最初は、そう、あの事故から、避難してから・・・。
1年間は、誰もが「帰りたい」だった。それが2年後には「帰りたいけど」となった。そして今は「やはり帰れない」になった。
3年が経とうとしている福島の現実。
「・・・けど」という二文字の助詞、時には接続詞と使われる言葉の意味は大きい。
「よくわかんないけど」「どうでもいいんだけど」、それらの「けど」とは違う意味合いを持つ。
「けど」という二文字が、消される過去を言い表しているような。その二文字が人生を「否定」しているような。
「帰りたいけど」、それが、なぜ、「帰れない」になっていくのか。先の見通しが立たないからだ。いつ帰れるのかわからない。今後どうなるのかもわからない。わずかな“期待感”もあった「けど」。
3年と言う月日の経過は、「けど」を消した。
人は、将来の見通しが立てば、そこに向かって、それを目標にして生きていける。精神力を持ち続け、立ち向かってもいける。
先が見えない時、そこで立ち止まってしまうしかない。
「置かれた場所で咲きなさい」。その本の言うとおり、おかれた場所で咲こうと努力した。
そして気付く。そこは「置かれた場所」ではなく「置かされた場所」なのだということに。そこで、どうやって咲けばいいのかと。
咲こうと根気をふりしぼり、自らが自らのこころに「栄養」を与え、時には、根を張ろうと努力もしてきた。その先に一筋でも”希望“なるものが見えると信じていたから。
現実は、すべてを否定していく。そこで咲く意志すらも奪っていく。
「けど」という言葉は無くなった。
国は、「帰る」か「帰らないか」の二択を迫る。その選択肢の中で「けど」は消された。
花の命は短い。咲く場所を見つけられるのは何十年も先のことだということを知った。
咲くべき場所が見つからない。遅い春の中で、花は戸惑っているようにも思えて。
気力が萎えていく・・・。まだまだ書き続けなければいけないのだ「けど」・・・。
2014年3月6日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
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