2014年1月22日水曜日

「修学旅行は福島に行こう」

去年の12月、東京のある大学の同窓会が郡山で開かれ、そこでの講演を依頼された。「復興はいかにあるべきか、支援はいかにあるべきか」、そんな内容の話をしてくれと言う。
講演の演題は「“知る”という支援」にした。まずは知ること、知らなければすべては始まらないということ。知るとは学ぶということであり、学べば考える。そう思っているから・・・。

国学者であり、思想家であり、碩学である末次一郎氏が書いた「色紙」を持っている。そこにはこう書かれている。

百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かず。と。

その講演の中で、いろんなことを話した。あの「3・11」、あの日に被災3県では何人の赤ん坊が生まれているか。揺れる大地の上で。100人いる。福島でも30人が生まれている。そしてみんなすくすくと育っているはずだ。その子たちはもう2歳と9カ月になっている。そんな話から始まって。
今、日本で稼働している原発は何基あるか。そんなことも問うてみた。即答は無かった・・・。

そして、こんな提案をしてみた。会場には教職者と思しき方もおられたから。
「修学旅行はぜひ東北3県に行って欲しい」と。高校生たちにぜひそこで学んで欲しいと。
知る、知った。それは忘れないということにつながる。そう思っているから。

修学旅行。今や、いやもっと以前から、それは「思い出作り」の終学旅行となっている。修学、文字通りの学び修めるということからちょっとずれているような。

観光地は、特に福島の会津では、修学旅行が来なくなったということが災後の大問題になっている。会津の地で、戊辰戦争を含め、会津の歴史を知ることも大事なことだ。だから会津の地に多くの人が来てくれることを願うのだが。

きのう、夕方のNHKのローカルニュースを見ていたら、兵庫県の高校生が修学旅行で相馬を訪れているという話題を放映していた。
高校生たちは、未だ、ほとんどあの日のままの相馬の海岸の光景、“瓦礫”の山を見た。その地で、海で亡くなった人達のことを案内人から聞いていた。
そして海岸に流れ着いた多くの“ゴミ”を拾い集めていた。

見て、聞いて、知った。

旅行特有の”笑顔“とは、次元の異なる世界にその子供たちはいた。

高校生たちは、そこから何を持ちかえるのだろうか。
記憶に何を刻んだのだろうか。

その地を修学旅行地に選んだ学校のことだから、「その後」も当然考えているのだろう。

生徒たちにぜひ「レポート」を書かせて欲しい。書いて欲しい。そして学校はそれをきちんと保管し、20年後に彼らに返せばいい。

読み返したその子たちは、大人になっているそこ子たちは、それを自分たちの子供に見せるのがいい。

それが「語り継がれる」ということの一つになるのだから。

昔、JRのキャンペーンで「そうだ、京都に行こう」というのがあった。新幹線の車内にはそのポスターが掲げられていた。

「そうだ、皆で東北に行こう」、「南三陸に行こう、福島に行こう」。そんなキャンペーンがあってもいいのじゃないかと思う。

兵庫の高校。阪神淡路大震災を経験した地の高校生。彼らは当時生まれていたかいなかったかの境目。

でも、どっかでつながっているのかなとも・・・。

福島に来て欲しいと懇願しているわけではない。来た方が、知った方が、これからの君たちの将来にきっと役立つことが、学ぶことがあると思うから。

福島は喜んで、修学の場を提供する。

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