ネットで短い一文に出会った。
「3・11を忘れないとか、風化させないという声も多く聞きました。僕個人としては、どれだけの悲惨さ辛さとかではなく、あの時3・11を経験して、何を感じて、何を大切にしようと思ったのか。それを大切にしていきたいし、してほしいと思います」。
多分、“被災地”の高校生くらいなのだろうかと推測する。この青年は3年後の、これからの”視点“を語ってくれているような気がする。立ち位置をも教えてくれているようだ。
「何を感じたか」。哲学的でもあり、宗教的でもあると感じる問いかけに聞こえる。
きょう卒業式が行われている高校もある。あの年に入学し、仮校舎で学んだ高校生。きのうの中学の卒業式でも、答辞では様々な思いが語られていた。
録画してあった番組を観た。「未来への手紙2014」~あれから3年経ちました~。震災から半年後、被災地の子供たちにビデオカメラを渡し、カメラに向かって語ってもらった。その時置かれた環境の中で。そして、3年後の思いを改めて語ってもらっている。映画監督の是枝裕和がプロデュースし、多くのテレビ番組製作会社が参加、協力したドキュメンタリー。
カメラを預けたのは100人。カメラに語りかけ、カメラを回したのは6人。
サッカーの長友佑都選手に憧れ、サッカー選手になることを夢みていた、いわき市の子供。長友にメッセージをしゃべっていた。「負けません、絶対プロになります」と。津波が来たとき、彼はサッカーシューズとボールを持って避難した。原発事故で屋外練習が出来なくなった。グラウンドは瓦礫置き場になってしまった。夢を諦めない彼は、特待生になってサッカーの強い東京の高校進学を目指す。昼間は勉強。夜、ランニングとボール蹴り。入学を果たす。彼は再び長友にあてたメッセージを語る。
「いつかは長友選手を越えるサッカー選手になります」。
多くの犠牲者を出した大川小学校。いったんは津波にのまれて「終わった」と持ったそこ子は命を取り留めた。家族や友達をも失った。
「悲しいとか辛いという時は過ぎました。前を向きます。あの3・11を経験してボクは強くなれたと思います」。
仮設で、笑顔を振りまいている女の子がいた。笑顔が一番だと思っていかからと。
陸前高田の奇跡の一本松の折り紙で作った子がいた。姉も同じことをしていた。
「なんだい、これじゃ二本松だ」。そう言いながら彼は折り紙で作った紙飛行機を松に向けて、海に向けて飛ばした。翼には書いてあった。「がんぱっぺし」。
「3・11」と体験した子供たちは強い。本当に強い。誰が教えるまでも無く、いろんなことがわかっている。「生かされたんだ」と言う。だから「やるべきことがある」という。
こんな子供たちに「未来」を託せるっていうのは幸せなのかもしれないとも思う。
南相馬の子はカメラに向かって真剣に怒っていた。3年前。
「東京の人たち。
あなたたちの電気をつくって放射能で苦しめられるのはおかしいと思います。
それに放射能や地震がなければ友達と離れ離れにもなりませんでした。
僕たちはこれからどうしたらいいのか分かりません。
どうしてくれるんですか」。
彼は3年後、再びカメラに向かって言っていた。
「何でこんなに避難者とかが出てるのに原発無くす気にならないの。
電気が足りないからっていったって人に害加えてまで発電する必要があるのかとは思います。
人を便利にするために電気つくってるのにそれで人避難させたら元も子もないんじゃないかと思う」。
彼の問いかけに答えを持つ大人はいるのだろうか。
彼らは感じた。感じている。そして、考えている。
こんな子供たちが育ったこと、そういう子が居るという事。大人たちはそこに希望を見出し、生きる決意を固めているということ・・・。
「3・11」から得たもの、「3・11」が与えてくれたものかもしれない。
カメラに向かってしゃべってくれたのは100人中6人。94人は語ることをしなかったようだ。それも、その子たちなりに「感じること」を、空白を以って語る選択をしたのかもしれない。
2014年3月14日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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