11月だ。秋が深まって行くの感。紅葉や枯れかけた木々が、雨に濡れている。
時の移ろいも含め、なにか物悲しい秋・・・。
ジャズの名曲♪レフト アローン♪。マルウオドロンが書いた曲。ジャッキーマクリーンのサックスの音を何度聴いたことだろう。
この季節にお似合いの曲だ。
秋が去っていく。一人では無く、人を道連れにして。
たしか、この曲は、映画「マジソン郡の橋」でも、ラストシーンに使われていたような記憶がある。原作にも使われていたような。
本を読んで、自分が勝手にこの曲を重ね合わせていたのかもしれないが。
Left alone。一人で去って行くという意味か。一人ぼっちになるという意味か。
悲しみに心がわしづかみにされるような曲想。
原発事故による、“災害関連死”、年月の経過とともに増えているという。県内では57人というのが、内閣府の統計。
実際はもっと多いのだと見る人もいる。その死が“伏せられている”ことも含めて。
自死、孤独死。
被災者の診療、こころのケアにあたっている精神科の医師は言う。
「絆」「復興」という言葉がかえって彼らを辛くすると。孤独感にさいなまれて精神のバランスが取れなくなるのだという。
復興なるものが、進みつつあると言われる時、自分の周りには復興の気配すら見えないとき、絶望に支配された時。“希望”が見えないとき、彼らは選ぶ。
レフトアローンの道を。
悲しみは人を優しくさせるという。しかし、人はどれくらい「悲しみ」に耐えられるのか。
帰れる家はそこに存在している。しかし、そこには帰れない。帰ることが出来ない。見慣れた景色もそこにはあるのに、そこには立ち入れない。
その「住居」が形として残っていると、余計に、帰れないという現実が絶望感を増すのだとその医師は言っていた。
津波で家を流された人たちがいる。自力で立ち直るしかない。原発避難者には月10万円の賠償金が出る。
たとえばいわき市。避難区域の人たちはかつて馴染んだそこに暮らす人も多い。
しかし、そこには「10万円」を巡っての確執が、内在していたものが表面化してきているという。
先日、大学の同窓会で会ったいわきの経済界の重鎮だった人が、その実情を語ってくれた。
避難区域の人たちは、多くが、いわきに買い物に出かけていた。御客さんだった。それが、今は“怨嗟”の的ともされているとも。
30万人都市の中で味わう孤独ということなのだろうか。
それは一つの現実。家を津波で奪われた。家はあるが戻れない。どちらがどうだと語ることは出来ない。
「常懐悲感 心遂醒悟」という言葉がある。法華経の中にある言葉だ。
常に悲しみを懐に抱いていれば、やがて、心が覚醒するという意味とか。
しかし、なかなかそうは行くまい。悲しみが月日の経過とともに増すことだってあるのだから。
なぜ、またこんなことを書いているのか。秋は悲しみの季節だけではないはずだけど。時の経過が悲しみを連れてくるわけでもないのだけれど。
マクリーンのむせび泣くサックスに身をしばし置いてみるか・・・。
2014年11月1日土曜日
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