あの「3・11」でメチャメチャになった通信環境、パソコンそのもの。ようやく“回復”させてもらい、「からから亭」を新装オープンにこぎつけたのが4年前の今日だった。
「この国の姿」と題して、溜まっていたものを一気に吐き出すように、書いて、書いて、書きまくって来た。
開店したのが2005年。架空のネット居酒屋「からから亭」。そこにはほとんど居酒屋談義のようなことを、笑い話やうっぷん晴らしを、定休日を挟んだりしながら、日に数十行。愚にもつかないことを書いてきた。古いおしゃべりはサーバーの不具合があり、大方消えてしまったが。
今、見返しても笑える。ばかばかしいくらいに笑える。3月10日は目光のから揚げの話。まさに居酒屋。メヒカリをにっこうと読んだ客がいたという“実話”。
情報が途絶された中での絶望感とパニック。情報を開示しようとしない東電や政府。うろたえる政権。情報過疎の中で、機能していたネットでは“拡散”という二文字が付けられ、さまざまな風評なるものが“拡散”されていた。
助け合う被災地の人達、買い溜めに走る人達。確かな情報がなければ噂が噂をよび、疑心暗鬼をよび。いつか来た道をたどっているようだ。
そんなことを書き、それから連日書き始めていた。
「出来ることをしよう」。そう思った時、書くと言う手段しか思い浮かばなかったから。
そして3年。数日分を読み返してみると、結局何も変わっていないじゃないかってあらためて思う。
書く字数は増えた。
日記替わりでは無い。その日、その日、毎日思ったことを、そこに何かの意味があるかと問われれば、全く無意味な、徒労のようなことをやって来たと思う。
過日、親しい友達から「友情ある説得」を受けた。一献傾けながら。
「俺はね、あなたの体が心配なんだ。毎日書くことの労力を思うと。すこし休んだらどうだ。たまにすればいいじゃないか」。
有り難かったし、嬉しかった。でも、結果、今のところ彼の友情に背いている。
思うことが、考えなくてはならないことが日々増幅されてきているようだから。
もう少し続けてみようかな。厄介で億劫な作業だが。
愚にもつかないことばかり書いているバカがひとりくらいいてもいいのかな。
そんなことも思う。
「3・11」絡みの話から抜け出し、以前のような「居酒屋談義」に戻ろうかなとも思う。でも、居酒屋談義に付き合っていてくれていた人は、もしかしたらもう、離れていってしまったのかもしれない。
迷いながら、「春」を、また来る「春」を受け入れようとしている。
とりあえず「閉店の挨拶」はちょっと仕舞っておこうかな・・・・。とも。
2014年3月19日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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