2014年3月26日水曜日

「不信」の中での“苦渋の決断”

今、福島県は、いや一概に福島県というくくりで語ってはいけない、真実の姿を語っていないと思うが、少なくとも原発事故の影響を受けた人、避難者も、今、浜通りに暮らしている人は「限りない不信」の坩堝に身を置き、苦しみ、悩み、嘆き、諦め、“苦渋の決断”を強いられている。なぜ“苦渋の決断”と書くか。その言葉は、人の心中を推し量る上でのマスコミの常套句になっており、的確な表現手段ではないと思うから。

「不信」という実態、空気に覆われた中で、多くの人は疲れ果てている。何も信じられない。吐き捨てるように言われる言葉は真実をついているような。

そして「不信」はさらに増幅されるだろう。

「レバ・タラ」を言う気は無いが、あの事故の後、東電や政府、自治体が「嘘」を言わなければ、それは意図した嘘であった場合もあるし、意図せざる「嘘」もあったが、嘘はばれる。ばれ続ける嘘。それが「不信」となる。
もし、あの時、嘘や隠し事、それが自己保身に起因するものであったにしろ、嘘が無ければ、今置かれている事態は変わっていたのかもしれない。

事故対応、汚染水、賠償。あらゆることでの東電に対する、国に対する不信はぬぐいようが無い。増幅している。増加、増加・・・。

汚染水の増加を抑えるため、建屋に流れ込む前の地下水をくみ上げて海に流す、いわゆる「地下水バイパス計画」。それを県漁連が容認した。新聞は“苦渋の決断”だとやはり書く。

汚染水をためるタンク。その敷地だって限度がある。タンクの増設だってままならない。建屋に入る前の水を迂回させて海に流す。
それしか方法は無いだろうと思う。なにせ「能力」として、建屋からの溶けだした燃料を除去するなんて出来ないのだから。
そういう現実なのだから。

なぜ漁連が躊躇してきたのか。なんでもない水を流しても、そこに「風評被害」が発生することが目に見えているから。
多分、バイパスで水を流し始めたら、東京あたりの反原発団体や、“賢い消費者”という名の愚か者たちが、またぞろ風評を流すだろう。

多くの人が、「アンダーコントロール」が嘘だったということに気付いているから。

これまでの度重なる汚染水漏れ、人為的ミスで納得してしまって来た。ALPSの故障。漁民にとっては限りない不信に突き落とされているのだ。

それでも彼らは「行き場を失うであろう汚染水問題を見て見ぬふりは出来ない」という。諸手を挙げて賛成なんて言う人は誰もいないはずなのに。
最早、今は・・・。

「もし、汚染水が出たら福島は漁業も農業もおしまいだ。命の瀬戸際なんだ」と言う。

タンクは1年で敷地からはみ出す。もはやタンクも限界だと東電は言う。見た目にもそう思えるがこの東電の言っていることが本当の事実なのか。

バイパスに流す水は国の原子力対策本部が独立行政法人と言う名の第三者に委託して検査するという。水の状況は国の現地職員が確認に立ち会うという。

漁連は、そんな条件を受け入れた。

でも、心のどこかでは思っている。その検査や確認が正確なのかと。国に対する不信感が生んだ結果だ。

帰還問題を巡っての放射線量測定でも、国は「ちょんぼ」をやった。隠した、嘘の数字を出してきた。

もう国は信用できない。そんな空気が蔓延している。それの良し悪しはともかく帰還問題はまたも紆余曲折をたどることになる。

「強制移住だ」と声高に言っている人がいる。正義だと言わんばかりに。そんな言葉では何も解決しないのに。

不信の坩堝。もはや解消は無理だろう。ならばどうする・・・。
言うがまま、されるがまま、「諦め」の世界に行くことか。

ボクは特に福島県というところに郷土愛なんていうものは無い。単なる居住者だ。
だけど、およそ、世の中にある“平等”に“不公平”というという「感覚、思想」に腹が立って仕方がないのだ。

いくら福島の米は安全だと言っても、それが給食に使われることに猛反対する親がいる。それとても「不信」の為せる業。
行き場の無い、やり場の無い怒りを抱えて、当事者ではないボクですら、いい加減疲れているのだ。

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