2014年3月1日土曜日

三月、、、まだ遠い春

気が付いたら暦は三月になっていた。もう、二か月が終わってしまった。

三月、、、あと10日で「あの日」が来る。「あの日」を迎える。
季節とはもちろん無関係だが、あの日からの光景は、春に似合わない、そぐわないものだった。

西の方からは梅の便りや桜の話題が聞かれる。三月は“春”なのだ。

「春に背いて」「春を恨まない」「お~い春よ」・・・・。この場でも、あの日以降、折に触れて、事象をからめて「春」という字を何回書いただろう。
春と言えば桜。桜についても何回書いただろう。

放射能に身をすくめ、その事に右往左往していた日々。汚染されていようといまいと、満開の花を開かせていた富岡の夜の森公園の桜。何回も行った夜の森。
とにかく立派に、凛として、艶やかに咲いていた。

ビッグパレットの避難所で、その桜の写真を手元にしていたご婦人。

きょう、郡山農学校、農業青年会議所のメンバーが東京、有楽町の交通会館で「野菜市、あぐり市」をやっていた。

研究を重ね、勉強を重ね、思考錯誤を繰り返し、彼らは立派な、見事な、美味しい野菜作りを「復活」させた。郡山から米も持って行っている。

盛況だ。そんな連絡は貰ったが・・・。

きょうは県立高校の卒業式。「あの日」を「あの出来事」を体験した高校生が卒業する。大半は大学に進む。多感な時期に、人生の実りある時期に、彼ら、彼女らは貴重な経験をした。それぞれが胸に期するものがあると思う。

3・11は、そう、キミ達の生き方にも大きな影響をもたらしているだろう。避難先での卒業式。推し量れないものをキミたちは持っているのだろう。

3・11がもたらしたもの。それをあらためて考えずにはいられない。
あの事が無かったかのように、夜の闇が煌々と照らせら続けている光景。
あの事がすべて政争の具に供されているような昨今。

人間は「土に還る」と言われてきた。土に還ると言うのはどういうことか。
墓の中はコンクリートで覆われている。骨は物理的には土に還れない。

土に還るということは、新たな芽を生むことの、生命の循環の理(ことわり)。

春はさまざま芽生えの季節。
卒業式は旅立ちの時だとも言う。どういう旅に向かうのか。

今日はまだ、春の息吹は感じられない。大雪の残滓がまだ覆っている。

「3・11」というものが、日本人の価値観を根こそぎ変えてくれるのもだと思ったが、結局何も変わらなかったような空気が読める。

何も懲りていないようにも見える。

春と言う季節が、あの大雪の残滓を溶かしていくように、凍りついてしまったままの人の心をも溶かしてはくれないものか。

三年前の今日と、三年後の今日と。そこに明確な違いがあっていいと思うのだが。

理由(わけ)あって、三年前の事を、正確に言えば3月11日以降のことを書いている。もちろん自分の事では無い。
メモと記憶をたどりながらの作業。それをこの11日までには終わらせる必要がある。もう4万字以上も書いたか。
作業を終えたいが、終えたく無いという感情もある。振り返って書いている時、その時は、自分が3年目に完全に戻っているから。時計の針を後ろの進めたような“錯覚”すら覚えながら、忘れてはならない記憶が蘇ってくるから。

そして、それは、自分にとっても重要なことだと思うから。

また来る春になんと話掛ければいいのだろう。

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