2014年3月13日木曜日

そして「チャーハン」の記

昨日、おにぎりのことを書いていて思い出したことがある。

郡山に華林という中国料理屋さんがある。馴染みの店だ。木村太クンと綾子サンという夫婦がやっている。
「3・11」。幸い建物は壊れなかったが店内はメチャメチャになった。食器からはじまって、酒瓶、厨房器具まで。

ちょうど今日くらいだったと思う。心配して駆けつけてくれたバイトの高校生らと片づけをしている時、太クンが急に言い出した。
「おい、どっかから水をもらってこい。コメはある。ガスは出る。市の災害対策本部に差し入れをしよう」。

綾ちゃんは給水車に行って掛け合い、いくらかの水を手にいれた。そしてバイトも含めて皆で「おにぎり」を作った。届けた。

店には明かりをつけていた。営業なんて出来ないが。幸い停電は免れていた。
夜、ドアと叩く人がいる。開けてみると年配のご婦人がぽつねんと立っていた。
「家は電気もつかない。食べるものも無い。買い物ににもいけない。どこも閉まっているか、すでに物が無い。主人はたまたま東京に行っていて連絡もつかない。寒いし、空腹だし。明かりを見かけたのでつい・・・。ごめんなさい」。

「入れてあげろ。うちは食いもの屋だ。なんとかする」。
有りあわせのものでチャーハンを作ってあげた。
二日間、何も口にしていなかったそのご婦人は涙を流しながらチャーハンを食べていた。「今まで生きてきてこんなに美味しいのは食べたことが無い」と。

料金は貰わなかった。「店は営業していませんから」と。

見送る夫婦に何度も何度も頭を下げながらその人は帰っていったという。「このご恩は忘れません」と言いながら。

その後日談は知らない。

実は、そのチャーハン、我が家も恩恵にあずかった。わざわざ届けてくれた。数本のペットボトルとともに。おかげで飢えをしのぐことが出来た。

食糧が無くなった。友人に電話した。コメあるか、なんかあるかと。すぐさま彼は届けてくれた。どこから手に入れたかわからないが、数日分の食べ物がまかなえた。
彼には忘れられない恩義を感じている。「恩返しは、お前の葬式で弔辞を読んでやる」と言っておいたが。

ようやくなんとなく生活が落ち着いた時、ビッグパレットが避難所になったことを知った。行った。何か出来ないかと思い。

たまたま知り合った人たちがいる。何が欲しいか聞いた。
「温かいおにぎりが食べたい」と遠慮がちに言われた。温かい物は、ずっと口にしていなかったという。

家に帰り、おにぎりを作らせ、コートのポケットに入れて運んだ。その夫婦に渡した。
「ありがとね。見ず知らずの人にこんなにしてもらって。一生恩にきるからね」。
そう言ってもらった。

華林の夫婦を始め、友人、知人から、沢山「恩」をもらった。
恩返しをしなければないらない。でも、それは後でも出来る。とりあえずは、今、目の前にいる困った人に、せめてもの、わずかな“恩”を送ろうと。貰った“恩”のおすそ分けをしようと。

困った時はお互い様。古くからある日本人の心を体得出来た。身をもって感じた。それは戦後のある時期まではどこにでもあった光景。それを蘇らせてくれた「3・11」。そんな受け止め方もどこかではしている。

身近にあった、ただそれだけの話・・・。

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