2014年3月9日日曜日

怒りの矛先

多核種除去装置、ALPSは年中“故障”する。
汚染水は毎日出ている。それを収容するタンクは満杯だ。満杯が故に汚染水漏れを起こす。
その漏れた汚染水が海に流れているはず。

連日のように1Fでの異常事態が伝えられる。
収束への道筋なんてとても見えない。

除染なるものは一向にはかどらない。中間貯蔵施設の問題もなにか宙に浮いたような。それは最終処分場についての確約がされないから。
確約なんて出来るわけがない。

帰還を巡っては、もはや、住民の間に様々な溝が出来、とてもじゃないが一つに意志をまとめることは出来ない。
1F構内で起きる人為的ミス。それは作業員が、もはや、事故前のような熟練した作業員ではなく、“原発”に関しては素人のような人が多いからかもしれない。

やがて、もし、熟練した作業員がいなくなったら・・・。ありうる話だ。その時、廃炉作業、収束作業はどうなるのだろう。

原発現場の問題にしても、避難者に対する対応の問題にしても、皆「東電」を責める。当然だ。事故直後の対応からしても、いや、それ以前からの対応にしても、東電には、あまりにも瑕疵が多すぎる。もっと具体的に言えば「東電本社」。

現場で作業に当たる人達は、あまりにも過酷な環境の中にいる。ミスが起きてもしかたないような環境に置かれている。
人為的ミス。それは作業員を指すことになる。

人の怒りの矛先は、目の前にある、目の前にいる人に向けられる。福島に生まれ、福島で育ち、志を持って就いた原発での仕事。待っていたのは“後始末”。

やはり避難対象になっている従事者に、同じ県民から怒りの矛先が向けられる。
避難している家族にもそれが向けられる。時にはそれが「言葉の暴力」ともなって。

“誇り”を持って収束作業にあたっている人達の士気はそがれる。

汚染水漏れもあってか。作業員の人達の「被ばく量」は、限度とされている5ミリシーベルトをはるかに上回り、なんと1万5千人がそれを越えているという。

被ばく限度を超えた作業員。その人達はまた「そしり」や「忌避」の対象ともされる。家族も含め“居場所”を失っていうように。

大熊町で、「ふるさと再生」に向けた“じじい部隊”の活動がテレビで伝えられていた。そこには東電の関係者や、時には国の役人も加わっていた。
同じ町の東電社員ということもあるのだろうか。彼らの間には、「溝」は無かった。一歩外に出ると、それは様変わりする。

帰還に向けた町民説明会がある。目の前にいる町長は非難の矢面に立たされる。「本当に10年で帰れるのか」。激しい口調で詰問されている。除染。町長の力だけではどうにもならない問題なのに。

避難したところでは、対応にあたる自治体の職員に怒りの矛先が向けられる。
彼らを責めても、何の解決にもならないのに。

批判、非難の対象にされる“当事者ではない関係者”。不眠不休の努力をしていあても、被ばくというリスクを背負っても、その人達にたいする「ねぎらい」の言葉は無い。

どちらの側にあても「ストレス」という病だけが、心も体もむしばんで行く。

自主避難者の問題も含めて、怒りの矛先は、憎しみやさげすみ、無理解となtって人間同士を対立という哀しい構図の中に引き込んでいく・・・。

きのう、安倍首相は、お共に県選出の大臣を連れて福島県にきていたと聞いた・・・。


東京オリンピック招致のために、安倍は「アンダーコントロール」と宣言した。
最近、言い方が変わってきているようだ。
「『しっかりと事実を掌握して対応している』という意味で『コントロールしている』と申し上げた」と。

今の1Fはコントロール下にあるのだろうか。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...