2014年3月29日土曜日

風という字に恨みはないが・・・。

春の風は心地よい。つかの間、阿武隈川の河畔で、春の風の声を聴いてきた。
そして、思いはまた・・・。

福島はさまざまな風にさいなまれ、悩まされ、苦しめられてきた。いや、苦しめられている。その風は進行中―。

原発事故。当時吹いていたのは北西への風。その風は放射性物質を運び、きままに運び、ホットスポットなるものをつくり、時には風向きを変え、県外までも飛び火させ。

13万人が事実上家を失った。若松丈太郎の詩ではないが、神隠しにあった街が出現した。

そして、風がもたらしたものを見た。

風評、風化、再稼動を目指す風、風潮。何にっ問えたらいいかは難しいが、“風前の灯”なんて言葉も浮かぶ。

風、風潮、空気・・・。人間のだよ。

消費税増税という、それをめぐる人それぞれの動き。消費という言葉が「美徳」ともされているような空気。

スマホとipadのカバーが不具合になった。買いに行った。驚いた。機種が古いからがっちするものが無いというお返事。

美徳としての消費に踊らされるように、なんでも当たらしい物が次々に市場に出回る。席巻する。古いもの、わずか数年前の物であても「淘汰」されているような。

嫌な風だ。

先日書いた「万葉集」のこと。それを読んでくれた人が、HDD録画していたといって歌を書き起こして送ってくれた。嬉しい風の便りだ。

そこにある「風」という文字が入っている句。

「海風がみちびく 一艘また一艘 この空をゆく おかえりみんな」

「ひたひたと胸を打つ波魂の彷徨う郷を吹く風の果て」


もうこれ以上、逆風よくるなよ。海も陸も凪ぎであったくれよ。

阿武隈川をわたる風は“沈黙”だったような気がする・・・。

やはり風は気儘なのだろうか。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...