2014年1月21日火曜日

かくも傲慢で強引な政治

「民意」とはいったいなんだろうか・・・。

選挙が唯一民意を示す手段であるとするならば、およそ民主主義なる言葉を使いたがる人たちは、名護の市長選、南相馬の市長選で示された民意。それを“尊重”して然るべきはずなのに。

もし、両市長選とも自民党が推す候補が当選していたら、「民意が示された」として、政権側もその「民意」を盾に事を進めていったであろう。
一地方自治体で出された結果を“勲章”のようにひけらかしたであろう。

結果は違った。それはすでに予想され、織り込み済みであり、それをなんとか挽回しようと、「カネ」をひけらかすという、余りにも素人じみた戦術に走り。

国政は一自治体の選挙結果に左右されないと言い放つ。500億円は“恩返し”だったのだから無しにするという。

沖縄県知事も、一市長選の結果で、自分の考えを変えることは無いと断言する。

傲慢だというほかない。自民党が大勝して衆院選、参院選。それを「民意」と皆言ったではないか。国政選挙は民意であり、地方選は民意で無いということか。

名護の選挙結果は、辺野古に米軍基地が来るのは嫌だという名護だけの”エゴ“ではないと思う。沖縄に米軍基地はいらないという沖縄県民の民意と捉えるべきだと思う。

明治政府が行った“琉球処分”以降、沖縄は“屈辱”を味わい続けてきた。その歴史が、国に対して「ノー」を突きつけたのだ。

名護の民意を中央政府は、真摯に受け止めるべきだ。

普天間返還に向けて淡々と作業を続けて行くと官房長官は言う。普天間、宜野湾市の市民は、普天間の負担が軽減されるなら辺野古を歓迎すると民意として言っているのだろうか。

原発事故によって発生した「指定廃棄物」の最終処分場を巡って、候補地にあがった町は市はもめている。「まさか自分のところにくるなんて。反対だ」。そこの住民はおおむねそう言う。

最終処分場が必要なことはわかっているが、自分のところには来て欲しくない。持ってきて欲しくない。

そんな“住民感情”なるものが沖縄にも存在するのだろうか。

政権の傲慢さ、強引さはすでにして実証済みだ。いわずとしれた特定秘密保護法の採決。あとから「反省してる」と言わざるを得ないような強引さ。

なにがそうさせているのだろう・・・。

きょう、辺野古移転に伴う工事の着工について、入札の公告を出した。市長選で示されて民意など「無かったこと」のように。

この強引さは何を意味し、何を目論んでいるのだろう。

今の政治家、もちろん与野党を問わずだが、政治のプロはいないと改めて感じる。素人ばかりだ。しかし、絶大な“権力”だけは握っている。
政治のプロとはアマチュアのことがわかる人のことを言う。プロフェッショナルとはそういうことを指す。

口だけは言う「地方の時代」「地方自治の尊重」「権限移譲」。それは格好だけのことだったのか。地方の民意を意に介せずに、無かったことのように見ることが。

実は、政権にとっては大きな痛手だったのだ。それはわかっていることであった。だから、余計に強気に出ることで、中央突破を図ろうとすることで、政権の体面を保とうとする。

自民党の幹部の一人が言っていた「アリの一穴が怖い」。そう、そんな人だっているのに。

地方の民意の無視。それは、遅からず、福島にももたらされるは必定かとも。

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