2014年3月17日月曜日

「何を今更・・・」の感

「3・11」が過ぎ、3年という節目でやっていた、被災者、避難者の一人一人の声や悩み、苦しみ、現状。そんな“国民の物語”としての原発、その話題は、ほとんど姿を消した。
また、“国家の物語”としての原発が伝えられる、勢いを増し始める。いいことなんだけど。

4年前の今日、17日。何をしていたのだろうか。毎日の行状を記録にとどめることをしない身、多分、半壊した坪井病院に、予約患者だけに発行される投薬の処方箋をもらいに行っていたと思う。ロビーで置かれた多々一つの机、パイプ椅子の医師、看護師・・・。
3・11のちょっと前から「禁煙治療」をやっていた。半ば“成功”かと思っていた時に起きた「3・11」。“破壊された家の中”。それを見た時にまず手にしたのがタバコだった・・・。でも、その治療途中だったがゆえに、薬をもらいに行っていた。

結果「不成功」のまま至る現在。

「原発ホワイトアウト」というノベルを書いた現役官僚という人がいる。もちろんペンネームしか知らないが。
その本に書かれていること。男女の事は下手な付け足しにしても、原発を巡る、政・官・電力会社。そこに裏として書かれていることはほとんど事実だと思う。なぜなら、その世界に長年身を置いていた体験、見聞からして、それは容易に想像出来ることだし。金・欲・保身・出世・・・。その実例を「原発」以外でもさまざま見てきた、聞いてきたから。

その本にある原発の話は、まさに「国家としての物語」だ。それを知ることは原発を語る上でも必須なことではあるが。

その作者が新聞記者と一緒に1F周辺を歩いた。“破壊された”光景を見た。今月の話だ。記事にある彼の言葉をいくつか。

「原発政策は考えてきたけど、周囲の人の生活は見えなかった。ここが僕のふるさとだったら許せないし、許さない」。

匂いや空気は感じられないだろうが、その光景はテレビ見ればわかるはず。見ようとしなかったってことじゃないのか。中央の官僚って、おそらく大半はそうなのだろうと再確認する。

「県名を原発につけなければ被害がなかった地域にまで、風評が広がることはなかった。安全神話の中、そんなこと思いつきもしなかったでしょうね」。

今、原発は48機ある。県名がついているのは福島と島根だけだ。なんでそうなったのか、それを知りたい。逆に、福島原発と呼ばれるがゆえに、隣接した宮城県の丸森町に降った大量の放射線。そこへの配慮は為されていないという事実。

彼は南相馬に向かう。
20キロ圏内でも、測定値は大きく変わる。「東京と同じくらいのところがあるんだ。でも、今なお避難区域は解除されていない。行政が線引きした瞬間に、コミュニティーが崩壊した。官製のゴーストタウンです。被害状況がわかった今だからいえるのですが・・・」。

県と言う行政区画。コンパスで引いた線。その非をもう、2011年以来、何回言い続けて来たか。そのばかばかしさ、おかしさを。

だから、「何を今更・・」って思ってしまう。“小説家”に悪意は全く無いが、いや、分かろうとしているのだろうが、何で今更、何を今更なのだ。
なぜもっと早く、見ようとしなかったの、知ろうとしなかったの、その上で想像力を働かそうと思わなかったの・・・。

知るという努力を怠っていたのだ。もちろん、今でも知ろうとしない高級官僚はたくさんいるが・・・。

告発本を書いたということは彼の「贖罪意識」からなのだろう。
「東京の無関心な人に“あなたも加害者だ”と伝えたい、私なりの発信を続けていきたい」。そうも言っているみたいだ。
案内した記者も協力しなさい。そして、「国民の物語」としての“告発小説”が出来るのを待っているから。

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