝え続ける努力を大手のマスコミがどれだけ持続させているのか。心もとない。

絆、忘れない、風化。そんな言葉の数々は、あまり聞かれなくなった。

2年10カ月なんだよな・・・。あと二カ月で丸3年。

大きな節目が待っている。

りんごラジオは開局以来、一日も休まずに情報を伝えてきた。わずかの人数で。カネ儲けになるわけでもないのに。

あの日から数日後。この「ブログ」なるものを一日も休まず書いてきた。それは何の役にも立たないものであり、老いの繰り言みたいなものでもあったが。

徒労感は正直ある。でも、それを言わない小さなFM局の存在に励まされる。

東京都知事選。なんだか遠い国の話のようにさえ思われることがある。
「脱原発」「反原発」。原発が選挙の焦点だと言われ、それを隠す、隠さないが言われようとも、「東京」というところの原発論議だ。

その道に分け入って見れば書きたいこと言いたいことは山ほどある。

でも、2年10カ月という節目には、近づく大きな節目の3・11を前にしては、「足元」に目を転じなくてはならないとも思う。

相変わらずネットで展開されている「デマ」、飽きずに提供されているデマ。福島を“危険地帯”だと決めつける人たち。

これからの二カ月。考えなければならないこと。考えを整理しなければならないこと。山ほどあると思った今日・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...