2014年1月27日月曜日

・・・そして漂流、終の棲家


空き待ちの特養ホムーへ漸くに入りし百歳の母の空き部屋

今朝の新聞の読者投稿、歌壇にあった一首。千葉県の女性が詠んだ句。
「空き部屋」をどう読むのか。百歳の母親が亡くなって空き部屋になったということか。漸く入った部屋なのに、他のベッドは空いているということか、空き部屋が目立つということか。

高齢化社会だという。65歳以上は高齢者だという。4人に一人が。たしかに街には老人の姿を数多く見かける。

「豊かな老後」と為政者は言う。高齢者に優しい街づくりが言われる。豊かな老後っていったいどんな老後なのだろう。

老後、終の棲家とすべきはどこなのか。様々な形態の老人施設。介護施設。
流行言葉の「サ高住」。サービス付高齢者住宅。ごくごく一部の金持ちの老人しか入居は不可能。

高齢者は「ビジネス」の対象だ。国や市町村の老人福祉対策も、ある意味では「ビジネス」。

地方によくある光景。それなりの大きな家に三世代家族が同居。孫と楽しく暮らす老人の図。例えばNHKの「家族に乾杯」という番組で毎回みかける図。
それが平均的な日本の家族の図としよう。

孫と暮らすことが一番の楽しみだった。仮設に住む独居老人や老人夫婦は必ずそういう。
でも、そんな些細な“楽しみ”は無くなった。一つ屋根の下に孫はいない。こども夫婦もいない・・・。

仮設で死ぬことを覚悟し、思い描いている。

一部の金持ち老人は、物理的環境としては、カネさえ出せば、“豊かな”、“安心して暮らせる”環境に身を置くことが出来る。

しかし・・・。

行き場を失い、漂流する高齢者も多いという現実。特養、養護老人ホーム。そこに入ってくるのは、そこを最後の砦とした高齢者。
そこに入るのには自治体が「措置」を決めねば入所出来ない。費用は自治体が負担する。一人当たり20万とか。赤字財政に悩む自治体はいきおい、「措置」を回避する。生活保護にふりむける。一人10万で済むから。

税金を使って建設され、運用されているはずの老人ホーム。一つの社会的基盤。
そこに入所を希望する人たちがいても、それを認めない自治体。
施設はあるが運用に、そこで働く人たちのコストにカネがかる。自治体の能力を越える維持費、運営費。

老人ホームには空き部屋が目立っているという。

三陸の沿岸に防潮堤を作る国の施策が進行している。巨大な公共工事。自治体もその建設を望む。
やがてそれが完成する。その後の保守管理は自治体の仕事。果たしてその維持費をやせ細っていく自治体が担えるのか。

老人ホームの空を待つ老人や家族。介護が必要な老人やその家族ならなおさら。
老健施設はあちこちにあり、いろんなサービスがある。しかし、介護保険に入っていても、”要望“はとてもじゃないが満たされない。
職員は不足している。そん職を希望するひともいれば、厭う人もいる。

「とかくこの世はカネ次第」という戯れ歌が現実にある。豊かな国にっぽんが言われる国にあっても。

都知事選。高齢者福祉が候補者の口にあがっているという。さまよえる高齢者、それは投票所どころではないかもしれない。

将来の絵図だ。
多くの候補者が65歳以上だというこの皮肉な光景。

高齢者を例にとった。高齢者以外にだってある。さまよえる人々。漂流する人々。終の棲家を持ち得ない人たちの群れ。

そして、ちょっと目を転ずれば、戦禍を戦火を逃れ、そこで逃げ惑う老人や子供も大勢いるというこの地球。

こんなことを書きながら、どこか内容が上滑りなのは、数年後の自分の姿を想像しているからかもしれない。
本人の意思とは無関係に、人はどこで終焉を迎えるのか・・・・。「生産人口」ではない、カネを持たない高齢者は「くたばりぞこない」の余されものっていうことなのか。

誰を恨むっていうわけじゃない。世の中ってそういうもんなのだろうなと。

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