2014年3月31日月曜日

風に吹かれて

凄い風だった。強風だった。今もその余韻が残っている。
風はどこにでも“平等”に吹く。
鉄筋コンクリートで建てられ、大きな外壁に覆われた家にも、木造家屋にも、仮設にも。
落ち葉を拾い集めていくような時も、土台だけがむき出しのかってそこに家があったところに、ただ砂塵だけを巻き上げるようにして。
クレーンが林立している原発事故現場にも。
だれも防げない、誰もとめられない。

夜半、風の音を聞きながら、防ぎようも無い気ままな風に半ば怯えるようになりながら、ボブディランの音楽が浮かんできていた。

「風に吹かれて」。Blowin' In The Wind。

なぜかこの頃、昔の音楽が懐かしい、いや、恋しい。きっと年齢のせいかもしれない。

風の轟音に注意力を妨げられながらも、フィギアスケートのエキシビションを観ていた。
浅田真央が使った曲。サッチモのWhat a Wonderful World.
1960年代後半にヒットした曲だ。その頃の”映像“が浮かび、たまらない気分になる。そう、もしかしたら、あの頃は「ワンダフルワールド」があると信じていたからかもしれない。

でも、ワンダフルワールドは無いんだろうな。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドはあるかもしれないが。

♪風に吹かれて♪。
どれほど人は見上げねばならぬのか
  ほんとの空をみるために
  どれほど多くの耳を持たねばならぬのか
  他人の叫びを聞けるために
  どれほど多くの人が死なねばならぬのか
  死が無益だと知るために
  その答えは 風に吹かれて
  誰にもつかめない
訳詩の一部。そして、“誰もつかめない答え”について、ボブディランはこんなコメントを残している。
「答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている」。

以前、昔、テレビについて語り合い、書いていた頃。こんなことを言って覚えがある。
「テレビはテクノロジーの進歩によって、リアルタイムを獲得した。そして感性に訴える報道に傾斜した。現象面だけを追い、ジャーナリズムとして機能しなくなっている」。
もちろん、デジタルなんて言葉が出てくるずっと前のもの。それは笑えるくらいに同じ状況だということ。

豊かな国、飽食の国、安全、安心な国、大量消費を促す国。使い捨てになった国、物を大事にしなくなった国・・・。
そんな「風」を巻き起こしているのは、ボブディランの頃も然り、今も然り。

ワンダフルワールドへの“エクソダス”も不可能だ。

風化・・・。そう、風が運んで行ってくれればいい。テレビが風化させてくれればいい。金持ち目当ての“現象面”だけ追ってくれればいい。貧乏人を笑いの的にすればいい。なまじっか、正義面して“同情”してくれなくてもいい。

金持ちによる、金持ちの、金持ちのためのテレビなんだから。
「風の影響で、予定されていたAKBの大イベントが中止になりました」。それがニュースなんだね・・・。

ほんと、なんだろう。今、世間に吹いている風の正体は。

普段はほとんど読まない地元紙。たまたま手にした今日の地元紙。特集企画。
風化が進み、風評被害は改善されず。「復興」の影。サブ見出しにはこうあった。「風に惑う」と。
だったら「新しい風」でも起こしてみてよ。テレビと同じじゃないか。現象面だけ追いかけているってことで。

2014年3月30日日曜日

強い国とは弱い者いじめの国のような

小さいころ親に言われ、小学校の頃は先生に言われた。
「よわいものいじめをしてはいけません」と。それはつまり「道徳」の一つだった。

一人の王様と、その王様に追随している家来たちは、ひたすら「強い国」になることを目指している。強い国とは経済成長だと思っている。

文部科学省の調査結果だったか。高収入家庭の子女は勉強がよく出来て、いい学校への進学率も高い。低収入家庭の子供は進学率は低いし、あまりいい学校に、偏差値の高い学校には入れない。お金持ちの家の子は「いつやるの、今でしょ!」のような学習塾に通え、東大に行ける。カネのない家庭ではそうはいかない。そんな“傾向”だとか。金持ちの子が東大に行って、高級官僚になる。カネのありがたみを知っているから、金持ちのための施策を考える。

ま、下衆の勘ぐりと言われてしまえばそれまでだけど。

カネの無い家の子はどうやって学習能力を高めるか。読書だという。
別の調査結果では大学生の約4割が、この一年間に一冊も本を読んでいないという。

高度経済成長。それがもたらしたのは、大量生産、大量消費。強い国を目指す王様はその理論を忠実に実行しようとしている。

消費拡大、消費拡大が合言葉だ。

「3・11」で経験したことの一つが、その生産者と消費者の問題。風評被害なるものともあいまって。
言われた事の典型。「福島の生産者は、放射能の入った食品を作り、消費者に健康被害を与えている」と言ったような。
電力の生産地福島。消費地首都圏。

生産と消費と言う言葉が、“分断線”のようにも聞こえ、もう聞き飽きたって感じかな。

消費拡大、それはつまり使い捨て文化の醸成。まだ使える物を買い替えろ。エコカー。その「エコ」ってエコロジーのエコの筈がいつの間にかエコノミーのエコになったような。思いついた一例だけど。

きのう書いたスマホの件、ipadカバーの件。まだ十分使えるものなのに「古い型」とされ、それは片隅に追いやられているという感。

インターネットが出来るってことでスマホなるものを買った。今は二台目。もうその後に新機種が多数登場している。そんない容易に買い替えられないよ。
スマホと手に入れたら、すぐipadが登場してきた。スマホを持つ必要性が薄れた。そのipadとてすぐに新機種、新機種。そりゃ儲かるわけだよな。古いものは時代遅れにされちゃうんだから。
デジタル機器の華々しい使い捨て・・・。

あれだけテレビで広告打たれりゃね・・・。

そして明後日からの消費税増税。増税対策の名のもとに買いだめ、買占め。買え、買え、買え。今ならお得の商法。皆、それに踊らされ。気がつきゃ酒もたばこも切手も“値上げ”。あらゆる運賃も。
片や無駄な公共事業のオンパレード。

3%。たかが3%、されど3%だ。低所得者には大きい負担だ。低所得者が日本経済を支えるってことなのかい。屁理屈だけど。

あらためて思う、冨者はより富み、貧者はより貧しくなるの感。

来月以降、消費の衰退が予測されるという。買い控えが起きると言う。きっとまた、「買え、買え、買え」の新商品が登場してくるんだろうな。

“どんどん進む世の中にはついていけず、困ったと言って死ぬわけにもいかず”。
90歳と95歳の老夫婦の言葉が染みるよな・・・。

弱い者いじめっていけないことだと思うんだけどな。昔人は。勝ち組、負け組って色分けもまた世の中通用してるんだろうな・・・。

2014年3月29日土曜日

風という字に恨みはないが・・・。

春の風は心地よい。つかの間、阿武隈川の河畔で、春の風の声を聴いてきた。
そして、思いはまた・・・。

福島はさまざまな風にさいなまれ、悩まされ、苦しめられてきた。いや、苦しめられている。その風は進行中―。

原発事故。当時吹いていたのは北西への風。その風は放射性物質を運び、きままに運び、ホットスポットなるものをつくり、時には風向きを変え、県外までも飛び火させ。

13万人が事実上家を失った。若松丈太郎の詩ではないが、神隠しにあった街が出現した。

そして、風がもたらしたものを見た。

風評、風化、再稼動を目指す風、風潮。何にっ問えたらいいかは難しいが、“風前の灯”なんて言葉も浮かぶ。

風、風潮、空気・・・。人間のだよ。

消費税増税という、それをめぐる人それぞれの動き。消費という言葉が「美徳」ともされているような空気。

スマホとipadのカバーが不具合になった。買いに行った。驚いた。機種が古いからがっちするものが無いというお返事。

美徳としての消費に踊らされるように、なんでも当たらしい物が次々に市場に出回る。席巻する。古いもの、わずか数年前の物であても「淘汰」されているような。

嫌な風だ。

先日書いた「万葉集」のこと。それを読んでくれた人が、HDD録画していたといって歌を書き起こして送ってくれた。嬉しい風の便りだ。

そこにある「風」という文字が入っている句。

「海風がみちびく 一艘また一艘 この空をゆく おかえりみんな」

「ひたひたと胸を打つ波魂の彷徨う郷を吹く風の果て」


もうこれ以上、逆風よくるなよ。海も陸も凪ぎであったくれよ。

阿武隈川をわたる風は“沈黙”だったような気がする・・・。

やはり風は気儘なのだろうか。

2014年3月28日金曜日

「耐えがたいほど正義に反する」

袴田事件の再審開始決定。そして釈放。
裁判長はこう言った。
「拘置の続行は、耐えがたいほどの正義に反する」と。

中学生の頃か、高校に入っていたか。「松川事件」の映画を観た。何故見に行ったのか、誰と行ったのか記憶にはないが。ラストシーン。
“まだ、最高裁があるぞ”と接見室の窓枠につかまるようにして絶叫していた死刑囚の姿・・・。

その映画を観て、将来、司法の道に進みたいと思った。そのための勉強もしたが、果たせなかった。言ってみれば挫折。それとメディアの道に進みたいという願望とのひっぱりあい。結果、司法は断念した。

その時は、青臭い青年は、司法には正義が存在すると確信していた。そして十数年、数多くの司法に関する出来事、裁判や検察、弁護士。
そこに正義が存在することを疑う出来事が沢山あった。

司法にすら「正義」が存在しない。そんな“確信”に変わった。検察の正義とは時の体制を崩壊させないこと。警察の正義は、とにかく犯人を見つけだすこと。犯人を作ること。そのためにはあらゆる手段を駆使するということ。
そして、最後の砦である裁判所は、その法解釈も含めて、恣意的な判断がくだされるということ。などなど。

袴田事件で静岡地裁の村山という裁判長は、ようやく再審を認め、かつて下されていた、いくつもの、最高裁の判決も含めて、すべての先件を否定した。そして「正義」という言葉を使った。

正義の名の下に、48年間拘留され、死の恐怖におののく毎日を過ごしていた人がいる。その人に「耐えがたいほど正義に反する」という見解を示した。
正義であるべき警察や検察の捜査を「ねつ造」と判断した。

「正義」について考えている。

何が正義であり、何が正義ではないかということ。屁理屈のようだが、世の中すべてが正義であれば、その言葉は存在しない。不正義があり、それが横行しているから正義とう観念が存在するのだと。

不公平、不平等、差別、ねつ造、欺瞞・・・。すべて「正義」に反することが、この福島の地には存在している。その「不正義」を司法は果敢に裁こうとしない。判断することを避けている。

「フクシマ」は、そのあらゆる矛盾と不正義に完全にさらされている。


そして例えば政治の場では、倫理観も含めて「不正義」に該当することが公然と行われ、暴かれると言いわけに終始する。

大国は戦争を行う。彼らは言う。「正義のための戦争だ」と。

強者と弱者が存在する。強者には強者の正義があるのだろう。弱者にも弱者の正義があって然るべきだ。弱者がいるから「強者」が生まれる。
不正義がはびこるから正義が言われる。

雇用の場でも、経済の場でも、商取引の場でも、例えば「下請けいじめ」と言われる“耐え難く正義に反する行為”が行われている。
多くの人は、それを“他人事”として見て見ぬふりをし続ける。見て見ぬふり、知らんぷり。これとて大きな概念の一つとして正義に反してはいないだろうか。

およそ社会正義とはかけ離れたところに身を置く羽目になった13万人の福島県人。
彼らにとっての正義とは。フクシマにとっての、フクシマの正義とは・・・。
だれがそれを判断するのだろうか。

だから、この際、この社会が包含するあらゆる矛盾や不正義をすべて洗いだす作業にとりかからねばならないのかもしれない。
それが、「今の正義」を考える上での要諦になるかもしれないから。

「戦争が終わる度に、誰かが後片付けをしなければならない。何と言っても、ひとりでに物事が、それなりに片づいてくれるわけではないのだから」。
ポーランドの女流詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の冒頭だ。
せめて「後片付け」の作業を正義と捉えてみるのも悪くない。

シンボルスカがノーベル文学賞を受賞した時、記念講演でこう述べている。
「どうやら、これから先も詩人たちはいつも、沢山の仕事があるようです」。

せめて司法という場に置いては、正義のための沢山の仕事があることを、それに携わる人達すべてに“覚悟”してもらいたいとも思うのだが。

2014年3月27日木曜日

そして「再放送番組」が消えた

今月19日、夜10時。NHKに「3・11万葉集」という番組があった。
「3・11」を経験した、家や家族を失った人、原発事故で家を失った人・・・。
その人たちの中で短歌という形で、三十一文字に言葉を凝縮させて、10数人の市井の人たちが、(市井を“しい”と平然と読んでいたアナウンサーがいたな、番宣で)泣きながら詠み、泣きながら吐き出した言葉。

番組に見入っていた。時々、その詠まれた短歌をメモに書きとめようとしたが、見ることがおろそかになる。だから、ただ見入っていた・・・。

正月、家に一時帰宅した人。立派な門松を据え、「この家は壊される。地震で半壊以上になっているらしい。終わりだな。これは“死化粧”ですよ」と門松の前で言っていた。その家だったか。庭にはゆずり葉が植えてあった。

避難するときに家に飼っていた犬の鎖を離した。「生き抜けよ」と言って。
いわきの高校生がつらい胸中を詠んでいた。書いては消し、書いては消し、本心を書いた。
生活の音も何も無い。足音も何も無い。

再放送があると告知されていた。再放送を見ながら、歌の数々を書きとめようと思っていた。

再放送は、NHKのホームページでも3月26日午前1時25分と書かれていた。番組で取り上げられていたいわきの高校生も、学校のホームページで、再放送の告知をしていた。

26日、つまり一昨日、いや昨日の早朝。
その時間にその番組は無かった。やっていたのは国会中継の録画。NHK予算の審議風景。延々と・・。総務委員会。
今夜も放送があるみたいだ。録画の委員会の模様が。

誰が見るのだろう。深夜の国会中継録画を。誰も見ない。そこにあるのは「放送した」という足跡だけ。

この中継録画放送。籾井会長の発言問題の余波なのだろう。かつて今は総務委員会、昔は逓信員会。NHK予算は国会承認マター。放送された時もそうでなかった時もあった。野党の一部が、本来は全会一致を建前としているNHK予算委に反対する。

もちろん成立するだろうが、「国会対策」としての深夜の録画放送・・・。

横道にそれるが・・・。安倍人事。安倍好みの人事。日銀の黒田総裁、NHKも籾井会長、内閣法制局長官の小松。
どこか似てると思いませんか。その驚くばかりの傲慢さ。発言も態度も。強い感じの人ばかりですよね。安倍さんは強い人がお好きなんですね。
自分も強い政治家だと思っているんでしょうね。

国会議員をバカにしきっている。舐めている。歯牙にもかけない。共通項として。舐められっぱなしの「おらがセンセイ」。悔しくは無いのでしょうかね。

3・11万葉集を見ながら、メモした一句だけは手元にある。
「あの道もあの角もなし閖上一丁目 あの家も無しあの庭もなし」

番組の前後に、新聞の歌壇だったか。出会った句がある。
「山なりにカーブを切れど三陸の 見慣れた町のどこにも着かない」

きょうは木曜日。東北地方だけは見られる「被災者の声」のOA日。
岩沼市の高台移転、集団移転にかかわる悲喜こもごもの話題だった。

「3年前より、今の方が涙が出るね」。一人の年寄りが言っていた。

嫌いな言葉だが。風化ということが日常の話題にもならない、語られないから、伝えられないから忘れてしまっている。それに一因があるとするならば、NHKはその「使命」を果たして欲しい。会長がどんな人であろうとも、ニュース番組には介入し、現場は意向を忖度するとしても、被災地の人たちの姿、日常を伝えることになんの異があろうか。

テレビが出来ることをテレビがやる。テレビでしか出来ないことをテレビがやる。長年禄を食んできたものの一つの“哲学”。
ただひたすら再放送を待つ。

2014年3月26日水曜日

「不信」の中での“苦渋の決断”

今、福島県は、いや一概に福島県というくくりで語ってはいけない、真実の姿を語っていないと思うが、少なくとも原発事故の影響を受けた人、避難者も、今、浜通りに暮らしている人は「限りない不信」の坩堝に身を置き、苦しみ、悩み、嘆き、諦め、“苦渋の決断”を強いられている。なぜ“苦渋の決断”と書くか。その言葉は、人の心中を推し量る上でのマスコミの常套句になっており、的確な表現手段ではないと思うから。

「不信」という実態、空気に覆われた中で、多くの人は疲れ果てている。何も信じられない。吐き捨てるように言われる言葉は真実をついているような。

そして「不信」はさらに増幅されるだろう。

「レバ・タラ」を言う気は無いが、あの事故の後、東電や政府、自治体が「嘘」を言わなければ、それは意図した嘘であった場合もあるし、意図せざる「嘘」もあったが、嘘はばれる。ばれ続ける嘘。それが「不信」となる。
もし、あの時、嘘や隠し事、それが自己保身に起因するものであったにしろ、嘘が無ければ、今置かれている事態は変わっていたのかもしれない。

事故対応、汚染水、賠償。あらゆることでの東電に対する、国に対する不信はぬぐいようが無い。増幅している。増加、増加・・・。

汚染水の増加を抑えるため、建屋に流れ込む前の地下水をくみ上げて海に流す、いわゆる「地下水バイパス計画」。それを県漁連が容認した。新聞は“苦渋の決断”だとやはり書く。

汚染水をためるタンク。その敷地だって限度がある。タンクの増設だってままならない。建屋に入る前の水を迂回させて海に流す。
それしか方法は無いだろうと思う。なにせ「能力」として、建屋からの溶けだした燃料を除去するなんて出来ないのだから。
そういう現実なのだから。

なぜ漁連が躊躇してきたのか。なんでもない水を流しても、そこに「風評被害」が発生することが目に見えているから。
多分、バイパスで水を流し始めたら、東京あたりの反原発団体や、“賢い消費者”という名の愚か者たちが、またぞろ風評を流すだろう。

多くの人が、「アンダーコントロール」が嘘だったということに気付いているから。

これまでの度重なる汚染水漏れ、人為的ミスで納得してしまって来た。ALPSの故障。漁民にとっては限りない不信に突き落とされているのだ。

それでも彼らは「行き場を失うであろう汚染水問題を見て見ぬふりは出来ない」という。諸手を挙げて賛成なんて言う人は誰もいないはずなのに。
最早、今は・・・。

「もし、汚染水が出たら福島は漁業も農業もおしまいだ。命の瀬戸際なんだ」と言う。

タンクは1年で敷地からはみ出す。もはやタンクも限界だと東電は言う。見た目にもそう思えるがこの東電の言っていることが本当の事実なのか。

バイパスに流す水は国の原子力対策本部が独立行政法人と言う名の第三者に委託して検査するという。水の状況は国の現地職員が確認に立ち会うという。

漁連は、そんな条件を受け入れた。

でも、心のどこかでは思っている。その検査や確認が正確なのかと。国に対する不信感が生んだ結果だ。

帰還問題を巡っての放射線量測定でも、国は「ちょんぼ」をやった。隠した、嘘の数字を出してきた。

もう国は信用できない。そんな空気が蔓延している。それの良し悪しはともかく帰還問題はまたも紆余曲折をたどることになる。

「強制移住だ」と声高に言っている人がいる。正義だと言わんばかりに。そんな言葉では何も解決しないのに。

不信の坩堝。もはや解消は無理だろう。ならばどうする・・・。
言うがまま、されるがまま、「諦め」の世界に行くことか。

ボクは特に福島県というところに郷土愛なんていうものは無い。単なる居住者だ。
だけど、およそ、世の中にある“平等”に“不公平”というという「感覚、思想」に腹が立って仕方がないのだ。

いくら福島の米は安全だと言っても、それが給食に使われることに猛反対する親がいる。それとても「不信」の為せる業。
行き場の無い、やり場の無い怒りを抱えて、当事者ではないボクですら、いい加減疲れているのだ。

2014年3月25日火曜日

「熱い胸と冷たい頭」。卒業式で語られたこと。

埼玉県の飯能市に「自由の森学園」という中・高校がある。そんなに歴史が古い学校では無い。知り合いがそこの学校の寮監をしていた。その縁から、当時の経営者の人達と知り合い、行く詰まった学校経営のことで相談を受けたことがある。ほんのちょこっとだけだったが。触れ合いは。

いわば、当時の「落ちこぼれ」を集めて、自由に文字通り学ばせるという方針の学校だった。
そして、芸術家や自由人、文化人の多くを輩出する学校になっている。

数日前、その学校の卒業式があった。そこでの校長の送る言葉をネットを通じて知った。

素晴らしい式辞だと思った。その学校の卒業生だけのものにしておくのはもったいないような言葉が送られていたから。その言葉を送られた卒業生たちは見事な社会人生活をおくるかもしれないとも思ったから。

今年の卒業生はいわずもがな3・11の時の入学生だ。震災の影響で入学式も遅れ、満足な式ではなかったはず。
被災地に足を運び、さまざまな活動をした子もいる。外遊びの出来ない福島のこどもたちを自由の森に来てもらい、一緒に遊ぶという活動に参加した生徒もいる。
原発や放射能の問題に取り組んだ生徒たちもいたという。

そんな3年間を送った子供たちに校長はこう言っていた。
「一つの言葉を紹介する。それはイギリスの経済学者マーシャルの言葉。“熱い胸と冷たい頭”だ。
支援しようとする人は、支援を必要とする人達を思い、その力になりたいと願う熱い心。熱い胸がなければならない。また、その熱い思いを生かすには、どのような条件や方法、行動が必要なのかを見極める冷静な判断や科学的認識がなければならない。

この言葉は、さまざまな困難な状況に出会った時、この状況をなんとかしたい、なんとかしなければならないという“熱い胸”はもちろん大切だが、熱い胸だけで突き進んでいくことや、判断してしまうことの危うさをも説いている。熱い胸の実践を生み出すためには“冷たい頭”が必要なのだということを言っている。
冷たい頭とは表面的なことだけで決めつかるのではなく、その背景にあるもの、つまりは“目に見えないもの”を見ようとすることだ。それは“新たに学ぶ”ということなしには出来ないことだ。

熱い胸を抱き、冷たい頭で考えようとすることは、つまり、学び続けることだ。そして、その先に新しい考え方、新しい物の見方、新しい未来が見えてくるものだと思っている。

学ぶことは仲間とつながること、学ぶことは社会に参加すること、学ぶことは自分自身を発見すること。これを胸に刻んで欲しい」。

要約すれば以上のような内容だった。

最後の締めがまたいい。「健闘を祈ります。卒業おめでとう」。
健闘を祈る。卒業生に未来を託したということ。

知る・学ぶ・考える。その三つの思考の連鎖を怠るな。そう塾生には問うてきた。投げかけてきた。見えないものを見る目を養しなえとも。

期せずして、この校長の式辞の言葉と合致している。そう感じた。


「肥えた豚より痩せたソクラテスになれ」。有名な東大の南原総長の卒業式での訓示の言葉を、有名な言葉を思い出す。
そして、結果、肥えた豚にも似た人達の集まりに馴染んで行った人達もいたことを。

自由の森学園の卒業生がどんな道を歩むのか。希望を託してみたいと思って・・・。

間もなく入学式の時期だ。そこでどんな言葉が聞かれるのだろう。
一つの言葉によって、人の一生が左右されることだってある。

2014年3月24日月曜日

「水」に負け続ける原発

冷却水が無ければ原発は爆発する。過酷な事故と起こす。関係者なら誰でも知っていたこと。
その水が無くなったことで、あの事故は起きた。いかなる技術も水には負けたということ。

4年前のことがそうだった。黒田如水の作と言われる、多分、永平寺にある「水五訓」というのを引き合いに出して、書いたこともあった。

多核種除去装置、汚染水除去の切り札とされてALPSは、用をなしていない。
故障したままだという。復旧の目途は無いらしい。
それとても、試験運転中の現在進行形だったものが。

汚染水処理は破綻した。

高濃度汚染水がタンクにたまる一方だ。極端な話し、タンクは高濃度汚染水で満たされてしまうという事なのか。

タンクの増設はどうなっている。それこそどれくらいのタンクを、あの無様な山を作るつもりなのだろう。

これが科学立国、技術立国の現状。
またも「水」にやられた。「水」に負けた原発。

事故当時は国中の英知が、そこに向けられていた。原発にだ。その英知の真贋はともかくも。

「アンダーコントロール」発言以来、一部の人を除いて、事故現場への関心は急激に薄れた。どうにかなるだろうという安易な楽観主義がまたもや頭をもたげ。

こと汚染水に関しては東電も政府も、関係者も「お手上げ、ギブアップ」ってことじゃないのかな。人為的ミスなんて言い訳以前のことだ。

高濃度の汚染水がつまったタンクが陽光に映えて黒光りしている光景。

福島県双葉郡の中にある光景・・・。

「工程表」などまさに絵に描いた餅。人の手が及ばないように水が暴れまわっているのだ。

そこが落ち着かない限り、問題を全く起こさないという状況にならない限り、「帰還」云々を政治として俎上に乗せ、何かはやっているなんていうことは茶番に等しいのだ。

「人知は及ばない」。

あらためて肝に銘じることじゃないのかな。

どうも不思議だ。ALPSのことはマスコミのネタにはほとんどなってない。
放射能の煙の中に隠されてしまっているかのよう。

人々の関心は、中国大陸から偏西風に乗ってやってくるPM2.5や0,5に集中する。その原因の一つが化石燃料だ。

環境省は温室効果ガスの危険、危機を訴える。化石燃料を使うことがその原因だとして。

大気汚染、健康被害。それを防ぐのはクリーンエネルギー。つまり原発だ。そう言わんばかりの“マインドコントロール”を仕掛けているような。

温室効果ガスは地球を温暖化に向かわせる”悪“の標本のように言われる。たしかにそうなのかもしれない。でも、本当に地球は温暖化に向かっているんだろうか。

誰もがみんな知っている。いま原発はこの国では動いていない。電気は、それこそ“無駄遣い”されている。消費税増税で、家電商品は売れに売れているという。

とにかくなんかが「変」なのだ。いや、なにもかにもが「変」なのだ。そして「変」なことだらけの世の中を”当たり前“と思っている人達も大勢いるということ。

またもだんだん不機嫌になってくる。春に背いて。

2014年3月23日日曜日

「逃げる」。その言葉の多様性

「人間はな、辛いことや苦しいことがあると、逃げることを考えるんだよな。逃げても誰からも責められない。逃げると楽になる。
でもな、一回逃げると言う楽を味わうと、二回、三回・・・。ずっと逃げ続ける。何かがあると。一生逃げ続けるのかい。人生の終末を迎えて時、きっと後悔すると思うぞ。逃げ続けてきた人生を。だからな、逃げている時に、それに気付いた時、いっかい逃げることをやめてみないか。立ち止ったみないか。向き合ってみないか」。

山田太一のドラマだったか、倉本聡のドラマだったか、そんなセリフがあったのを覚えている。

数日前、一見でお越しになったお客さまが、当からから亭に来られた方が“逃げる”という言葉を、悩みの一つとして書かれていた。それに触発されて思い出したドラマのセリフ。

半日以上かかって、本になっているドラマの脚本を、彼らの作品のほとんどを持っているのだが、持っていたのだが、黄ばんだ紙のなかにそのセリフのページを見つけることが出来なかった。正確なセリフを引用したかったのだが、うろおぼえの記述になってしまった。

「3・11」があって、「逃げる」という言葉が、さまざまな意味で多用され、その言葉をめぐってすら対立を生み、また、その必要性も言われ、言葉だけが独り歩きを始めたような。


津波が襲来した。皆、逃げろといい、逃げた。当然のことだ。逃げること以外に身を守る手段は無い。正しい選択としての「逃げる」。

原発が事故を起こした直後、「水が無ければ原発は爆発する、終わりだ」。それに知悉していた作業員は、避難指示が出る前に、一家をあげて逃げた。逃げて四国にまで行った。

東京にいた長淵剛は沖縄に「逃げた」。逃げている自分に気づいて戻った。被災地の激励慰問に励んだ。と言われている。

原発メルトダウン。時の政府は「逃げた」。居場所を変えたということではなく、目の前の現実を直視し、有効な対策をとることから「逃げ」た。
情報を隠すという「逃げ」をうった。

東電本社は全員退避という「逃げ」を選択しようとした。

1Fの所長は、その場に立ち止り、残った作業員とともに、惨事の拡大を防ごうとした。

強制的に「逃げる」ことを強いられた人達。その人達は例えば仮設を逃げ場所にして暮らしている。流浪の民を強いられている。

見てみないふり。それも逃げだ。
現実から目を背けることも逃げだ。

それを責めるだけでは何も解決しない。

除染、帰還・・・。そのループも、決して解決には向かわない「逃げ」の範疇化もしれない。

自主避難者に浴びせられることもある「逃げた」「逃げない」の応酬。

避難している人たちに対する支援。その延長線に浮かぶ強者と弱者の論理。
帰還を目指す。立ち止る。それは自立への道。

「支援から自立へ」。「支援と自立」。4年目の中にあって、思考の根幹に据えなくてはならない、答えを見つけにくい課題。しかし、自立と言う思考の中には、対等、共有と言う発想も生まれるかもしれない。

平易な言葉だが大きな意味を持つ「逃げる」ということ。その多様性。

今も、我々は「逃げる」という言葉の“支配下”に置かれているようだ。
何かから、現実から、逃げている人もいる。逃げようとしている人もいる。
逃げていないと思っている人もいる。逃げることを止めようとしている人もいる。

「逃げる」。むずかしい言葉だ。

ボクだって逃げようとしているのかもしれない。いや、逃げて来たのかもしれない。書くと言うことを隠れ蓑にして、自分の心の中にある“ワダカマリ”から逃避しようとしているのかもしれない。

「書く」という作業から逃げ出したくなる。そんな“誘惑”に負けそうな時があることも含めて・・・。

2014年3月22日土曜日

「強い日本」ということ

96兆円余り。巨額な国家予算が一昨日成立した。成立を受けて安倍晋三が記者会見をした。そこで「強い日本」という文言が出た。

“強い日本をつくるのは、他の誰でもない、私たち自身であると申し上げてまいりました。15年以上続いたデフレからの脱却は、国家的な事業。与党も野党もありません。その意味で、今回の予算の早期成立は、国権の最高機関である国会としてのデフレ脱却に向けた強い意志を内外に示していただいたものと考えております”。

冒頭の発言である。あれ?持論だった「美しい日本」というフレーズはどこに行ってしまったのだろう。

この会見を聞く限り、「強い日本」というのは、デフレから脱却し、アベノミクスとやらで、経済を成長させる。“強い経済を取り戻す”と自身でも言っているように、経済優先社会にまい進するってことだ。
それが“強い日本を取り戻す”ということだと。

そうか、安倍の言っていた「日本を取り戻す」とは経済の事だったのだな。

連日、マスコミは賃上げ、ベア満額回答を称賛するような報道。要求さえ通れば何らの瑕疵無しとする労働組合としての連合。
消費税引き上げをめぐっては、その本質よりも、駆け込み買いだめに走る人々の群れを、売り場に殺到し、狂気のごとく買いあさる人達を、3%の節約商法に乗せられながらも、賢い消費者として仕立てあげる報道姿勢。

こりゃ「安倍の天下」だな。

どうやら経済は着実に回復しているようだ。みせかけも実態も。
経済は成長に向かっている。そう思ってみよう。

すべての原発は稼働していないのに。

安倍の思うがままにこの国は動いている。

「美しい日本」。そのフレーズに酔いしれた“信者”がいた。安倍のせいではないが、国土としての福島は“美しい日本”の範疇から外れた。
福島だけでは無い。宮城も岩手もそうだ。しかし、そこには人の美しさは存在する。存在した。

思い出して欲しい。3年前を。支援物資の前に出来た列。誰もそれを乱しはしなかった。空腹の中、寒風の中、順番を待っていた。我先に・・。そんな光景は大方無かった。そこに「美しい日本人の心」を見た外国からは称賛を得た。暴動も起きなかった。

「3・11」は多くの弱者を生んだ。弱者は弱者なりに「自立」の方途を探っている。しかし、その弱者への目線はいつしか為政者からは消えた。
復興の名のもとに、使い切る手段とてない予算をつけて、それに「シロアリ」だけが群がり、配慮を怠っていないと言い切る政権。

それにしてもだ。

あの首相会見なるもの。どうにかならないものだろうか。
戦後レジームからの脱却を言うなら、官邸の記者会見のレジームも変えたらどうだろうか。

冒頭発言はプロンプターの読みあげ。記者からの質問は事前に通告済み。その答えは官僚、秘書官が書いて渡す。それを読んでいればいい。
記者の質問は一人一門。二の矢、三の矢は繰り出されない。出来レースの記者会見。田舎芝居だってやらないぜ。

官邸記者クラブ、正式名称は「内閣記者会」。そこに何年在籍していただろう。でもあの当時は、事前に質問内容は通告したけど、さらに突っ込んだ質問も“許されて”いた。

そして会見の時間。昨日の。まさにNHK時間。夜9時から20分余り。たったの20分。かつては1時間は当たり前だった。冒頭質問は幹事社。朝日新聞とテレビ朝日のキャップ。
つまらない質問。
会見が終わるとNHKのスタジオでは記者が“解説”。とてもじゃないが解説では無い。「こう述べてました」と安倍発言をまとめて繰り返す。
これは今に始まった事ではないが、NHKニュースのくだらない実態。

マスコミこそ前例というレジームから脱却しなければ。その気概ありやと問いたい。

マスコミとて、もはや「安倍の意のまま」。“親密な関係”にもとずいて、バラエティー番組の触手を伸ばした。

強い国。覇権と言う言葉を連想する。強い物にはなびく。支持率50%越え。安倍の意のままに動くことは居心地いいことなのだろう。

強いという言葉からは弱いという言葉は排斥される。

しばらくは弱者の視点で、弱者の目線で、いや、弱者として、この国の有り様を見て行こうと思っている。
弱いものがいるから強いものが成り立っているのだから。

2014年3月21日金曜日

”きょう”は母の命日なのでもあり・・・

昭和61年3月22日没。釋尼妙久。母の位牌にそう刻まれている。
この年、お彼岸の中日、春分の日は22日だった。
今年は21日。

花を手向ける。仏壇に。

母親の記憶をたどると、すべてが戦中、戦後と重なる。
腹をすかした子供たちに必死に食料を確保しようとしていた。
いろんな仕事についていたらしい。
戦争ですべてを無くすまでは奥様だったが。
一瞬にしてすべてを失った。空襲で。焼夷弾で。


母親の仕事に後を追ってついていったこともある。
その時出会った光景。

上野駅のガードのところに身を寄せ合うようにしてうずくまっていた子供たち。
家を無くし、親を無くし、行く場の無い子供は、どこから聞きつけたのかガードの下にたむろしていた。

その子たちは「浮浪児」と呼ばれていた。同じような年格好だった。
顔は汚れに汚れ、着ているものはボロだった。

突然、「浮浪児狩り」というのがあった。警察か保健所の管轄の人か、区役所の人か。子供たちを立たせ、並ばせ、彼らについているノミやシラミやダニを退治する。頭からつま先まで白い粉を散布し。消毒剤を浴びせかけ。そして彼らはトラックに乗せられ、どこかに運ばれて行った・・・。

浮浪児。戦後にあった光景。戦争を語る代名詞としても。

どこに連れていかれたのかわからないが、彼らもまた「棄民」だった。

大礒にあったエリザベスサンダーズホームとうところを訪ねた時がある。米兵と日本人女性の間に生まれた「合いの子」の収容施設。親の無い子供たちを育てていた沢田美紀さん。財閥、岩崎弥太郎の孫娘。夫は元外交官。運営資金を出していたのは、もちろん匿名、世間に対しては名を出さなかった、その頃、世間から「色眼鏡」で見られていた人。その人の名を沢田さんから聞いた。右翼の大物とも言われていた。

ホームで暮らし、巣立って行った子供たち。それも棄民だった。

大人たちはヤンキーゴーホームと叫び、子供たちはギブミーチョコレートとジープに向かって声をかけていた時代。

「棄民」でる浮浪児がいなくなった上野駅は、やがて、集団就職の子供たちで埋め尽くされるようになった。集団就職、それは東北からの子供たちだった。

棄民を排除し、金の卵を受け入れ、この国は豊かな国へとまっしぐらに進んでいった。豊かさの前に棄民があったという“歴史”。

原発事故は多くの棄民を生んだ。その棄民の事は無かったかのように、その棄民は経済成長のための必要不可欠なものとされた電気の“乱用”の中に生まれ、より豊かな国、さらなる経済成長を目指して「再稼働」という実態が進んでいる。

経済成長のためには「棄民」が必要となるのだろうか。意図するかせざるかは別にして。

母親の霊前に花を手向けながら思う。埼玉県の騎西高校校舎にあった双葉町の“棄民”。最後の避難所。そこに暮らす人達は、校庭の片隅に花を植えていた。花を育てていた。「土を触っていないと落ち着かない」と言いながら。

津波で町を流され、水産加工業には戻れなくなった人はいう。
「もう俺らは花を咲かせられねえ。俺に出来るのは耕して種をまくことだけ」。

10年後、20年後に花が咲くことを念じながら。

NHKから毎日流れてくる「花は咲く」の歌。花は何処へ行った、花はいつ咲く。歌は言う。「いつか・・・」と。

「いつか」。その言葉が希望の光となるのだろうか。その「いつか」に思いを託すしかないのか。

今年の彼岸はなぜか寒い。

2014年3月20日木曜日

もう一つの「棄民」

あえて過激に書く。福島について。

13万人の避難者。仮設で暮らす人たち。3年経って露骨さが見えてきたのが「棄民思想」であり「棄民政策」だ。

それは政権と言うよりも、国家によると言ったほうが正しい。

避難区域の解除、帰還促進。帰還に応じるか応じないか。二者択一の選択。
帰還すれば賠償金打ち切り。あとは自分たちで考えろということか。

明日が見えないまま、仮設で暮らす人たち。帰還の前提として“刷り込まれた”除染。出来もしない除染をちらつかせて、なお「帰りたい」という人たちを惑わすやりかた。

雨漏りもし始めた。仮設から抜け出す方途は・・・。

その人達と真摯に向き合う姿勢はどこにも無い。まるで自分たちでどうにかしろと言わんばかりの。事実上の「棄民」でしょ。その人達に向けた言葉としては残酷だと思うけど。

事実、彼らは気付き、言い始めた。「俺たちは棄民なんだよな」と。
国家権力に無意識にある空気。「それは、もはや、どうしようもない、どうでもいいこと」。

満蒙開拓団、いや夢あふれる満州。敗戦と同時に、多くの日本人は、その地にいた人達は、国家から見捨てられた。敗戦から国家を立ち直らせるためには、かまっていられなかったのだ。そこに手を差し伸べることも思い及ばなかった。

「棄民国家」なのだと思う。棄民を作る以外に国家は成り立たない。

ALPSは停止している。高濃度の汚染水は行き場を失っているかの如く。現場はお手上げだ。
それでもコントロールという言葉は生きている。永田町の議論の中で、それが俎上にのぼっているのか。関心の対象では無くなっているのかもしれない。

東京オリンピックと「フクシマ」と。オリンピックを招致したいがゆえに、「フクシマ」については嘘を言った。

東京にはホームレスと呼ばれる人たちがいる。2千人は越えている。全国では1万5千人を越える。それでも少なくなったほうだと国は言う。自立支援法が役立っていると胸を張る。

東京では、ホームレスを根絶やしにする施策が、半ば“暴力的”にさえ行われている。

東京で、なんとなく顔見知りになったホームレスがいた。犬が縁で。彼の話だ。ある日、野良犬が迷い込んできた。ブルーシートの中に入れた。犬は居つくようになった。ネコが登場した。ネコも仲間入りした。
動物のエサを獲るためにホームレスは空き缶集めにあるく。そこで得たなにがしかの金。それで動物のエサを買ってきて与える。

行政の人が来る。執拗に立ち退きを迫る。押し問答。「こんな生活していて意味があるのか。死ね」という罵声を浴びせられる。「なりたくてなったわけではない」と答える・・・。

顔見知りになったホームレスは、どこから拾ってきたのか。いつも本を読んでいた・・・。前職は聞かない、彼の人生行路は知らない。

ホームレスに立ち退きを迫る。その根底にあるのは「排除の論理」だ。汚いものは無くす。綺麗な東京を見せる。そこにも東京オリンピックの“翳”を見る。

ホームレス。都会の中の「棄民」だ。汚いものは身近から排除する。「都民」の“悪意無き意思”が働いている。

政治家菅直人は“戦友”だった男が、選挙で借金を負い、ホームレスになったのを知らんふりした。

「知らんふり」をしないと権力の頂点にはたどり着けないのかもしれない。

「フクシマ」を知らんふりしないと、国家は成り立っていかないのかもしれない。

春の雨は、時には意地悪な、嫌味なことをも書かせる。

2014年3月19日水曜日

今日は「開店記念日」だった

あの「3・11」でメチャメチャになった通信環境、パソコンそのもの。ようやく“回復”させてもらい、「からから亭」を新装オープンにこぎつけたのが4年前の今日だった。

「この国の姿」と題して、溜まっていたものを一気に吐き出すように、書いて、書いて、書きまくって来た。

開店したのが2005年。架空のネット居酒屋「からから亭」。そこにはほとんど居酒屋談義のようなことを、笑い話やうっぷん晴らしを、定休日を挟んだりしながら、日に数十行。愚にもつかないことを書いてきた。古いおしゃべりはサーバーの不具合があり、大方消えてしまったが。

今、見返しても笑える。ばかばかしいくらいに笑える。3月10日は目光のから揚げの話。まさに居酒屋。メヒカリをにっこうと読んだ客がいたという“実話”。

情報が途絶された中での絶望感とパニック。情報を開示しようとしない東電や政府。うろたえる政権。情報過疎の中で、機能していたネットでは“拡散”という二文字が付けられ、さまざまな風評なるものが“拡散”されていた。

助け合う被災地の人達、買い溜めに走る人達。確かな情報がなければ噂が噂をよび、疑心暗鬼をよび。いつか来た道をたどっているようだ。

そんなことを書き、それから連日書き始めていた。
「出来ることをしよう」。そう思った時、書くと言う手段しか思い浮かばなかったから。

そして3年。数日分を読み返してみると、結局何も変わっていないじゃないかってあらためて思う。

書く字数は増えた。

日記替わりでは無い。その日、その日、毎日思ったことを、そこに何かの意味があるかと問われれば、全く無意味な、徒労のようなことをやって来たと思う。

過日、親しい友達から「友情ある説得」を受けた。一献傾けながら。
「俺はね、あなたの体が心配なんだ。毎日書くことの労力を思うと。すこし休んだらどうだ。たまにすればいいじゃないか」。
有り難かったし、嬉しかった。でも、結果、今のところ彼の友情に背いている。
思うことが、考えなくてはならないことが日々増幅されてきているようだから。

もう少し続けてみようかな。厄介で億劫な作業だが。
愚にもつかないことばかり書いているバカがひとりくらいいてもいいのかな。
そんなことも思う。

「3・11」絡みの話から抜け出し、以前のような「居酒屋談義」に戻ろうかなとも思う。でも、居酒屋談義に付き合っていてくれていた人は、もしかしたらもう、離れていってしまったのかもしれない。

迷いながら、「春」を、また来る「春」を受け入れようとしている。

とりあえず「閉店の挨拶」はちょっと仕舞っておこうかな・・・・。とも。

2014年3月18日火曜日

「耐えられない軽さ」

新聞にあった本の広告。新潮45という雑誌。特集、「政治家たちの耐えられない軽さ」とある。別に読みたいわけでもないし、興味も無いが。

最近出版された本。タイトルは、たしか「ネットでつながることの耐えられない軽さ」とあったと思う。たしか「暴走老人」を書いた人だったか。

他にもどこかで見たんだ。「耐えられない軽さ」という表現を。

耐えられない軽さ。このフレーズはチェコの作家が書いた小説、その後映画にもなった「存在の耐えられない軽さ」から引っ張り出したのだろう。かなり流行った映画だったから。福島市のフォーラムという映画館に観に行った。そうだな、20年以上も前だったか。

チェコという国の翻弄される運命を描いたものだし、男女の複雑な関係を紡いだ物だったし。
主人公の女性が別れを決意して言った言葉。
「私にとって人生は重いものなのに、あなたにとっては軽い。私はその軽さに耐えられない」。そんなような言葉だった。
この言葉をきっかけに物語はさらなる展開を見せるのだが・・・。

多分、自分もその時そうだったように、この「存在の耐えられない軽さ」という言葉に惹かれ酔った。

そして、その言葉が時折“借用”されるようになっていると思える。誰しもが思いうかべられるような表現ではなかったから。

そして「耐えられない軽さ」という部分だけが独り歩きをはじめたような。

もうずいぶん前から、日本人の言葉の貧困さに辟易している。およそ「物を書く」ということを生業にしている人達の間でも、言葉は貧困だ。

かつて文豪と呼ばれた人のような言葉の重厚感が無い。なんとか賞の受賞作品にしても然りだ。
言葉の貧困さは人のこころの貧困さにつながっているような気がする。およそ政治家と言う人たちの口から発せられる“コトバ”は、ほとんど言葉の態を成していない。官僚の作文には「騙しのテクニック」しか存在していない。

カタカナ語の流行り言葉は、耐えられない軽さどころか、その存在すら認めたくはない。

借り物言葉で何かを言おうとする風潮。それを良しとしていることに耐えがたい。

どうして、日本語がこんなに軽いものになってしまったのだろう。と思う。

存在の耐えられない軽さの、人が、事象があまりにも多すぎる。耐えられない軽さの言葉が乱発されている。

乱発される軽い言葉・・・。今、「存在の耐えれない重さ」の言葉がある。
「故郷」だ。

故郷。帰る、帰らない、帰れない・・・。今、真剣に、いやになるくらい真面目に、疲れ果てて眠ってしまおうとも、突きつけられている「故郷論」。
20キロ圏内にいた人達の故郷論、故郷観。
自主避難して、他県に移り住んでいる人の「故郷論」。耐えられないくらい重い。

“原発戦争”が惹起した、今の故郷論。70年前の戦争にあった「故郷論」。希望であり、憧憬の地であった「ふるさと、母国日本」・・・。
軽々には語れぬ、しかし語らねばおさまらない「ふるさと」。重みが日々増してくる言葉・・・。

2014年3月17日月曜日

「何を今更・・・」の感

「3・11」が過ぎ、3年という節目でやっていた、被災者、避難者の一人一人の声や悩み、苦しみ、現状。そんな“国民の物語”としての原発、その話題は、ほとんど姿を消した。
また、“国家の物語”としての原発が伝えられる、勢いを増し始める。いいことなんだけど。

4年前の今日、17日。何をしていたのだろうか。毎日の行状を記録にとどめることをしない身、多分、半壊した坪井病院に、予約患者だけに発行される投薬の処方箋をもらいに行っていたと思う。ロビーで置かれた多々一つの机、パイプ椅子の医師、看護師・・・。
3・11のちょっと前から「禁煙治療」をやっていた。半ば“成功”かと思っていた時に起きた「3・11」。“破壊された家の中”。それを見た時にまず手にしたのがタバコだった・・・。でも、その治療途中だったがゆえに、薬をもらいに行っていた。

結果「不成功」のまま至る現在。

「原発ホワイトアウト」というノベルを書いた現役官僚という人がいる。もちろんペンネームしか知らないが。
その本に書かれていること。男女の事は下手な付け足しにしても、原発を巡る、政・官・電力会社。そこに裏として書かれていることはほとんど事実だと思う。なぜなら、その世界に長年身を置いていた体験、見聞からして、それは容易に想像出来ることだし。金・欲・保身・出世・・・。その実例を「原発」以外でもさまざま見てきた、聞いてきたから。

その本にある原発の話は、まさに「国家としての物語」だ。それを知ることは原発を語る上でも必須なことではあるが。

その作者が新聞記者と一緒に1F周辺を歩いた。“破壊された”光景を見た。今月の話だ。記事にある彼の言葉をいくつか。

「原発政策は考えてきたけど、周囲の人の生活は見えなかった。ここが僕のふるさとだったら許せないし、許さない」。

匂いや空気は感じられないだろうが、その光景はテレビ見ればわかるはず。見ようとしなかったってことじゃないのか。中央の官僚って、おそらく大半はそうなのだろうと再確認する。

「県名を原発につけなければ被害がなかった地域にまで、風評が広がることはなかった。安全神話の中、そんなこと思いつきもしなかったでしょうね」。

今、原発は48機ある。県名がついているのは福島と島根だけだ。なんでそうなったのか、それを知りたい。逆に、福島原発と呼ばれるがゆえに、隣接した宮城県の丸森町に降った大量の放射線。そこへの配慮は為されていないという事実。

彼は南相馬に向かう。
20キロ圏内でも、測定値は大きく変わる。「東京と同じくらいのところがあるんだ。でも、今なお避難区域は解除されていない。行政が線引きした瞬間に、コミュニティーが崩壊した。官製のゴーストタウンです。被害状況がわかった今だからいえるのですが・・・」。

県と言う行政区画。コンパスで引いた線。その非をもう、2011年以来、何回言い続けて来たか。そのばかばかしさ、おかしさを。

だから、「何を今更・・」って思ってしまう。“小説家”に悪意は全く無いが、いや、分かろうとしているのだろうが、何で今更、何を今更なのだ。
なぜもっと早く、見ようとしなかったの、知ろうとしなかったの、その上で想像力を働かそうと思わなかったの・・・。

知るという努力を怠っていたのだ。もちろん、今でも知ろうとしない高級官僚はたくさんいるが・・・。

告発本を書いたということは彼の「贖罪意識」からなのだろう。
「東京の無関心な人に“あなたも加害者だ”と伝えたい、私なりの発信を続けていきたい」。そうも言っているみたいだ。
案内した記者も協力しなさい。そして、「国民の物語」としての“告発小説”が出来るのを待っているから。

2014年3月16日日曜日

「安全」なのに何故「避難」

缶コーヒーBOSSのCMに登場する宇宙人のジョーンズに話を聞いてみた。
彼は、やはり、この惑星に存在する人間はオカシイという。不思議な生物だと言う。

彼の持つ日本語の能力では理解しがたいことがまことしやかに議論されているという。


原発は再稼働に向けて動いている。原子力規制員会が作られ、そこで安全審査が行われ、安全基準に合致したものは再稼働認可にむけて動き始める。

原発施設のすべてのこと、そこの地層のこと、あらゆる装置のこと。もろもろを専門家という人たちが審査し、「安全」という太鼓判を押す。

審査、再稼働の合否。それを判定するのは委員の先生。しかし、その下書きは、各省庁から出向してきた官僚が、事務局という官僚たちが書く。
どこかでは電力会社とすり合わせながら。

「絶対安全」と認めれたものにお墨付きを与える。防潮堤の高さも当然審査の対象。そして「半径30キロ以内の避難計画策定」も最終的な再稼働決定の重大な要素。


「絶対安全」なものに、なんで事故を想定した避難計画が必要なのか。安全なら避難なんて考える必要はないのでないか。避難計画が必須要件ならば、そこは安全ではないのではないか。

ジョーンズはその論理的矛盾を指摘していた。

「偉い人たちが集まって、子供でもわかるおかしな議論を繰り返している」と。

日本の各地を見て来たジョーンズは言う。

「避難計画っていうけれど、何万人の人が一斉に避難するなんてことがかのうなんだろうか」と。たとえば1万人の人が一斉に車に乗って避難する。動き始める。どこの町でも地域でも、道路は日常生活の人の動きに見あったように作られている。そこの住民が一斉に動くなんてことは想定して作られていない。

原発事故が起きる主因は地震だ。地震はあらゆる道路も破壊する。車は動けない。自衛隊の大型輸送機を100機も持ってきて、人を運ぶのか。そんな飛行機は無いはずだ。千人単位の人を収容出来るような。

仮にその30キロ圏内から脱出出来たとしよう。どこにその人達を“収容する”のか。そんな暮らしの場所はどこにも確保されていない。とにかく逃げろっていうことだけか。

どこかに「避難者用の町」を万の単位の人が住める場所を作っておかなかればならない。そりゃ無理だ。狭い日本、そんなに急いでどこに行く。そう言っていたじゃないか。

ジョーンズは吐き捨てるように言う。

放射能が一杯の地域に逃げ遅れた人を誰が助けに行くのか。「私なら御免だ」とジョーンズは言う。

「おかしな物に手を染めて、そこから甘い汁を吸い、先生方の安全と言うお言葉をあえて信じ込んでいこうとする。ばかばかしい」とも。

「避難計画があるということは危険だということ」。避難する方途を考えるよりも、予期せぬ事態が完全に起こり得るということも考えたら、その大本を“忌避する”。それがまともな事なんじゃないかな。少なくとも我々宇宙人ならそうする。

マスコミという職業に居る人たちも、目先の論議だけに惑わされて、そこにある本質的疑問に触れようともしない。
たまさか「学問」を身に付けたこの惑星に住む人達は、自己矛盾だらけの議論に酔っている。

缶コーヒーでも飲んで一服して考えてみればいい。

ジョーンズはそう言い残して次の惑星に向って行った・・・。

2014年3月15日土曜日

デジタルと倫理とマスコミと

“佐村河内”と“STAP細胞小保方”事件と・・・。事件なんていうとちょっと的外れのようだが。

騒ぎを作り、騒ぎを増幅させ、正義の側に立とうとするマスコミ。そんなひねくれた目線で。

佐村河内のNHKのドキュメント。あの中の映像。暗い部屋、スタンドの明かりだけ。聴覚障害なのに、テレビの照明が影響を与えるような作り。視覚障害ではないのに。時々頭を狂ったように叩いてみたり。
「演出」そのものとあの時直観出来た。でも、CDは買った。“ゴーストライター”が登場しても、曲は曲だと思ったし、彼の出生、ヒロシマという副題、それも大した問題では無かった。気になったのは被災地の子供のこと。

子供を騙した。たしかにそうだ。許せるかと言えば許せない側に立つ。マスコミがしきりのその子供を追う事。その近親者に執拗に迫るのが嫌だった。

STAP細胞問題。科学は全くの門外漢。生命細胞が開発されてということに驚いた。IPSでもそうだった。それが万能細胞とされ、新たな生命さえ作りかねない。不思議さがあった。永遠の命が与えられることになるかもしれない。科学の力で。なんか“違和感”があった。

小保方さんの問題。いろんな視点からの論議があるだろう。そこに持ち出されていた「倫理観」ということ。それは佐村河内の時もそうだったが。

世はあげてデジタル社会。コピペなんて誰でも平気でやっている。画像の加工。大方の人なら出来る。
デジタルの対極としてのアナログ。当事者から聞いていた話。医者の世界だが。
研究者、それはたしかに学者。博士論文にいそしみ、教授の座を狙う。“出世”が第一。そんな医学者は、注射一本まともに打てない。針の差し場所すら間違える。

論文を書かない臨床医。手術の経験は豊富。例えば大動脈瘤破裂の急患。患部を切開し、血管をわしずかみにする。血管の縫合。そこは血の海。どこに血管があるか見えない。わしずかみにした血管に針を通す。反対側に抜けたかどうかわからない。反対側には自分の左手をあてる。針が通っていれば、手に刺さるからわかる。自分の手も出血する。血と血が合併症を引き起こすかもしれない。それに躊躇していたら命を失う。それはその時。ひたすら縫合。手術後のその医師の手は針の穴だらけ。
まさにアナログの世界ですな。とその医師は言った。
そんな話を、実名を伴った話を聞かされていた。

別に小保方論文を擁護しているわけではない。発表されるとマスコミは大騒ぎした。新聞社やNHKには科学文化部というのがある。専門記者がいる。
発表の信ぴょう性の「ウラ」がとれなかった。言い訳は時間が無かったから。

大方、マスコミはこぞって非を言う。非難し、批判し。すぐ撤回、謝罪ってことに行く。まず謝罪すべきはマスコミ。割烹着までも話題にしたりした。

倫理。デジタル技術に倫理は存在しない。研究者の倫理。それはある。マスコミの倫理。当然ある。自らの倫理を棚上げにして、“悪者”を徹底的に攻める。それが「正義」だとして。

この問題で「倫理」を追求するなら、もっと追及しなければならない論理があるはず。政治倫理だ。

核という物質に倫理観は存在しない。その核を使って、科学技術の進歩だとして、社会正義だとも言わんばかりに開発した原発。それを扱う人には倫理観が要求される。電力会社の企業倫理が問われてしかるべき。

コピペの事を、画像加工のことを引き合いに出してのデジタル技術。ネットの日常ではコピペは“常識”。そこに持ち込まれる研究者の倫理なるもの。
倫理を見失っているマスコミがここぞとばかりに倫理を前面に、攻撃していることの“悲しさ”。

原発事故以来、専門家、研究者、原子力学者と言われる人の言は信用しなくなった。おかしな“専門知識”の氾濫にどれだけ苦しめられたか。その“倫理観”のカケラすらない学説に。それを垂れ流すマスコミにどれほど批判してきたことか。

とにかく「悪者」を作り、見つけ、それをこてんぱんに叩くことが「正義」だと誤信している人達よ。なんかちょっと違うんじゃないかい。
正義を言う人が狙う相手はもっと別の場所にいるんじゃないかい。決して擁護論では無く。

2014年3月14日金曜日

何を感じたか、何を感じるか。

ネットで短い一文に出会った。
「3・11を忘れないとか、風化させないという声も多く聞きました。僕個人としては、どれだけの悲惨さ辛さとかではなく、あの時3・11を経験して、何を感じて、何を大切にしようと思ったのか。それを大切にしていきたいし、してほしいと思います」。

多分、“被災地”の高校生くらいなのだろうかと推測する。この青年は3年後の、これからの”視点“を語ってくれているような気がする。立ち位置をも教えてくれているようだ。

「何を感じたか」。哲学的でもあり、宗教的でもあると感じる問いかけに聞こえる。

きょう卒業式が行われている高校もある。あの年に入学し、仮校舎で学んだ高校生。きのうの中学の卒業式でも、答辞では様々な思いが語られていた。

録画してあった番組を観た。「未来への手紙2014」~あれから3年経ちました~。震災から半年後、被災地の子供たちにビデオカメラを渡し、カメラに向かって語ってもらった。その時置かれた環境の中で。そして、3年後の思いを改めて語ってもらっている。映画監督の是枝裕和がプロデュースし、多くのテレビ番組製作会社が参加、協力したドキュメンタリー。

カメラを預けたのは100人。カメラに語りかけ、カメラを回したのは6人。

サッカーの長友佑都選手に憧れ、サッカー選手になることを夢みていた、いわき市の子供。長友にメッセージをしゃべっていた。「負けません、絶対プロになります」と。津波が来たとき、彼はサッカーシューズとボールを持って避難した。原発事故で屋外練習が出来なくなった。グラウンドは瓦礫置き場になってしまった。夢を諦めない彼は、特待生になってサッカーの強い東京の高校進学を目指す。昼間は勉強。夜、ランニングとボール蹴り。入学を果たす。彼は再び長友にあてたメッセージを語る。
「いつかは長友選手を越えるサッカー選手になります」。

多くの犠牲者を出した大川小学校。いったんは津波にのまれて「終わった」と持ったそこ子は命を取り留めた。家族や友達をも失った。
「悲しいとか辛いという時は過ぎました。前を向きます。あの3・11を経験してボクは強くなれたと思います」。

仮設で、笑顔を振りまいている女の子がいた。笑顔が一番だと思っていかからと。
陸前高田の奇跡の一本松の折り紙で作った子がいた。姉も同じことをしていた。
「なんだい、これじゃ二本松だ」。そう言いながら彼は折り紙で作った紙飛行機を松に向けて、海に向けて飛ばした。翼には書いてあった。「がんぱっぺし」。

「3・11」と体験した子供たちは強い。本当に強い。誰が教えるまでも無く、いろんなことがわかっている。「生かされたんだ」と言う。だから「やるべきことがある」という。

こんな子供たちに「未来」を託せるっていうのは幸せなのかもしれないとも思う。

南相馬の子はカメラに向かって真剣に怒っていた。3年前。
「東京の人たち。
あなたたちの電気をつくって放射能で苦しめられるのはおかしいと思います。
それに放射能や地震がなければ友達と離れ離れにもなりませんでした。
僕たちはこれからどうしたらいいのか分かりません。
どうしてくれるんですか」。

彼は3年後、再びカメラに向かって言っていた。
「何でこんなに避難者とかが出てるのに原発無くす気にならないの。
電気が足りないからっていったって人に害加えてまで発電する必要があるのかとは思います。
人を便利にするために電気つくってるのにそれで人避難させたら元も子もないんじゃないかと思う」。

彼の問いかけに答えを持つ大人はいるのだろうか。

彼らは感じた。感じている。そして、考えている。

こんな子供たちが育ったこと、そういう子が居るという事。大人たちはそこに希望を見出し、生きる決意を固めているということ・・・。

「3・11」から得たもの、「3・11」が与えてくれたものかもしれない。


カメラに向かってしゃべってくれたのは100人中6人。94人は語ることをしなかったようだ。それも、その子たちなりに「感じること」を、空白を以って語る選択をしたのかもしれない。

2014年3月13日木曜日

そして「チャーハン」の記

昨日、おにぎりのことを書いていて思い出したことがある。

郡山に華林という中国料理屋さんがある。馴染みの店だ。木村太クンと綾子サンという夫婦がやっている。
「3・11」。幸い建物は壊れなかったが店内はメチャメチャになった。食器からはじまって、酒瓶、厨房器具まで。

ちょうど今日くらいだったと思う。心配して駆けつけてくれたバイトの高校生らと片づけをしている時、太クンが急に言い出した。
「おい、どっかから水をもらってこい。コメはある。ガスは出る。市の災害対策本部に差し入れをしよう」。

綾ちゃんは給水車に行って掛け合い、いくらかの水を手にいれた。そしてバイトも含めて皆で「おにぎり」を作った。届けた。

店には明かりをつけていた。営業なんて出来ないが。幸い停電は免れていた。
夜、ドアと叩く人がいる。開けてみると年配のご婦人がぽつねんと立っていた。
「家は電気もつかない。食べるものも無い。買い物ににもいけない。どこも閉まっているか、すでに物が無い。主人はたまたま東京に行っていて連絡もつかない。寒いし、空腹だし。明かりを見かけたのでつい・・・。ごめんなさい」。

「入れてあげろ。うちは食いもの屋だ。なんとかする」。
有りあわせのものでチャーハンを作ってあげた。
二日間、何も口にしていなかったそのご婦人は涙を流しながらチャーハンを食べていた。「今まで生きてきてこんなに美味しいのは食べたことが無い」と。

料金は貰わなかった。「店は営業していませんから」と。

見送る夫婦に何度も何度も頭を下げながらその人は帰っていったという。「このご恩は忘れません」と言いながら。

その後日談は知らない。

実は、そのチャーハン、我が家も恩恵にあずかった。わざわざ届けてくれた。数本のペットボトルとともに。おかげで飢えをしのぐことが出来た。

食糧が無くなった。友人に電話した。コメあるか、なんかあるかと。すぐさま彼は届けてくれた。どこから手に入れたかわからないが、数日分の食べ物がまかなえた。
彼には忘れられない恩義を感じている。「恩返しは、お前の葬式で弔辞を読んでやる」と言っておいたが。

ようやくなんとなく生活が落ち着いた時、ビッグパレットが避難所になったことを知った。行った。何か出来ないかと思い。

たまたま知り合った人たちがいる。何が欲しいか聞いた。
「温かいおにぎりが食べたい」と遠慮がちに言われた。温かい物は、ずっと口にしていなかったという。

家に帰り、おにぎりを作らせ、コートのポケットに入れて運んだ。その夫婦に渡した。
「ありがとね。見ず知らずの人にこんなにしてもらって。一生恩にきるからね」。
そう言ってもらった。

華林の夫婦を始め、友人、知人から、沢山「恩」をもらった。
恩返しをしなければないらない。でも、それは後でも出来る。とりあえずは、今、目の前にいる困った人に、せめてもの、わずかな“恩”を送ろうと。貰った“恩”のおすそ分けをしようと。

困った時はお互い様。古くからある日本人の心を体得出来た。身をもって感じた。それは戦後のある時期まではどこにでもあった光景。それを蘇らせてくれた「3・11」。そんな受け止め方もどこかではしている。

身近にあった、ただそれだけの話・・・。

2014年3月12日水曜日

「塩むすび」の記

昨日の夜、「おむすび」を食べた。「おにぎり」を食べた。塩むすび。ラップにまかれたおむすび。具は梅干しがちょっとだけ。
美味しかった。本当においしかった。

昨日は塾の日だった。20人弱の塾生、若者たちと語りあった。
「3・11」から学んだこと。というテーマで。

有意義な集まりだった。途中からは酒も交えて3時間半。
「僕は東京にあこがれ続けていました。東京の大学を出て、一流といわれる企業に入り、東京で暮らす積りでした。生まれ故郷の郡山に帰ってくることになり、そこで3・11を体験しました。3年間、いろいろ考えました。今、持っている結論の一つは“東北は搾取されてきた”ということです。東京への憧れは全く消えました」。
たしか、彼は、子供さんを奥さんの実家である山形に避難させているはず。

震災直後、開成山野球場が避難所になっていると聞き、そこに単身向かった奴もいる。何が何だかわからない中、ボランティア登録をして荷物運びをやった。一緒にやっていたのが市内の高校生グループ。その高校生たちに刺激をもらった、そして今も彼らと交流をしている。子供たちの役に立つことをしようと。

「言葉の力に支えられました。天皇皇后両陛下の言葉に、日本人のこころを感じました。死者のことを考えてきました、今も向き合っています」。

3・11当時、市の保健所が職場だった子もいる。原発事故から避難してきた人達の対応がその子の仕事になった。放射能被ばく。なんとなく“恐怖感”がよぎった。でも、それが公務員としての仕事なのだ。そう覚悟を決めた時、恐怖心は全くなくなっていた。“覚悟”ということを知った。

そんな意見が次々出され、やがてそれは対話に発展していった。熱い会話が交わされていた。

「食事です」。そう言われて出されたのは「塩むすび」だった。

これには伏線がある。
先月の大雪。福島の松川というところに仮設住宅がある。飯舘村の人が暮らしている。雪掻きに励んだ。4時間。ほとんどが老人。ふと見た側の4号国道のバイパス。車が全く動いていない。急きょ、炊き出しに。富山の人から送られた一斗の米を一升炊きの釜で炊き、味噌と海苔を持ち寄って大量のおにぎりを作り、やっとの思いで車のところに行き、配って歩いた。
飯舘の人は、放射能が降ってきているのも知らず、相馬方面から避難してきた人達に炊きだしのおにぎりを作っていた時もある。

そんな話をこのブログに書いた。それを読んでいた塾生の一人が提案してきた。
「今度の塾の日はおにぎりにしましょう」と。

塾の会場は駅前の料理屋。そこの御主人はいわば被災者。原町の人。原ノ町駅前で料理店を営んでいた。震災、原発で営業が出来なくなり、郡山で再出発を図っている人。

「おにぎりを作ってくれるかい」と頼んだ。怪訝そうな声が電話口の向こうにあった。「あのさ、今度は3・11なんだよ。あの日・・・・」。皆までいう必要は無かった。「わかりました。こころを込めて結ばさせてもらいます」。

食事のいきさつを提案者の子が話した。塾生は全員、「おいしい」を連発し、一粒残らず食べた。食べながら、4年前の今夜、何を食べていたのかという記憶の紐を手繰るように、また語り合っていた。

だから、なんだ。ということでも無い。そんな3年経った日の夜の話。

2014年3月11日火曜日

そして3年・・・終わりと始まりと

今日は祈りの日である。あの日のことを静かに考え、語り、この国を見つめなおす日だと思う。
今日という日に「祭り」という言葉は似合わない。

あれから3年が経った。何も変わっていない。たしかにそうだ。
変わっていることが一つだけある。
あの日、3年目の今日、東北3県では300人の赤ちゃんが生まれている。福島でも100人。その赤ちゃんたちは三歳の誕生日を迎えた。成長した。喋るようになっただろう。いたずらばかりしているかもしれない。

瀬川 虎ちゃんは大きくなっただろうな。お母さんとたった一日だけの交信だったが。

借り物だけど「終わりと始まり」という言葉を時折使う。

「3・11」で日本のある時代は終わった。
借り物だったテレビで見たツナミの映像。日本という国で、それが起きているという現実。言葉も無く見つめるだけの無念さ。
原発の爆発。避難する人たちの群れ。
避難所に“収容”された人たちの表情・・・。

テレビは今日を節目にいろいろなことを、回顧も含めながら伝える。新聞も。
それらを「お涙頂戴のテレビは見る気にもなれない」という人がいる。

たしかに、あの年、数々の美談が伝えられていた。美談に涙した人も多い。でも、そこに、美談で隠そうとする“真実”が垣間見えていた。だから、それが伝えられていないという疑念からそれを批判したこともあった。

3年・・・。状況は変わっている。テレビや新聞が伝える「お涙頂戴」。それは架空の話ではない。全くの架空、でっち上げでは無い。伝える側の主観や意図はある。それがあってもそこに実名で登場している人がいるのは事実だ。

悲しい話であろうとも、感動する話であろうとも、そこにある「涙」。涙の向こうに真実があると思う。

だから敢えて見る。画面の向こうで流される涙に、涙する。涙する以外に“共有”することは出来ないと思うから。

あの時、テレビを見ながら「この国は終わった」と思った。それは単に破壊される映像での感想では無い。現実に起きていることで。それに対処しているような人たちの、東京にいる“偉い人”達の姿を見るに及んで・・・。

「3・11」後、何かが始まると思った。「始まり」があると思った。期待した。
3年経った今、何かが始まったという実感はまるで無い。無いに等しい。

何万人という死者を出し、13万人といわれる原発避難者を出しながら、何も終わっていない、何も始まっていないこの国。

きょうは偶然にも「塾」の日だ。彼ら、彼女らと語り合うつもりだ。3年間を。
3年間で何を学んだかを。そして明日から始まる4年目について、いや、3年が終わり、4年目から何が始まるかに、始めなければいけないかについて。

どんなことを語ってくれるのか。

多分、普段の生活の中で、語る場を持たなかった彼らは、語りたいことがあるはずだ。その場を“用意”する。
そして、彼らの言に耳を傾けたい。
語ることによって自分を再発見できるかもしれない。多分、それぞれの意見は違うだろうが、他者の意見を聞くことによって、新たな発見があるのかもしれない。

今、必要なのは対立では無い。対話なのだ。そう、これからも真の意味での対話を始めなければいけない。3年の節目。

大量生産、大量消費、使い捨て。そんな“文明”をどう捉えるのか。数日間で明るさを取り戻した東京。

取材でしばらく福島に滞在していた新聞社のカメラマンと一夜飲み、語った時があった。おそらく彼は聞き役だったような記憶があるが。
東京に戻り、彼からメールが来た。
「東京はやはり明るいです。明るさの中に身を委ねるとほっとします。でも、その明るさに“うしろめたさ”を感じます。“うしろめたさ”の中で仕事をします。きっとそのうち、福島を再訪します」。

彼はまた福島に来た・・・。

思いついて、4年前の投稿をアーカイブで探した。
この「からから亭日乗」は、かつては「架空の居酒屋」談議をする場として設けたものだった。開店してから10年が経つか。

酒場談議を毎日3百字くらいで書いていた。年中無休を標榜していたが、いつの間にか週5日の“営業”にしていた。

2011年3月11日。午前11時03分投稿とある。書いていたのは「本音と建前」というタイトル。政治家の本音と建前、世の中の“潤滑油”としての本音と建前。本音を言ったがために身を誤った自分。さら~と書いてあった。

本音と建前。たとえば「復興」ということのそれ。今にも当てはまるような。

それを以って、冗談めかした、居酒屋談議のからから亭は終わった。
3月19日から新装開店。書く内容は全く変わった。字数も増えた。新たな「からから亭」の始まりだった。

明らかに“客数”は減っている感がある。でも、まだ閉店は出来ない。この“店”の存在に何かの意義があるとは全く思ってはいないが・・・。
そして、新たな「始まり」を模索するつもり。

あの日、これを書きあげた後、月一回のコラムを書いていた。あの瞬間まで。きょうも、これからその作業にとりかかる。そして心を整えて午後2時46分を待つ。

2014年3月10日月曜日

「ふるさと」・・・

“穢土三歳(えどみとせ) 絆断ち切れず彷徨す”

柳壇にあった一句。

勝手に推測する。作者の心境を。
双葉の地から避難した人ではないかと。離れさせられて三年。いまだ汚染されたままの故郷を、あえて「穢土」と詠んでみる悲しさ。

“ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となろうとも
帰るところにあるまじや“

室尾犀星の詩が重なる。「えど」と「いど」が。

故郷、ふるさと、古里。いつの間にか、新聞に書かれる字は「古里」になった。
なんで変えたのか、その理由は書かれていない。

土日、多くのテレビ番組を見た。見て疲れた。見て考えた。考えは何もまとまらない。

考えていたことの一つが「故郷」とは何かということ。故郷を失って早や3年。
その言葉は安易に使えない言葉のようになった気がする。

その地に戻るのか、その地を失うのか、失った結果、魂とともにさまよい続けるのか。

浪江で葬祭場を営んで人達は再建を目指している。その人が仲間たちと歌っていた「故郷」。誰が歌うよりもこころに沁みた。

浪江から仮設に移った人が言っていた。「あんな綺麗な風景はないですよ。海に登る朝の太陽。帰りたいですよ。また見たいですよ。元気をもらえていたから」。

大熊の凍った池には多くの白鳥が飛来していた光景があった。「あいつら放射能は関係ないもんな。ほんと可愛い顔している」。“じじい部隊”の一人が淡々と語っていた。

故郷とは何なのだろう。何処なのだろう。

ボクに故郷とは何か、どこかと問われた時、それへの答えを持たない。
生まれた土地に故郷意識は無い。僅かの日数しかいなかったというから。
もちろん記憶もないから。出生地が故郷では無いと思う。

子供の頃からずっといた東京。その地はある。渋谷区初台という地名は。
本籍地もそこにしたままだ。無意識に中での故郷意識なのだろうか。
しかし、そこには帰るべき家は無い。手放して福島に移ってきたから。

たしかに、あの懐かしい町の光景は変わった。でも、何かがある。子供の頃の匂いがある。
笹の葉で舟を作り、ドブに流して。その行き先を追っかけていた。
ちょっと歩くと裏山があった。雑草の生い茂った。そこに“秘密基地”をつくって、毎日のようにこもっていた。

建物は替わった。だけど、曲がり角はわかる。覚えている。
幼馴染は全員いなくなった。顔見知りも僅かになった。
でも、あの場所は数多くの思い出とともにボクの中にある。

帰れない故郷しとして、その地がある。

第二の故郷。人はよくそう言う。ならば福島は、郡山は第二の故郷か。単純にそうも言えない。故郷に第二も、第一も無いと思っているから。

作家で学者の姜尚中が訥々と、静かに語っていた。
「今、居る所を、暮らしているところが故郷だと思うのです」と。

在日としての日本。彼の胸中は察するにあまりがある。

デラシネ。故郷を喪失した人、根無し草。そして時にはエトランゼ・・・。

故郷という言葉に”定義“はあるのだろうか。故郷論は確たる考察があって出来上がっているものなのだろうか。

建て前としての「故郷」、本音としての「故郷」。
それは“救いを求める”言葉として存在するものなのだろうか。

それを持ち出すことによって人の心を縛るものなのだろうか。

時には演歌の歌詞に登場する「ふるさと」に惹かれ、時は詩人のこころの襞に触れ・・・。

「ふるさと」を見つけようとして、ボクの心は、それこそ彷徨しているようだ。

今日は、69年前、東京大空襲があった日。10万の人が亡くなった日。
東京という故郷を離れざるを得なかった人達も大勢いた。

せめてこの国が、「故郷」と言えるところで有って欲しいとも思う。戦後、抑留者が目指したふるさとの地。

そこは荒れ果てていようとも「故郷は故郷」なのかもしれないし。

「3・11」が教えてくれたことの一つ。果て無き「故郷論」。

2014年3月9日日曜日

怒りの矛先

多核種除去装置、ALPSは年中“故障”する。
汚染水は毎日出ている。それを収容するタンクは満杯だ。満杯が故に汚染水漏れを起こす。
その漏れた汚染水が海に流れているはず。

連日のように1Fでの異常事態が伝えられる。
収束への道筋なんてとても見えない。

除染なるものは一向にはかどらない。中間貯蔵施設の問題もなにか宙に浮いたような。それは最終処分場についての確約がされないから。
確約なんて出来るわけがない。

帰還を巡っては、もはや、住民の間に様々な溝が出来、とてもじゃないが一つに意志をまとめることは出来ない。
1F構内で起きる人為的ミス。それは作業員が、もはや、事故前のような熟練した作業員ではなく、“原発”に関しては素人のような人が多いからかもしれない。

やがて、もし、熟練した作業員がいなくなったら・・・。ありうる話だ。その時、廃炉作業、収束作業はどうなるのだろう。

原発現場の問題にしても、避難者に対する対応の問題にしても、皆「東電」を責める。当然だ。事故直後の対応からしても、いや、それ以前からの対応にしても、東電には、あまりにも瑕疵が多すぎる。もっと具体的に言えば「東電本社」。

現場で作業に当たる人達は、あまりにも過酷な環境の中にいる。ミスが起きてもしかたないような環境に置かれている。
人為的ミス。それは作業員を指すことになる。

人の怒りの矛先は、目の前にある、目の前にいる人に向けられる。福島に生まれ、福島で育ち、志を持って就いた原発での仕事。待っていたのは“後始末”。

やはり避難対象になっている従事者に、同じ県民から怒りの矛先が向けられる。
避難している家族にもそれが向けられる。時にはそれが「言葉の暴力」ともなって。

“誇り”を持って収束作業にあたっている人達の士気はそがれる。

汚染水漏れもあってか。作業員の人達の「被ばく量」は、限度とされている5ミリシーベルトをはるかに上回り、なんと1万5千人がそれを越えているという。

被ばく限度を超えた作業員。その人達はまた「そしり」や「忌避」の対象ともされる。家族も含め“居場所”を失っていうように。

大熊町で、「ふるさと再生」に向けた“じじい部隊”の活動がテレビで伝えられていた。そこには東電の関係者や、時には国の役人も加わっていた。
同じ町の東電社員ということもあるのだろうか。彼らの間には、「溝」は無かった。一歩外に出ると、それは様変わりする。

帰還に向けた町民説明会がある。目の前にいる町長は非難の矢面に立たされる。「本当に10年で帰れるのか」。激しい口調で詰問されている。除染。町長の力だけではどうにもならない問題なのに。

避難したところでは、対応にあたる自治体の職員に怒りの矛先が向けられる。
彼らを責めても、何の解決にもならないのに。

批判、非難の対象にされる“当事者ではない関係者”。不眠不休の努力をしていあても、被ばくというリスクを背負っても、その人達にたいする「ねぎらい」の言葉は無い。

どちらの側にあても「ストレス」という病だけが、心も体もむしばんで行く。

自主避難者の問題も含めて、怒りの矛先は、憎しみやさげすみ、無理解となtって人間同士を対立という哀しい構図の中に引き込んでいく・・・。

きのう、安倍首相は、お共に県選出の大臣を連れて福島県にきていたと聞いた・・・。


東京オリンピック招致のために、安倍は「アンダーコントロール」と宣言した。
最近、言い方が変わってきているようだ。
「『しっかりと事実を掌握して対応している』という意味で『コントロールしている』と申し上げた」と。

今の1Fはコントロール下にあるのだろうか。

2014年3月8日土曜日

見過ごして来た我々の責任

「3・11」を前に、新聞やテレビは特集や検証やさまざまな企画を伝えている。
そうあって当然なのだが。

それらを「情報の洪水が押し寄せてくる」としてしたり顔に忌避するわけにはいかない。いや、むしろ「望んだこと」として、考える材料として受け入れるべきだ。

その内容を吟味するのは、すべて受けてのリテラシー能力にかかっている。

テレビを見て、新聞を熟読して、そこに書かれている、伝えられる「3年間」。
一日がかりの精力が必要だ。見て終わり、読み飛ばして終わりという訳にはいかない。

そこにあること、あったこと。一人一人の人の数行の「物語」であっても、それらと真摯に向き合い、考えなければ・・・。

昨日夕方のNHKのローカルニュース。喜多方の大手酒造会社の社長の話があった。

代々続く有名な酒造会社。大和川酒造の佐藤彌右衛門さん。太陽光発電に精力を注いでいる。地元の人や、応援してくれる人達と一緒に、“身の丈にあった”太陽光発電所、発電会社を作ろうと動いている。

その動機と言うかきっかけについて彌右衛門さんはこんなことを言っていた。

「原発は危険だと思っていた。でも黙ったそれを見過ごして来た我々の責任は重い」と。

いい顔をしているなと思った。浜通りと会津。遠く離れた県内の東と西。

「見過ごして来た我々の責任」。重い言葉だった。それを理解しているということ。福島県人として。

ボクは何度もいうが「福島県人」ではない。たまたまそこに居合わせた程度の“よそ者”。

東京時代から、それなりに原発のことは知っていた。一般的知識の範囲内にしか過ぎないけど。
たまたま知り合って懇意にしていた人が「動燃」の理事長だった瀬川秋男さんという人だった。酒を飲みながら、余人を交えた席ではあったが、原発についての話を聞かされていた。
電源三法の事も、政治のレベルではあったがよく知っていた。

福島にくることになり、「原発」のことが気になっていた。東京時代、子供の頃、ビキニ環礁の事件は知っていたこともあり。

福島に来て、東電の人と知り合いになって、第一をたびたび見に行った。整えられた「美しい場所」ではあったが、その環境は。どことなく違和感や不気味さを感じた。

社員の出入り口と、関連会社の作業員との出入り口は違う。建屋に入る時だが。
着替えを要求され“防護服”をまとい、靴もビニールで覆い、マスクをして、ヘルメットを着用し。
「安全なところ」なのに、なんで・・・。

お天気カメラ、情報カメラ。遠隔地からでもリモコンで操作できるカメラの設置が可能になり、設置に動いた。はじめは郡山の駅前の高層ビルに置かせて貰った。
次に、原発を望めるところに設置しようと持ちかけた。たしか、送電所のある山の、そう、水石山だったか、そこに各社と一緒にカメラを設置した。

「3・11」後、原発の状況を捉えていたのはそのカメラだった。爆発の瞬間を捉えていたのは福島中央テレビのカメラだった。原発に向けていたから。リモコン操作で。

「原発反対という大きな勢力がある。その勢力に絶対負けないような原発にする」。当時の社長那須翔の言葉を“信じて”いた。

東電や東北電力は大きなスポンサーだった。原発の安全云々には触れないという前提で、カネを引き出すために番組も作った。イベントも企画した。

彌右衛門さんのいう通りだ。見過ごして来た責任。それはボクにだってあるのだ。
約3年間、この欄を、あの日以前とは全く違う内容にして、毎日書き続けているというのも、見過ごして来た責任からなのかもしれない。それを彌右衛門さんの言葉で気付かされた。

東電が「事故隠し」を起こした時の県知事は佐藤栄佐久と言う人。彼からも東電のおかしさ、いや、何よりも監督官庁である経済産業省の「おかしさ」について話を聞かされていた。福島と新潟の原発は、彼の反対によってしばらくは稼働出来なかった。しかし、結果、彼は稼働を認めた。
彼なりに「見過ごした責任」を感じてはいるのだろうが。

さまざま伝えられる原発事故が引き起こしている“悲劇”。
他人事では無いんだなという自責にも似た感情。そう、ボクだって、この地に居て、「見過ごして来た人」の一人なのだ。

個人的独白にしか過ぎない話で・・・。

2014年3月7日金曜日

消費税増税、”狂騒曲“、そして”悲鳴“

とにかく、あと少し、4月1日からは消費税が上がる。5%が8%に。
それが日本経済にどんな影響を与えるのか。アベノミクスなるものに影響をあたえるのか。安倍政治が、安倍のいう経済成長、持続可能な成長にどんな影響が出るのか。安倍政権の“低落”の端緒になるのか、ならないのか。

もちろん消費税引き上げは民主党政権でも俎上に上っていた。どの政権でもよかったのだ。財務省は。

消費税論議をしている人達は、それが上がろうと上がるまいと、自分たちの生活には影響が無い人たちだ。与野党とわず国会議員。

それを問題視するマスコミ。3%上がっても生活に影響は無い高給取り。

「3・11」と消費税。今、テレビは、特にCMは、あの事がなかったかのように、消費税増税前にと銘打って、それはまるで「3・11以前」、いやバブルの絶頂期のように、高額商品の売り付けに必死のようだ。
高級住宅、高級自動車、さまざまな電化製品。「電気のこと」なんてまるでなかったかのよう。

ワイドショーと言うか情報番組というのか、「賢い消費者」として、増税をいかにくぐりぬけるかの“秘法”伝授をしてみたり。
買占め、買いだめの勧めみたいなことを連発したり。
3月31日、駅の定期券売り場にはきっと長い列が出来るのだろう。かつても見た光景。
買占め、買いだめは、3・11直後を思わせ、この前の豪雪時を思わせ、オイルショック時の狂乱ぶりが思い起こされる。

買占め、買いだめ。結果はその多くを無駄にする。必要以上に買い込むから。3%の増税をしばし逃れるための愚行。それは空気でありムードなのだ。

「節約、倹約」なんていう”美徳“は目先の損得勘定の中で、その精神の欠片も消される。

明らかに便乗値上げなることが横行している。自販機は10円の値上げ、その分いくらか増量なんて言って。
鉄道の切符もそうだ。現金だと120円区間が一挙に130円。3%を超えているが。券売機で1円玉ジャラジャラってわけにもいかないのは百も承知だが。

低減税率なんて“構想”もふっとんだ。生活必需品には掛けないという政策。

消費税増税のおかげで「儲かってたまらない」ってところもある。自動車会社は軒並み多額のベア。組合の要求丸のみ。
経営危機が言われていた家電会社。リストラしたのも束の間、新規採用500人。

もしろん、それらの会社が消費税分を正しく申告するだろうという前提だが。

どう考えても年金生活者の負担は大きい。

消費が拡大されて成長は上向きと言われているが、数か月後はどうなるんだろう。

昔懐かしい様な「地方消費税、地方料理飲食税」。税、サ込でなんぼという料金体系・・・。

被災地では悲鳴すらあがる。仮設に暮らす人は家を建て直すことが難しいと。
消費税が資材価格に転嫁され、資材の調達をより困難にする。
“復興”の足かせになると首長は嘆く。

国が無駄使いを止め、まともな財政支出を励行するか。きっとしないだろう。
“税金の無駄使い”、後を絶たないだろう。まともな国の財政が果たされているなら、「お国のため」に3%の引き上げも享受しよう。でも、それは前縁ながら期待薄。

あらさがしのようだが、スーパーのレジはじめ、あらゆる場所での経理。3%アップのためのソフト改修や、計算システムの構築費用はどうなっているのだろう。多分、「改修業者」は儲かるであろうと言う貧乏人の勘繰り。

賠償金も何も無い被災者の暮らしは厳しい。
「味噌と塩舐めて生きろってことだな」。そんな仮設の人の話が耳に染みる。

なんだべな・・・そんな長嘆息しかすべがないような。わかりきっていたけど目の前に迫った大きな出来事。

「なんなってお上のやることはな・・・」。またも諦めが支配する世相。
テレビCMを見るのが恐怖になるこの頃。

2014年3月6日木曜日

「・・・けど」という助詞、接続詞

最初は、そう、あの事故から、避難してから・・・。
1年間は、誰もが「帰りたい」だった。それが2年後には「帰りたいけど」となった。そして今は「やはり帰れない」になった。

3年が経とうとしている福島の現実。

「・・・けど」という二文字の助詞、時には接続詞と使われる言葉の意味は大きい。

「よくわかんないけど」「どうでもいいんだけど」、それらの「けど」とは違う意味合いを持つ。

「けど」という二文字が、消される過去を言い表しているような。その二文字が人生を「否定」しているような。

「帰りたいけど」、それが、なぜ、「帰れない」になっていくのか。先の見通しが立たないからだ。いつ帰れるのかわからない。今後どうなるのかもわからない。わずかな“期待感”もあった「けど」。

3年と言う月日の経過は、「けど」を消した。

人は、将来の見通しが立てば、そこに向かって、それを目標にして生きていける。精神力を持ち続け、立ち向かってもいける。
先が見えない時、そこで立ち止まってしまうしかない。

「置かれた場所で咲きなさい」。その本の言うとおり、おかれた場所で咲こうと努力した。
そして気付く。そこは「置かれた場所」ではなく「置かされた場所」なのだということに。そこで、どうやって咲けばいいのかと。

咲こうと根気をふりしぼり、自らが自らのこころに「栄養」を与え、時には、根を張ろうと努力もしてきた。その先に一筋でも”希望“なるものが見えると信じていたから。

現実は、すべてを否定していく。そこで咲く意志すらも奪っていく。

「けど」という言葉は無くなった。

国は、「帰る」か「帰らないか」の二択を迫る。その選択肢の中で「けど」は消された。

花の命は短い。咲く場所を見つけられるのは何十年も先のことだということを知った。

咲くべき場所が見つからない。遅い春の中で、花は戸惑っているようにも思えて。

気力が萎えていく・・・。まだまだ書き続けなければいけないのだ「けど」・・・。

2014年3月5日水曜日

「尊厳」について

尊く厳かで、おかしがたいこと。「尊厳」という言葉を辞書でひくとこうある。今、その言葉に求めている”意味“と“解釈”に乖離を感じる。“舟を編んではいない”ような。言葉の“不自由さ”かもしれない。

尊厳とは、人間の尊厳とは、矜持とも考えたい。人間が人間である証とも位置付けたい。

例えば欧米では騎士道であり、日本では武士道であろうか。精神論としては。いや、それも違うな。

2011年、避難所のビッグパレトに行っていた時、はじめてそこの光景を見た時、最初に頭に浮かんだ言葉は「ここには人間の尊厳が無い」「人間の尊厳が失われてしまっている」。そんな思いだった。

酷な言葉だが、そこに居る人たちは、狭い寝る場所と、ただ配給の食事を黙った待つ人たち。そこはまるで「収容所」のように見え、昼間から横たわっているしかない人たちは「生ける屍」のようにも思えた。全くの「当事者」でない自分には。

そんな中でも、尊厳と絶やさず毅然として生活していた人たちがいる。
一つの例だ。東電の清水社長がお詫びに訪れた。各スペースを回り頭を床にこすらんばかりにして。それが本心だたかどうかはともかく。

富岡の桜並木の写真を手元に置いていた老婦人が言った。
「どうぞ、お手をお上げください。仕方ないです。お互い様ですから」と。

うたれた。

まもなく丸3年となる。仮設には多くの人がいる。災害公営住宅なんてまだ2%、たった2%しか完成してない。

仮設のいる人達の中には、尊厳を失っていく人たちもいる。災害関連死の中には自死だって含まれる。その多くは働き盛りの年齢。

長くは語りたくない。一言で言う。つまり、原発事故は、いや、そもそも原発そのものが人間の尊厳を奪う、奪ったものだったと。

尊厳死ということが盛んに話題になっていた。もちろん、ボクも「尊厳死」を願う。かろうじて息はしている。しかし、意思表示はまったく出来ない。そんな死にざまは嫌だ。最期の一言を発して死にたい。

尊厳死は「社会的問題」として語られてきた。しかし、「尊厳生」については語られない。

あちこちで、住居だけの問題では無く、さんざまな事で尊厳が傷つけられ、犯され、逆にそれを放棄し・・・。
その一つがカネをめぐる問題だ。賠償金、保証金、補助金・・・。たしかに「金」以外には“解決”の手段はないのだろう。でも、嫌だと思う。
社会の慣例に従っていくなら、たしかにそうしているが、葬儀に香典を持って行くのが嫌だ。いつも躊躇する。カネで死者は悼めないと感情論があるから。

「ふるさとを消失する」。それも尊厳を損なうこととしてある。

先日、テレビで同時通訳の人の話をやっていた。福島市で開かれた欧米の学者や研究者を集めてのシンポジウム。基調講演だったか。浪江の馬場町長が話をした。事前にそのレジメを渡されていたその同時通訳の女性は、前の晩、「ふるさと」をどう通訳するかについて悩んでいた。
当日馬場町長はたしかに「ふるさと再生に向けて」と言っていた。その通訳された英語は覚えていない。ふるさとはそのまま訳せばhomeである。でもその通訳の人は、そのhome, homesでは意を尽くせないと考えていたから。

「馬場町長、ちょっと長く意訳させていただきますがお許しください」そう断った上で、こんな喩を持ち出してはどうかなと思った。
「アメリカ民謡にフォスターの名曲があります。My Old Kentucky Home
という歌が。皆さんご存知でしょう。日本では懐かしきケンタキー我が家と呼ばれ、皆、知っています。The sun shines bright in my old Kentucky home this summer the darkies are gay。
あの歌にある光景が“ふるさと”なんです。
そして付け加えます。そこは“尊厳を持って生きられる場所”ということです

同時通訳としてはルール違反だろう。しかし、「ふるさと」という概念、それを失った人たちのことを分かってもらうにはそんな“技”もありだと。
故郷喪失は尊厳喪失につながることだと。テレビを見ながら。勝手な思いなんだけど・・・。

2014年3月4日火曜日

「国益」ということ。

またも新聞の歌壇の句を引用させてもらう。先日あった一首。

「“国益”の連呼の時代は危ないと 戦前を知る祖父嘆きおり」。

国益って何だろう。戦争を知らない子供達、孫の世代。その世代の人たちに尋ねられたら何とこたえればいのだろう。

領土争い、主権の行使。それも端的に言った「国益」なのだろう。

戦前、多くの軍隊や日本人は、満州に行った。満州は「日本の領土」と考えられて時代。満州進行が、満州事変が無ければ、“敗戦”だって無かったのかもしれない。

敗戦の結果、南樺太、北方4島はロシアに獲られた。たしかにその以前をたどれば日露戦争の結果の“戦利”であるかもしれないが。

尖閣、竹島。領土問題。北方領土返還は国民の悲願。

緊迫の度を増すウクライナ情勢。明らかにロシアにとっては領土問題。

ロシアの大国意識の中にあるのは「国益のためなら外国に軍事介入出来る」。

まさかソビエト連邦の再来を願っているのではないだろうが、やはり“領土”と見える。国益は。

領土問題とは違うが、世界の警察官を自認していたアメリカも、時には国連の名のもとに、数々の軍事介入をしてきた。その時のアメリカの「国益」とは何だったのだろう。軍需産業だけは確実に“利益”という“益”を挙げたが。
米ロ冷戦が懸念されるとマスコミや専門家は言う。「冷戦」ならいざしらず「熱戦」になったらどうする。

折しも、日本国内では、「集団的自衛権」の問題をめぐって安倍の”暴走“が続いている。

もし、米ロあい闘えば、日本はどうするのだ。ロシアのウクライナ軍事介入に関して安倍の言辞は歯切れが悪い。
プーチンと5回にわたる首脳会談。秋にはプーチン訪日。そこで悲願の北方領土問題が”解決“に向かって動くのかどうか。

内実はともかく佐藤栄作は沖縄返還を成し遂げた。後世に名を残している。
北方領土返還が成しうれば、安倍も後世に名を残す政治家として歴史にその名は刻まれるだろう。

安倍政権の動きをアメリカは気遣う。「もし、日本が親ロ的な行動に出れば、日米同盟は崩壊しかねない」。そんな危惧を持つ人が政権内部にもある。

集団的自衛権論議には、なんとも「間が悪い」ウクライナ情勢。

“北方領土”を取るか、西側先進国との共同歩調をとるのか。
ただでさえ、“失望”見解をめぐって日米関係は「おかしな方向」に向かうのかもしれない。そんな“懸念”が言われている中で。

“原発戦争”で日本は敗れた。チェルノブイリからの強制避難を強いられた人たちもウクライナやクリミヤ半島に居住している。
それぞれの人にとって居住する場所は、言ってみれば「個人としての領土」だ。

福島にいる、福島から離れた「領土」を追われた人達。領土回復も、領土主権も放棄せざるを得ない状況。そこに「軍事介入」は無い。忘れられた“領土”として、名が残るだけなのか。

原発は最大の「国益」だった。

だから、冒頭の一首を演繹すると、市井の民の読みは深い。

2014年3月3日月曜日

「馬鹿と喧嘩すれば馬鹿になる」

どうも「馬鹿」とか「バカ」とか「バカ野郎~」って言うのは“禁句”らしい。
ばかばかしい、それは“容認”されているようだが。

子供の頃、親に良く言われていた言葉がある。喧嘩をして帰って来た時だ。
「バカと喧嘩をすれば、バカになるのよ。バカと同じになるのよ。バカを相手にするのはやめなさい」って。

親が言った「バカ」とは何を指すのか。その”概念“はわからない。何となくはわかるが。理屈っぽく捉えれば、「同じ土俵に乗るな」っていうことかもしれない。
子供ながらに、どっか「納得」していた。だから「つまらない喧嘩」はやらないようにしていた。つまらない事で兄弟喧嘩はよくしていたが(笑)。

戦前、戦中、戦後。それを生き抜いて来た人が、平易な実感として体得していた思いかもしれない。
もしかしたら、親の言った「バカ」とは、子供が感じるのとはもっと違う、社会全体に向けた言葉だったのかもしれない。

敢えて誰を指すのかは言わない。言う必要も無い。
今の世の中、世界、バカ同士が“喧嘩”しているようにも思える。喧嘩をしたいために、あえて喧嘩の種を蒔いてみたり、喧嘩を吹っ掛けてみたり。

言ってみれば、なにか格好よく“理論武装”のようなことを言うけれど、戦争っていうのは言ってみれば「国同士の”大人“の喧嘩」。

かつて日米安保締結、改定の頃、それ以降も、日本の仮想敵国はソ連だった。ソ連とは名指しできないから某国として。安保条約にもとずく、日米の軍事演習は、すべてソ連を念頭に置いたものだった。

今は、いつの間にからか、それは中国であり、北朝鮮であり、韓国に変わった。
島嶼部を敵国が占拠して・・・。それははっきりしているのは尖閣。その奪還を目的とした軍事演習。あり得る事態との想定のもとに。

たしかに、あらゆる戦争の発火点は、そう点であった。点が拡大して線になり、面になり、全面戦争・・・。
ミサイルが飛び交う時代の戦争。サイバー攻撃がある時代の戦争。そしてインテリジェンス。

太平洋戦争。日本は負けた。兵站能力の差。彼我の違い。精神力で勝てると思った間違い。
今はそれを原子力戦争になぞらえる。原子力とうか原発。共通項がある。インテリジェンスだ。情報だ。

太平洋戦争でも、アメリカは情報戦争として、日本の兵力、軍事力、国土の在り様・・・。その確固たる情報を持っていた。日本はどうだったか。たしかに真珠湾の奇襲作戦は成功した。その後は・・・。暗号はすべて解読され、丸裸のような戦を強いられてきた。

原発事故。アメリカのインテリジェンス能力は、それこそ放射性物質の飛散状況や、事故現場の“能力”も知っていた。日本は原発建設にあたっては科学技術の粋を集めた。
事故が起きたらどうする・・・。そのインテリジェンスは持っていなかった。事故処理能力は決定的に欠如していた。
そのことを鋭く指摘する科学者も専門家もいなかった。

原子力戦争にも“負けた”。

上辺は「平和利用」としての原子力開発。どこかで「核武装」という”夢“を持っていた人たちがいたのかもしれない。

もしかしたら「原子力」というバカと喧嘩していたのかもしれない。平和を願うという事はバカなことなのかもしれない。
本当にアメリカは日本の集団的自衛権を、その行使を望んでいるのだろうか。

行き交うのは「ばかばかしい」表面的事象だけ。裏が、すべてのことに裏があるということを嗅ぎ付けないで、表向きの動きだけで「喧嘩し合っている」ような。

吉田茂の「バカやろう解散」。ばかやろうと言って吉田茂の気持ちがわからないでもない。国会を侮辱したなんていうが、あの頃も今も、あそこには「バカヤロウ」が沢山いる。

親には、あの世に行った時、怒られるかもしれないが、時には「バカ」との喧嘩もしなくてはならないのかも。阿呆と言われても。

♪筋の通らぬことばかり 右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い♪

“傷だらけの人生”を選択していくのは「ばかばかしい」が。

2014年3月2日日曜日

政治家と「メシ」

一つ釜のメシを食った。同じ釜のメシを食った仲。人と人との親密さを例えるのにこんな言葉が言い習わされている。

昔、政治家とはよくメシを食った。御馳走にもなった。御馳走したこともある。
メシを食ったというだけで、特に何があったというわけでもなく、“それ以上でも、それ以下でも”無かったが。

いや、夜回りなんて行くと、大体はメシは無いが酒は出され、酔わせて何かを引き出そうともした。寝たふりをしてはぐらかされた時もしばしば。
本当に寝る人は、寝る寸前、眠りに落ちる寸前がチャンス。つい、本音を吐いたりする人もいたから。

「チカメシ」という人もいた。「近いうちにメシでも食おう」。毎回、会う度にそう言われ、ついに実現しなかった人もいる。「チカメシの何某」。そんな“評価”をしていたこともある。

最近はやや収まっているようだが、安倍は一次、連日のようにマスコミ関係者、時には社長であり、論説委員であり、政治部長であり。時には官邸キャップであり。永田町界隈での「外食」が盛んだった。懇親の意味だったのだろうし、何か深謀遠慮があったのかもしれない。

昔の政治家は、そういう意味では悠長だった。“メディア操作”なんていう「高等戦術」は持っていなかったかのように。政治を内から見るか、外から見るかのたわいのないメシ会。もちろん野党の議員とでもそれはあった。

安倍の“狙い”は分からない。大体はマスコミ側は複数。「差し」はめったにないようだ。総理動静を見ている限りは。
しかし、そこで「持論」が展開されていたであろうことは想像に難く無い。

何故かは知らないがフジテレビの日枝会長とはゴルフも含め、夫婦であったり、“昵懇”のご様子。フジテレビの関連会社には扶桑社という出版会社があり、教科書も編纂しているが。

メシを食ったことで、御馳走になったことで、マスコミ論調が変わるなんてことは有り得ないと思うけれど。

「割り勘」は成立していないと思う。それとも“幹事社”が会費を集めていたのかな。現金会計をするような店や飲食店では無いと思うけど。

「3・11」の後、3月19日、まさに“国難”の真っ最中、行き詰った当時の菅首相は、自民党の谷垣総裁に「大連立」を持ちかけた。救国内閣を必要としてだろうか。
そのための会談は成立せず、電話で簡単なやりとりがあり、結局反故になった。

自民党の党内意見は、それを“拒否”した。取り込まれてしまうことは、原発事故の責任を背負わされる恐れがあるかもしれないという、いわば「政局」が第一義であり、菅内閣は潰れると見込んでいたから。

去年、谷垣は当時のことをこんな風に言っていた。

「お互い、30年間も国会議員をやっているが、衆議院にいて、一緒にメシを食ったこともない、酒を飲んだことも無かった。こういう男だとか、こういうところもあるなんてことも知らなかった。信頼関係が無かった。
もう少し、お互いを分かりあっていたなら、別の展開があったかもしれない」。

メシを食ったことがあるかどうかが、国を救う、国民を救うかどうかの「判断基準」だったということ。

大連立を拒否したことの非を、当時、再開出来た、この場で書いたこともああったが。この国の姿として。あれだけの被災、避難が、原発事故が進行している中で、アメリカが80キロ圏内の自国民を避難させるとも言っている最中に。
「トモダチ作戦」が進行している時に。

永田町で優先されていたのは「政局」だった。

メシを食っていようと、いなかろうと、党首同士が素面で膝を交わしてとことん話し合えばと普通の人は思うのだけれど。

もし、あの時、大連立が成立していれば、今の福島の様相も、もしかしたら変わった展開に、それこそなっていたのかもしれないし。

小沢・福田の大連立構想には加担していた、マスコミ界のドンも、この時は一言も発していない。

政治家とメシ。なんだかなぁって。政治ってつまりはそんなものなんだろうかって。

翻って長嘆息の日曜閑話。

2014年3月1日土曜日

三月、、、まだ遠い春

気が付いたら暦は三月になっていた。もう、二か月が終わってしまった。

三月、、、あと10日で「あの日」が来る。「あの日」を迎える。
季節とはもちろん無関係だが、あの日からの光景は、春に似合わない、そぐわないものだった。

西の方からは梅の便りや桜の話題が聞かれる。三月は“春”なのだ。

「春に背いて」「春を恨まない」「お~い春よ」・・・・。この場でも、あの日以降、折に触れて、事象をからめて「春」という字を何回書いただろう。
春と言えば桜。桜についても何回書いただろう。

放射能に身をすくめ、その事に右往左往していた日々。汚染されていようといまいと、満開の花を開かせていた富岡の夜の森公園の桜。何回も行った夜の森。
とにかく立派に、凛として、艶やかに咲いていた。

ビッグパレットの避難所で、その桜の写真を手元にしていたご婦人。

きょう、郡山農学校、農業青年会議所のメンバーが東京、有楽町の交通会館で「野菜市、あぐり市」をやっていた。

研究を重ね、勉強を重ね、思考錯誤を繰り返し、彼らは立派な、見事な、美味しい野菜作りを「復活」させた。郡山から米も持って行っている。

盛況だ。そんな連絡は貰ったが・・・。

きょうは県立高校の卒業式。「あの日」を「あの出来事」を体験した高校生が卒業する。大半は大学に進む。多感な時期に、人生の実りある時期に、彼ら、彼女らは貴重な経験をした。それぞれが胸に期するものがあると思う。

3・11は、そう、キミ達の生き方にも大きな影響をもたらしているだろう。避難先での卒業式。推し量れないものをキミたちは持っているのだろう。

3・11がもたらしたもの。それをあらためて考えずにはいられない。
あの事が無かったかのように、夜の闇が煌々と照らせら続けている光景。
あの事がすべて政争の具に供されているような昨今。

人間は「土に還る」と言われてきた。土に還ると言うのはどういうことか。
墓の中はコンクリートで覆われている。骨は物理的には土に還れない。

土に還るということは、新たな芽を生むことの、生命の循環の理(ことわり)。

春はさまざま芽生えの季節。
卒業式は旅立ちの時だとも言う。どういう旅に向かうのか。

今日はまだ、春の息吹は感じられない。大雪の残滓がまだ覆っている。

「3・11」というものが、日本人の価値観を根こそぎ変えてくれるのもだと思ったが、結局何も変わらなかったような空気が読める。

何も懲りていないようにも見える。

春と言う季節が、あの大雪の残滓を溶かしていくように、凍りついてしまったままの人の心をも溶かしてはくれないものか。

三年前の今日と、三年後の今日と。そこに明確な違いがあっていいと思うのだが。

理由(わけ)あって、三年前の事を、正確に言えば3月11日以降のことを書いている。もちろん自分の事では無い。
メモと記憶をたどりながらの作業。それをこの11日までには終わらせる必要がある。もう4万字以上も書いたか。
作業を終えたいが、終えたく無いという感情もある。振り返って書いている時、その時は、自分が3年目に完全に戻っているから。時計の針を後ろの進めたような“錯覚”すら覚えながら、忘れてはならない記憶が蘇ってくるから。

そして、それは、自分にとっても重要なことだと思うから。

また来る春になんと話掛ければいいのだろう。