2014年3月25日火曜日

「熱い胸と冷たい頭」。卒業式で語られたこと。

埼玉県の飯能市に「自由の森学園」という中・高校がある。そんなに歴史が古い学校では無い。知り合いがそこの学校の寮監をしていた。その縁から、当時の経営者の人達と知り合い、行く詰まった学校経営のことで相談を受けたことがある。ほんのちょこっとだけだったが。触れ合いは。

いわば、当時の「落ちこぼれ」を集めて、自由に文字通り学ばせるという方針の学校だった。
そして、芸術家や自由人、文化人の多くを輩出する学校になっている。

数日前、その学校の卒業式があった。そこでの校長の送る言葉をネットを通じて知った。

素晴らしい式辞だと思った。その学校の卒業生だけのものにしておくのはもったいないような言葉が送られていたから。その言葉を送られた卒業生たちは見事な社会人生活をおくるかもしれないとも思ったから。

今年の卒業生はいわずもがな3・11の時の入学生だ。震災の影響で入学式も遅れ、満足な式ではなかったはず。
被災地に足を運び、さまざまな活動をした子もいる。外遊びの出来ない福島のこどもたちを自由の森に来てもらい、一緒に遊ぶという活動に参加した生徒もいる。
原発や放射能の問題に取り組んだ生徒たちもいたという。

そんな3年間を送った子供たちに校長はこう言っていた。
「一つの言葉を紹介する。それはイギリスの経済学者マーシャルの言葉。“熱い胸と冷たい頭”だ。
支援しようとする人は、支援を必要とする人達を思い、その力になりたいと願う熱い心。熱い胸がなければならない。また、その熱い思いを生かすには、どのような条件や方法、行動が必要なのかを見極める冷静な判断や科学的認識がなければならない。

この言葉は、さまざまな困難な状況に出会った時、この状況をなんとかしたい、なんとかしなければならないという“熱い胸”はもちろん大切だが、熱い胸だけで突き進んでいくことや、判断してしまうことの危うさをも説いている。熱い胸の実践を生み出すためには“冷たい頭”が必要なのだということを言っている。
冷たい頭とは表面的なことだけで決めつかるのではなく、その背景にあるもの、つまりは“目に見えないもの”を見ようとすることだ。それは“新たに学ぶ”ということなしには出来ないことだ。

熱い胸を抱き、冷たい頭で考えようとすることは、つまり、学び続けることだ。そして、その先に新しい考え方、新しい物の見方、新しい未来が見えてくるものだと思っている。

学ぶことは仲間とつながること、学ぶことは社会に参加すること、学ぶことは自分自身を発見すること。これを胸に刻んで欲しい」。

要約すれば以上のような内容だった。

最後の締めがまたいい。「健闘を祈ります。卒業おめでとう」。
健闘を祈る。卒業生に未来を託したということ。

知る・学ぶ・考える。その三つの思考の連鎖を怠るな。そう塾生には問うてきた。投げかけてきた。見えないものを見る目を養しなえとも。

期せずして、この校長の式辞の言葉と合致している。そう感じた。


「肥えた豚より痩せたソクラテスになれ」。有名な東大の南原総長の卒業式での訓示の言葉を、有名な言葉を思い出す。
そして、結果、肥えた豚にも似た人達の集まりに馴染んで行った人達もいたことを。

自由の森学園の卒業生がどんな道を歩むのか。希望を託してみたいと思って・・・。

間もなく入学式の時期だ。そこでどんな言葉が聞かれるのだろう。
一つの言葉によって、人の一生が左右されることだってある。

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