2011年6月30日木曜日

節電と言う名の”殺人”

日本列島酷暑です。熱中症患者急増。きのうは4人の死者が出たとか。熱中症患者は去年の六倍だという。

もちろん熱中症患者は家の中で発症した人だけではなく、表で作業していた人などもいるわけですが。

ニュースの伝え方。熱中症と節電を関連付けるような伝え方。たしかに、中にはエアコンを使わずに、我慢していて熱中症になった方もおられるかもしれません。


。。。。ここにきて、、googleブロガーの不調。。。

二回書き直して・・・。

要は、電力不足、節電。
「電力需給量」云々は、電力会社の「陰謀」があり「からくり」があるという懸念がぬぐい去れないということ。

日本人は生真面目で素直な国民。マスコミまで巻き込んでの節電大キャンペーン。それにのっかるのは命懸けかとも。とりあえずきょうはこのへんで止めておきます。ブルガー不調が怖いんで。これも「電気」のせい?(笑)。

ブロガーの不調、よろしくお願いしますよ。googleさん!!

2011年6月29日水曜日

幸せってなんだっけ

人間というのは不思議なもので、突然思考回路が飛ぶことがあります。亭主だけかもしれませんが。

数日前に書いたものに匿名さんからコメントが寄せられました。もちろん匿名さんなのでどこのどなたかはわかりませんし、どうもたまたま立ち寄られたみたいなんですが。

「幸せ」ということについての問題提起が書かれていました。とりあえず数行、返事はさしあげたのですが。幸せってことについてあれこれ考えを巡らせていたら、突然、さんまが歌っていたキッコーマン醤油のCM、「幸せってなんだっけ」って歌が浮かんできてしまって・・・。

もちろん大震災以前に、ずいぶん前から流れていたCM。様々な社会問題を抱えながらも、人それぞれが幸せな生活を望み、それを手にしていた時代。
あのCMは一つの問いかけをしていたような気がします。
日常生活の中に、醤油があるという平凡で、ささやかな幸せ。こんがりと焼かれた秋刀魚に大根おろしと醤油をかけて食べたあの味がある幸せ。秋刀魚とは戦後の食卓の象徴でした。

そのCMの最後の一節にこんなくだりがあります。
♪しあわせってなんだっけ なんだっけ 空に浮かんだ白い雲
 しあわせってなんだっけ なんだっけ 抜いた指輪をまた戻す
 しあわせってなんだっけ なんだっけ あほとアホとの思いやり♪

3・11以降、被災者たちは、生き残った人たちは悲惨な環境に身を置きながらも無意識に幸せを探していました。求めていました。

届けられたおにぎりひとつに幸せを感じた。一週間ぶりに入った風呂に幸せを感じた。避難所では人の優しさに幸せを感じた。与えられた幸せにありがとうと答えた。

家族を津波で亡くしながらも、生きていることへの複雑な思いを抱えながらも、どっかで何かを幸せと感じている。

栃木県の老夫婦がテレビか新聞で伝えられた被災者の声を知りました。18才の若いお母さんが、母乳がでなくなった。赤ん坊のミルクが無い、おむつが無いと訴えていました。
老夫婦はそれらを手配して避難所に送りました。数日後、お礼の電話がかかってきて、幸せだったと言われました。それ以来、老夫婦のこころの中に、その母子の幸せを願う部屋ができたということです。仮設に入れたかな、パパの仕事はどうなったかな、毎日毎日思うだけでした。
ある日、郵便受けに見覚えの無い筆跡の封書が入っていました。その若いお母さんからの手紙。可愛い模様の便箋に、娘が寝返りをうつようになった、やっとアパートに引っ越せたなどと近況が記されていました。そして、最後に。「あなたが困った時は今度、私が助けます!」という一行があったということです。被災した3人の家族の幸せをずっと願い続けて生きようと老夫婦は思ったということです。

幸せのおすそわけ・・・・。老夫婦は人生で最高の幸せを被災者から貰った。
こんな幸せの形が、たぶんあちこちで生まれているんだなと思います。

人のために何かをする。人のために役立つ。それが、やがて自分にも幸せを運んで来てくれる・・・。

福島県の子供たちが、表に出て青空の空気を思いっきり吸い込んだ時。子供たちは幸せをかんじるでしょう。酷暑の日、プールで遊べた時、戻って来た幸せを頭から浴びるでしょう。そういう日が早くくることを祈るのみです。

マザーテレサの言葉にこういうのがあります。
「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要とされないと感じる時です」。

最小不幸社会の実現というお題目を掲げた首相が、今は最大の不幸を味わっている。ま、感じてないとは思いますが・・・。
あほとアホとの思いやり。幸せの原点なんでしょうか。

2011年6月28日火曜日

かくも絶望的な乖離

言うまでもなく、菅をとりまく政治の有り様と被災者の気持ちのことである。絶望的な乖離。

昨夜、テレビで中継されていた菅の記者会見を見ていた。あるフリーランスの記者が菅の政治哲学を問うた。菅は一瞬たじろぎ、国民それぞれが・・と訳のわからないことを言い始め、テレビの中継は終わりになった。聞くことができなかった。きょうの新聞にもなんら書かれていない。

退陣の時期や人事のあり方を質問するが、菅ははぐらかして明言しない。一人一問と決められているのか、たたみこむ質問は無い。次に名指しされた人は別な事を質す。なんで同僚記者の質問に答えが食い足りないと思ったら他社でもそれについて二の矢、三の矢をはなとうとしないのか。官邸報道室が取り仕切る記者会見の限界か、記者の質か。

突っ込んだ論戦は記者会見では不可能なのか。ならば国会論戦しかない。その国会で果たして論戦が行われるのか。

迷走、混迷。もはや菅の政治手法を語る言葉さえ持ち合わせない。それでも政治に一縷の望みを託さなければならない被災地や原発難民や哀れ。

菅直人という男はまさに”我欲”の人間なんだと思う。自分さえよければいい。自分の都合の良い人にだけ擦り寄る。盟友であるべき民主党の執行部の意見など取り入れない。自分の辞任を迫る奴らは途端に敵に見える。

亀井の意向を良しとし、それに習う。あげく石井一もだとか。古い自民党政治を生き抜いてきた政局だけを生きがいにしているような奴らと手を組む。

権力の座を射止めそれを死守しようとすることに血道を上げる男。生き残りを画策する男。その頭の中には被災者の日常のことなど消し去られているのでは。

不信でもない。失望でもない。もはや絶望しか無い。政治にいくら絶望しても被災地の人間も、国民も、今日も、明日も、生きていかなければないらない。

最後まで防災無線のマイクを離さず「高台に避難してください」と訴え続け波に飲まれた南三陸の遠藤未來さん。彼女の声が多くの人の命を救った。
彼女の死を悼み世界中からも哀悼の手紙が寄せられているという。死を覚悟しながらも己の使命を全うした。そんな人のことを「利他の心」と呼ぶ。やはり身を捨てたというお釈迦様の教え。

第二の、第三の遠藤未來さんが被災地にはいた。

身を捨てて、己を殺して民を救おうとする政治家はありや。政治家の言葉に希望の光は見いだせるのか。ありえない。

民主党議員の覚醒を望む。何も内閣の一員だからとか、執行部だからとか「大人」の理屈を口実にして身をすくめているときではない。

きょうも・・・。東電の株主総会は荒れ、永田町では政争、政局というゲームが繰り広げられている。そう、単なるゲームが。
原発では暗中模索の作業が続けられ、被災者、避難民たちは明日の方向すら見つけられないでいる。

今、この時。福島県に居てよかったと思う。津波で家族を失ってしまった人たちを身近な知人として持ち、放射能の”恐怖”におののく人たちの中で暮らしていることを。被災者の近くにいるからこそボクにはいささか語る資格があると思う。

2011年6月27日月曜日

「測定」した後は・・・・

放射能の恐怖から、不安から解放されない日々・・・。当初は福島県だけのことと思われていたのが関東地方にも、いやその他の地域にも及んでいることが判明するにつれて「測定」が日常の光景に。

なにやらメディアの関心も関東地方に。0.4マイクロシーベルトもあろうものなら「きゃ~~高い」と。こっちは毎日1.3から4.0の中で暮らしている。

週刊誌の見出しはまさに放射能汚染列島。この「ムード」よろしくないですよ。

「年間積算放射線量は20ミリシーベルト」。信用出来るかどうかはともかく国が決めた基準。今の数値では県内の一部を除いては超えることはまずない。

「数値に振り回されないで。日々の測定値に」。

福島県民は200万人余り。全員の健康調査を実施するとか。私事ではありますが、亭主はX線検査を去年は二回やっている。たしかCTもやった。16年前には放射線治療。かなりの被曝者かと。

ま、亭主の場合だととりあえず問診票というか行動調査票あたりが回って来て、もう100日以上も前の行動なんて記憶にないけど、あまり意味ない表とにらめっこして終わりかと。仮にホールボディーカウンターで内部被曝の線量検査したらどうなるんだろう。興味だけは無きにしもあらず。

きょう浪江町の住人が10人ほど専門機関の検査を受けに行きました。どういう結果が出るのか。受診者のひとりの方が言っていました。「はかってもらって安心したい」と。

そうなんです。測定とは安心の確保なんだと。

放射能の影響。癌が言われてきました。しかし、専門家と称する人たちによれば、もちろん全員ではありませんが。他の健康被害もありうるとか。しかし、いくらでどうなるかなんて医者だってわからない。

もし、仮に年間20ミリを超えるであろう、いや仮にすでに超えてしまった人がいたらどうするの。治療方法みたいなものはあるの。ヨウ素は安定ヨウ素剤なんて言われたけどセシュウムは?。

被爆量を軽減する医療ってあるの?この疑問、答えは聞いたことない。

広島、長崎の経験は今回は生かされないのか。

県民全員が20ミリシーベルト超えていないことを祈るのみ。

2011年6月26日日曜日

「責任」という無意味な言葉

「責任を持って」「それが責任」からはじまって「責任を取れ」「責任はどうする」などなど、毎日、毎日「責任」という言葉が飛び交っている。

飛び交えば飛び交うほど「責任」という言葉の重さが薄れ、意味を持たなくなってくる。

「責任を取れ」と迫り「責任をとります」と答えればそれで終わり。その責任なるものの実態は何にも無い。

子供を守るのは親の責任だという。この子たちに万一の事があったら誰がどういう責任を責任をとるのですかと責める。

誰かに責任を押し付ければそれで満足する。納得する。こんな風潮がまかり通っていないだろうか。通っている。

意味の無い、実態を伴わない責任論が横行していることにいささかうんざりしてきた。

首相が辞めれば「政治責任をとった」ということになるのだろう。東電の社長が辞めれば責任をとっての引責辞任ということになるのだろう。居直って「今、しなければならないことをやるのが責任を全うする所存」というのもあるし。

不毛で不能な政治のもとで苦しみを与えられている人がいる中で政治責任をとった人はいない。

刑事責任を問われれば裁判で有罪となり獄につながれる。刑を受けることで責任を果たしたと言われる。多分、裁判所というか司法が追及し、法の名の下で問える責任はそこに犯罪と言う実証出来る事実があってのこと。

子供たちの健康が心配だから。保護者と弁護士が「学校疎開」の仮処分申請をした。市を相手取って。市長の責任を、学校の責任を問うということか。
多分、おそらく、司法は判断を下せない。せいぜい「行政の裁量の範囲のことだから司法にはなじまない」ってことになるのでは。

社会通念上「責任」という言葉に実態は無い。あるのは刑事責任や民事責任を問われて裁かれることだけ。

「お前じゃわからん。責任者を出せ」。クレームや不服がある人たちが企業や役所の窓口で使う常とう句。責任者って単なる上司でしょ。

責任という言葉には「当然負わなければならない任務と義務」という意味もある。与えられた仕事を全うし、人の役に立ち、人から必要とされる。これ、人としての責任。利他の心。

意味の無い責任と言う言葉が横溢し、その言葉が余りも軽くなってしまった今。あげく、被災にあったのは「自己責任」なんて言われだされるのではないのかと危惧の念を覚える始末。

ああ、またなんかぐだぐだ書いている。亭主の責任って何だろう。何をもって責任を果たしていると言えるのだろう。

本来は重い意味を持っているはずの言葉が、余りにも軽くなっている今。

2011年6月25日土曜日

電力不足のこと

我慢して耐えましたが、昨日、一昨日の暑さは凄かった。

もはや国民の間に刷り込まれてしまった「節電」というコトバ。節電に越したことは無いのですが。

テレビの節電キャンペーン。ものすごいです。節電グッズ。節電対策。熱中症予防のあらゆる“方策”。

マスコミこぞってやれ「サマータイム」だの、休暇の取り方だの。

「電力需給量」。この数字って東電がだしてるものでしょ。何万キロワット、供給量の90%越えとか。この数字ってホントなのかって疑ってしまう。

散々騙しに騙してきた、隠しに隠して来た東電。まったく信用、信頼を失ってしまっている東電の数字に右往左往ってのがなんか納得いかない。

酷暑、電気が足りない、足りないってあれだけマスコミがやれば、危機感募るばかり。で、我慢にも限界が来ると、やはり原発がないと・・・って思わせるような話題ばかり。

意図はしてないものの「原発必要」ってことにマスコミが使われてしまっているような。

気象庁の予報も暑い夏。この酷暑にどれでけ人が耐えられるか。根をあげてしまうのでは。

省エネ、節電キャンペーンは新たなビジネスモデルも作り出している。なんでもかんでも省エネ商品。

なんか異様な光景にさえ思えてくるのですが。

自然エネルギー。太陽光パネル。電力量確保するために、またもや新たな「利権構造」が生まれないとも限らない。

とにかく電気が無いと生活できない。世の中動かない。もうそんな文明社会が確立されてしまっている。経済活動全般も含めて。

電気が足りない世界でどうやって生きていけるのか。この夏はどうにか我慢出来ても、この冬は。来年の夏は。冬は灯油が高騰するでしょう。
扇風機は売り切れ状態だとか。まさか扇風機の買占めってことは無いでしょうが。被災証明書がネットオークションで出品される時代・・・。

本当に電気は足りないのだろうか。凄い疑問なんですけど。あの数字の信憑性は。みんな発表数字を信じている。それに従って行動している、我慢している。電気を使えば“非国民”になる・・・・。

2011年6月24日金曜日

「命のつかいかた」

塾生が一冊の本を届けてくれた。「3・11 心に残る140字の物語」。

内藤みかさんという作家でエッセイストの女性が編者としてまとめた本。
震災後、茫然自失として書く事さえ辞めていた内藤さんが、ふと気づいてツイッターを開く。そこにはなんと多くの「物語」が展開されていた。140字という限られて字数の中で、いや限られているからこそ、余分なものはすべて削ぎとり、様々な思いを凝縮させた物語。内藤さんはそのなかから100篇を拾って本にまとめたという。

その中の一つの物語を引かせてもらう。

        「命のつかいかた」

王は言った。
 「一からこの国を再建する。しかし生贄が必要だ。誰かこの国の未来の為     に名乗り出てはもらえないか」
予定を上回る若者が集まった。誰の顔にも迷いはない。王は心から安堵し、自ら毒を飲み干した。
「生贄は余だ。お前たちはよく話し合い新たな王を選べ」 
復興は早かった。

この本を菅直人が読むことはまず、絶対にないだろう。しかし、読んで貰えればと思う。

この本の帯封にはこう書かれています。

ほっとする。涙が落ちる。明日への勇気が湧いてくる。
一人ひとりの気持ちが集まって大きな募金になるように、小さな作品が集まって一冊の本になりました。この本ができるのは、誰かの心を温かくさせる「ココロの支援」。そっと開いてみてください。

集められた「物語」は被災地の人が書いたものもあれば、そうでない人たちのものもあります。

先週、書いた随想。そこに亭主は書きました。「表現が”生きる”ということに結びついてくる。絶望的な状況に置かれた時、こうした”表現”することを持っているかどうかが重要な意味になる、と。

この本に集められた物語の作者たちは、皆、強く生きようとしているのでしょう。
書かなくてもいい。しゃべるだけでもいい。怒りの感情でもいい。
何かをすることで何かが変わる。何かをすることで自分も変わる。

この本を何回か読み返すつもりです。自分の中の何かが変わるかもしれない。そっと開くつもりです。そして、多分、頁を繰る度に涙をながすことになるでしょう。

ひとつだけ挙げた物語。作者のツイッター名はもちろん書かれています。だけど、どこの誰だかは探さないことにします。

2011年6月23日木曜日

永田町一揆のすすめ

なぜか昨日、田中角栄の夢を見た。なんの脈絡もない夢だったが。夢に出た田中角栄は、もちろん現役の頃の姿ではなく、病床から出てきた姿だったが。
再会の握手をした。手には力がまだあった・・・。

国会が延長された。8月の末まで。この期間で何が行われるのか。復興のための予算や法律はもちろんあるのだが。延長は延命のためのものだった。多分、誰もがまもなくそのことに気づくはず。

延長国会が順調に進むわけがない。与野党問わず菅に不信感を持っているから。

顔も見たくない。はい、国会の中だけではなく、ここ東北の地からも申し上げます。見たくない、見たくない、見たくないと。

政治家としての使命感をもって延長に持ち込んだのなら、それが決まった直後から、山積する課題へ取り組むのが常道。なぜか昨夜は「仲間」と酒飲みに。それもはしごで。

そのころ避難所や仮設で暑さに耐えながら多くの人たちがどんな時間を過ごしていたことか。原発事故現場で過酷な作業をしている人たちがいることも多分、頭の片隅にも無いのだろうと。

きのうの本会議。東北出身の自民党議員は採決を棄権したという。

菅から辞任お言質をとれなかった岡田の心境分からず。ご乱心の殿と、まだ付き合うつもりなのか。それほど「民主党」という政党が大事なのか。

一人、民主党の議員が議運の筆頭理事を辞任したという。こころある民主党の方々よ。そろって今、あなたがたが与えられている役職を辞任しなさい。もちろん閣僚もだよ。身内からの一揆に立ち上がりなさい。

一日に一億円はかかるという国会の経費。延命のための経費と思えてくる。

国難の時です。延長国会中の議員歳費は全員返上しなさい。手当も返上しなさい。歳費がなければ生活に困るというなら議員会館に篭もりなさい。仮設よりも環境は恵まれている。援助物資で暮らしなさい。オニギリとパンで。70日間そうやって暮らしてきた人もいるんだから。民と共にあるのが政治家の勤めでしょ。

「歳費返上」。そんな声を、一揆の声をあげる政治家いてもいいんじゃないの。

国会空転。そんな事態になったらほんと被災地は怒りで燃えますよ。

被災地には無情の雨が降っています。無情はやがて無常に変わる。諦めに変わる。それを菅は待っているのかもしれない。この70日の間に。

それにしてもなぜ田中角栄の夢だったのか。自分でもわからない。

2011年6月22日水曜日

「東北一揆」しかないのか

一揆。百姓一揆と言われたように、それは、支配者への抗議、闘争などを目的とした農民の武装蜂起と辞書にはある。

被災地にはもちろん自衛隊や警察、さらにまだ、数は少なくなったとはいえ、ボランティアの人たちが活動を続けてくれている。全国から有形無形の援助が差し伸べられている。避難して行った人たちを暖かく迎え入れていてくれるところも人たちもいる。

しかしー。被災地とそうでないところでは「隔たり」が増幅されているような。

過日、「東北処分」という言葉を使ったが、東北処分は確実に進行していると思われる。

政治という世界ではそれが顕著である。被災地のためにと誰もが口を揃えていう。しかし、マスコミの伝え方にもよるだろうが、延命だとか居座りだとか、辞めろ辞めないから始まって、誠に箸にも棒にもかからないような「政局劇」、権力闘争。

被災地ではその帰趨や動向に意を用いている人はいない。どうでもいことなのだ。しかし、永田町の人たちは口を揃えていう。「あなた達被災者のために」と。この意識の感覚の隔たりをなんと見るか。

昨夜、農場を経営する青年や放射線量の高い地域に暮らしている青年など数人と会合。農場経営者は真剣に熱く語っていた。放射能の中でどうやって生きていくかを。
彼らは寝ずに勉強している。どうあるべきか、どうすべきかを。もちろんひまわり栽培はやっている。大麻草(違法の麻薬ではありません)のよる除染もありだとか。

土に携わっているものだからこそ生まれる発想と反省。「我々はいかに自然を軽率に扱ってきたか。神聖な山をどれだけないがしろにしてきたか」。自然には自然の摂理がある。農事歴をもとに、月の満ち欠けをもとに向き合ってきたならば、自然災害はもっと防げたはずなのに」。

そしてかれは一つの理想を語り始めた。「山に住もう。山に10家族位のコミュニティーを作り、木を植え、畑を耕し、山の手入れを怠らず、山の恵みを感じて暮らしてみよう。人が山を愛せば、山はそれに答えて恵みをもたらしてくれる。山の恵みは海にも及ぶはず」と。

「山を削ってニュータウンを作り何千人もの人が移り住む。そんなことをしたら、また山の怒りに触れる。山はそのままにして、その中で住まわせてもらう。そんな発想をしないとだめだ」とも。

たしかに。国土の大半が山であるにもかかわらず、山を人間は”征伐”してきた。間伐さえも怠り。開発、開発を。洪水は起こる。熊や猪は人里に来る。自然の摂理に背いたからだ。

酔う程に現実論も飛び出す。仲間うちでは真剣に語られて議論だという。汚染された土を、例えば校庭の表土でも、それらの土をダンプカーに満載して官邸や議事堂に持って行こう。おろしてこようと。

余りにも文明、文明に、その病に犯された平成という時代。文明を求めすぎた結果の惨禍、原発事故。

平成の農民一揆。「やろう!!」とけしかける亭主。そして名付けた「木こりプロジェクト」を実現させようと。

東北の怒りは、「隔たり」が故に永田町や霞が関には届かない。おざなりの視察では本質は見抜けない。見抜けないどころか「放射能のゴミは福島県に埋めろ」と視察に来たなんとかという政務官とかが言ったという。

一揆しかないのかもしれない。行動だけでなく意識も。

一揆という言葉にはもう一つの意味がある。心を同じくしてまとまることと辞書にはある。

どっちにしても一揆なのだ。求められているのは。

2011年6月21日火曜日

度し難いバカども

「俺がやらねば誰も出来ない。俺しか出来ない」。そんな馬鹿げた思いあがりが菅の頭の中を支配しているのだろう。

引き際をめぐる条件闘争。こんなこと前代未聞だよ。「あんたが辞めればうまくいくんだよ」。そう言われたらさっさとやめればいい。「辞めるから、これとこれとをやってく」と遺言すればいい。もっとも遺言の中味にもよるけれど。

次々と引き出されてくる退陣の条件。ついには再生エネルギー法案だと。菅が総理大臣になってからの言動や行動を見てみよう。自分の頭の中はからっぽ。知恵ゼロ。だからいろんな会議立ち上げて美味しそうな意見だけ取り入れようとする。そうした。だから日替わりで言うことが違ってくる。

最後の土壇場で言い出したのが孫による入れ知恵。再生可能エネルギー。

ふざけんなよ。今、我々が欲しいのは、自分たちの生活を再生させるためのエネルギーなんだって。

震災後、菅が何をした。なんにもしていない。混乱だけを起こしている。

「東電は俺のこと嫌っているからな」。そんなことを側近に言ったとか。嫌っているのは能力がないから。嫌われているのなら、言うこと聞いてくれるわけがないのだから引っ込めよ。

この10日あまり。「政局」というおままごとのようなお遊びに、遊びほうけた馬鹿どもによって、政治は全く動いていない。被災者救済なんて出来ていない。

復興法案出来たじゃないかというかもしれないけど、余りにも遅きに失している。

そのバカバカしい政局騒ぎを毎日金魚の糞みたいに追い掛け回しているマスコミ。記者のみならずアナリストだとかなんだとかの具にもつかない解説。

永田町の手練手管を解説してもらってもなんの役にも立たない。

原発はいっこうに改善の兆しなし。瓦礫は積まれたまま。住むところ。仕事。
どれもこれも明日では遅すぎるんだよ。

ホリエモンが収監。見に来いとツイッターで呼び掛け。高検前に行くバカ。群がる250人ものマスコミ。これがこの国の現実だ。

度し難い馬鹿どもが多過ぎる。

民主党の議員さんたちに問う。「なんであなたたちは菅を選んだの」と。
菅さんよ。あなたがいるだけで政争の種は尽きない。政争は終わらない。一日、一日延命するたびに、被災者は、一日、一日不幸になる。

いくら言っても通じないな。「この国は俺でもっている」と盲信しているんだから。

誰がネコの首に鈴をつける。もう”愛妻”しかないのかな。せめて伸子夫人の、孟母の”決断”に期待でもしてみようか。

2011年6月20日月曜日

福島県民の体調

福島県民で明るく元気な人はいない。少なくとも亭主の周りでは。挨拶変わりに「いやいや、疲れたない」という。みんな疲れています。体調不良なんです。

たしかに、放射能による内部被曝は受けています。数値の多寡はともかく。今度の原発事故で。ただ、それは健康に被害を及ぼしたか。及ぼす可能性があるのかどうか。

疲れている、体調不良だ。それは内部被曝のせいではありません。ストレスなんです。過度のストレスを皆受けているのです。

日々の生活パターンを変えざるを得なくなったということだけではなく、メディアの伝え方や、記事を補完するための逃げ口上のような専門家とか識者の意見。そしてネットを通じ、クチコミを通じて伝播するデマの類。

「子供のおでこの湿疹が出来た。被爆だ」。あわてて遠隔地の病院で検査うけるとか。もちろん結果は単なる汗疹。
「福島の子供は鼻血を出している。下痢ばかり起こしている。放射能のせいだ」。勘弁してくださいよ。50キロや60キロも離れているところで。原発の建屋の内部ならともかく。

デマというより実際子供は下痢や鼻血を出すものです。風邪が原因でも。それを反原発団体の主催するグループに相談に行く。そこで不安を増長させられる。

放射能の内部被曝による疾患。癌の可能性が最多です。家で親がタバコを吸っていて、子供に放射能による癌の可能性を心配する。ちょと変じゃないですか。

懇意にしている医者と話をしました。あらゆる病気の原因はストレス、過度のストレスによるものが多いと。ストレスが人間の持っている免疫力を壊し、疾病を発症させると。

記事をちゃんと読んだわけではないけれど、今日発売のアエラが書いているようです。千葉県に住むお母さんが給食を食べさせない。給食と同じ献立を作ってお弁当を子供に持たせていると。子を守る親の”美談”のように書かれている。このおかあさんのストレスはすごいでしょうね。そして親のストレスは子供にもなんらかの形で”伝染”する。

福島県民は疲れています。皆、体調不良です。原因は。よくわからない放射線や、なんら安全を示してくれないお国に対する絶対的な不信。大騒ぎのメディア。それこそ「生活の安全神話」にどっぷりつかって来た発想から転換出来ない弱さ。

人が集まっても、もちろん学校でもどこでも。話題は常に放射能、放射能。精神的に疲れますね。ストレスが蓄積されて行きますね。積算ストレス量。

講演でも、書物でも、講義でも言い続けています。「人間力」だと。人間力が試されている。それでしか乗り越えられない。

2011年6月19日日曜日

普通に戻ったテレビ

あれから100日が過ぎ、なによりも”普通”さを取り戻したのがテレビではないかと。

震災後最長72時間のノーCM放送をやっていた民放。やがてACだらけになっていた民放。ACも例の「ポポポ~ン」は無くなったけどたまに空き枠埋めるために登場するくらい。

CMの内容はかなり震災の被災者に気をつかっている様子。下手なCM流せば企業イメージが損なわれるということだろうか。中には被災地へのメッセージになるような工夫されて上手いものも。

どうもいただけないのが番組。惨禍を忘れたような、今も進行中の放射能のことなど忘れたような100日前と変わらぬくだらないオバカなバラエティー番組。
どうでもいいような御笑い番組。

どっかの局のプロデューサーがツイッターでつぶやいて反響を呼んでるとか。「民放の夜7時台。ゴールデンタイムの視聴率が軒並み一ケタになってしまった」。一ケタとは10%以下。内閣支持率の”危険水域”ではないけれど、番組打ち切りの危険水域。

東日本だけじゃない。全国やはり震災の大いなる影響を受けている。気持ちだって晴れない。それこそ「閉塞感」。そんな中でテレビだけは、ま、かくもノー天気でいられるのかってくらいのつまらない、くだらない番組だらけ。どこの局を見ても同じような。

そしてドラマ。もちろんほとんど見ませんが、番宣見てるだけでギョっとする。なんだってこうも殺人物、殺人事件ものが多いのか。人が殺されないと刑事物のドラマは成り立たないのか。

地震、津波によって奪われた人命は1万5千人以上。人が死ぬということにどれだけの人に嘆き悲しみ苦しみを与え、それを背負って生きて行くのか。人が死ぬということはもう嫌なんです。

テレビは毎日のように人を”殺して”いる。視聴者の気持ちをよそに勝手に普通に戻ってしまったテレビ。映像は時にはよりリアル化され。

空に届くような巨大なテレビ塔が喧伝され、さまざまな機能を持った新型テレビが登場し。

「正直、見たい番組がない。もうテレビはいらないかも・・・」。そんなリツイートが多数寄せられたとか。

普通に戻るってことがいいのかどうか。少なくともテレビに関しては。

2011年6月18日土曜日

あれから100日・・・

もう100日か。あの恐怖の日から100日。100日という日が経って何が変わったのか。

人は日数(ひかず)をもって何かの区切るとする。死者を送るに49日という区切りがあるように。100日というのも「忌」の日。多くの死者を出したところでは鎮魂の祈りがささげられた。行方不明者を探すという「償い」という日々に、一つの区切りをつけようとする人達もいる。

新聞に載っていた一枚の写真。泥にまみれた日めくりカレンダーは3月11日のままであった。だれにもめくられなかったカレンダー。その写真が被災地の「時の有り様」を物語っているような。

時の回廊は動きを止めている・・・。

人が人らしく暮らせる環境に戻る目途は立たない。多分、何も変わっていない。100日という日数を費やしても。

回廊の中の堂々巡り。

原発事故の終息。ほとんど何も進んでいない。一進一退の日々。心の平安はどこにも無い。

あの日、何をしていたのか。記憶に残っていることもあれば薄れていくこともある。記憶の回廊だけは進んでいるのかもしれない。あの晩、何をどこでどうやって食べたのか覚えていない・・・。

身の回りで大きく変わったこと。放射線に関する“騒ぎ”が100倍、その声が大きくなったこと。動きが100倍増えたこと。そしてあらためてわかったこと。あの同心円の避難が無意味だったこと。圏外で線量が高く、圏内では低いということ。避難すべき人が避難しておらず、避難しなくてもよかった人が非日常の生活を強いられているということ。その矛盾がなんら解決されていないということ。

明日もまた反原発のデモが予定されているという。それはそれでいいのだけれど。止まった時を少しでもすすめるために、動きをとめた政治を動かすために、反原発のデモの代わりに「菅退陣」のデモにスローガンを変えてもらえないだろうか。政治家が変えられないのなら世論で変えるしかない。

かつて安保反対のデモが国会周辺に満ち溢れていたように。声を大にして叫ばなければ何も変わらないのかもしれない。安保は批准されたが岸を退陣に追い込むことはできた。

とりあえず、ほとんどの原発は稼働しない。出来ない。それに反対するデモの勢力を政治を動かす、菅をひきずりおろすデモに変えて欲しい。

そんな思いがふと交錯する100日目。

2011年6月17日金曜日

存在の耐えられない軽さ

本当に見たくないのだよ。君の顔が。菅直人クン。

再生可能エネルギー促進法制定を求める集会で菅直人は上機嫌だった。
テレビで見たその顔。何の屈託も悩みもなく、意気に燃える青年のように。

「国会には菅の顔をもう見たくないという人が結構います。沢山いる。本当に見たくないなら、それならこの法案を通したほうがいい。その作戦で行きます。この法案を通さなくては政治家の責任を果たしたことにはならない」。

あの顔はなんだい。破顔一笑どころではない、破顔大笑。笑っている場合かよ。

バカヤロー!!

ソフトバンクの孫正義。菅をおだてる。「菅さんは土俵際ですごく粘っている。あと10年やってもらいたい」。

バカヤロー。

国会で審議も始まっていない法案の成否に言及して呵呵大笑。見事な笑顔でしたよ。原稿も見ずに自分の言葉で。
アジテーターの面目躍如。まさに活動家菅直人。素晴らしい。

往年の菅直人復活。ヤジを飛ばし、なんでもかんでも食ってかかり、権力を罵倒し続けてきた。そう、アナタは所詮、そういう立場の人。目立つことだけが好きな人。悲しい性(さが)の持ち主。

笑っている場合じゃない。

あなたが居なくても政治は動く。いや、居ない方が動く。孫正義が居なくても電話は売れる。100億円を寄付したことと菅をおだてることとは違う。

金持ちになった寵児と昔の寵児の奇妙なマッチング。

再生可能エネルギー促進。誰も異論はありません。ぜひやりましょう。しかし、そのためには多分かなりのコストと時間軸が必要。すぐに出来ることじゃない。

数年後、数十年後の日本を、今、この危機にあっても考えることは大事なこと。この国を亡くしてしまわないためにも。

でもね、菅さんよ。今、あなたがやらなければいけないことは、今日の被災地、あすの避難民の生活をどうするかってことでしょ。笑ってる場合じゃないんです。

福島県の酪農家が自殺した。宮城県では家を流された老夫婦が心中した。
災害による、原発事故による自死者はもっと出るでしょう。「死」を選択せざるを得ない人たちはもっともっと出てくるのです。それだけ追い詰められているのです。

行為は「自死」であっても。その人たちの「弱さ」であっても、それは政府による不作意の”殺人”なのです。

「思いあがり」としか思えない。俺なら出来るって。やるべきことがあるって。たしかに自負はあるでしょう。ろくな政治家はいません。しかし、たかが政治、されど政治なんです。政治が動かなくては前に進めないのです。

悔しい気持ちはわかるけど、お辞めなさい。

だいたい、国会議員たるものが、国会ではもう顔も見たくないって言われて、本人もそれを自覚してる。それが国会の外でわめいている。辞めないって。国会議員は国会の”意思”に従うべきなんです。

己の立場をわきまえていない。その存在の耐えられない軽さ。

もっとも、この言葉はすべての国会議員に当てはまるかも。

菅を辞めさせてそのあと誰がいる。誰もいないじゃないか。そんな専門家の議論はいりません。やめることで何かが動くのなら、前にすすむのなら、潔く辞める。

もうこれ以上「閉塞感」の中に身を置くことには耐えられないのです。

2011年6月16日木曜日

解せない「枝野解説」

今日の新聞記事。「被曝しても収束優先。決死の首相?原発視察 枝野氏が解説」。そんな見出しの囲み記事がありました。

きのうの国会で述べたもの。3月12日の菅が第一原発を訪れたことについて「万が一、放射能を浴びるおそれがあったとしても、将来的には影響の出る可能性はありうると思ったが、緊急事態で事態を収束させる方が優先だった」。菅の被曝の可能性について言及。さらに「急性被曝で、総理ご自身がすぐに指揮をとれなくなるおそれは、それほど高い可能性ではないと判断していた」とも述べたという。

時あたかも爆発を防ぐためにベントをするかしないかで大騒ぎの最中。もっともこれも後で明らかになったことだけど。記者会見では、枝野による「安全発言」が相次いでいた。

菅に同行していた斑目は「安全です」と言ったとされている。今になってわかった。斑目の言う安全とは、原発の安全ではなく、菅の身の安全だったのだと。

視察後ベント開始、間に合わず水素爆発、大量の放射線物質がまき散らされた。

菅の被曝の可能性。それは、メルトダウンしていることを知っていたからだと。急性被曝で指揮がとれなくなる可能性もあった。高い低いの可能性じゃない。
指揮がとれなくなるようなダメージを与えるおそれがあったということじゃないの。

すでにしてとんでもない事態になっていたんだ。12日の朝は。

決死の覚悟で視察に行って、収束に何の貢献があったの。何もなかったじゃないの。

菅を持ち上げているのか、隠し事をしていた自らを懺悔しての答弁なのか。理解に苦しむこの枝野解説。

全員とは言わないけれど弁護士上がりの政治家って皆おかしい。黒をシロといいくるめるような手立てに長けていて。仙谷も然り。

言質を取られないように言葉を選びながら、上手いこと“被告”を有利に導こうとするような。“被告”、それはもちろん菅直人ですが。

先日テレビでたまたま見ていた自民党のタレント弁護士、丸山の質問。これも意味不明の長広舌。丸山はともかく。

知り得た職業上の秘密は秘匿する。その精神が政治家になっても生かされているってことか。

菅もそうだけど枝野も「大嘘つきのコンコンチキ」。

亭主も昔、弁護士を志したものの中途で挫折。よかったのかどうか(笑)

2011年6月15日水曜日

非日常が日常になるということ

言わずもがな、日常とは常日頃、普段ということです。「非」が付けばそれの反対ということ。

からから亭日乗。これは日常とは違います。「乗」というのは記すという意味もあるそうで、日記というふうに解釈してください。

3.11以降、ネット環境を回復させてから、そう13日ころからでしょうか。とにかくなにがなんでも、何があっても毎日からから亭を”開店”させようと決め、実行してきました。トップページにもあるとおり、東日本大震災について書いてきました。伝えたいことや自分思いとかを。

とにかく毎日書くことが「日常」になってしまいました。3.11前は時々休むのが日常だったのに。

被災地の人が静かな口調で言っていました。「この時期は田んぼに水が張られ、蛙の声がうるさいぐらいに聞こえていたのに、田んぼに水を張れないから蛙が来ない。寂しい」と。蛙の声がしない田舎。まさに非日常の光景です。それを日常の光景として受け入れなくてはならない。

幸い、申し訳ないくらい、亭主の家の近くの田んぼでは蛙の大合唱が毎晩聞こえています。田んぼの中の放射線量がどれくらいかは知りませんが。やがて刈り入れた暁、その米が売れるのかどうかわかりませんが。

毎日テレビを見、新聞を読みます。日常の暮らしです。しかし、見聞きすることはすべて非日常のことばかりです。怒や悲しみの感情ばかりに支配されてしまいます。非日常です。

すくなくとも身の回りでは常に放射能のことが話題になり、かつてなかったような政治不信の声が渦巻き、何よりも町から子供の姿がなくなった。少なくなった。まるで鎮守の森で神隠しにあったように。
この非日常の光景を、暮らしを「日常のもの」として受け入れなくてはならないのか。受け入れたくないと心底思います。

普通の暮らしに戻りたい。被災した人たち、被災した人と関わりを持つ人は口々に言います。普通の暮らし。それは日常を取り戻すことなのですが。

正解を持たないまま、この街の人々は誰しも、程度の差こそあれ、放射能に怯えています。放射能を憎んでいます。とりあえずの衣食住は日常であるものの、頭の中や心は日常ではないのです。

仮設に移った老夫婦に、わずかの食事を差し入れてきました。物資としての食事ではなく、手作りのモノを。
三疊二間の仮設はすでにして日用品でいっぱいでした。
「新婚生活だね」と冗談飛ばしてきましたが、「そうだね」という笑顔がどこか寂しげでした。

仮設生活を日常として受け入れる”覚悟”にはまだまだ至っていないようです。「この近くで、どっかで蛙の声が聞こえるのかな」。そう問いかけられました。
田んぼのある場所を教えてきました。季節、季節の自然とともに生きてきた人たちの日常。肌にしみついているその日常は「仮設村」では取り戻せません。

「家が流されたのならあきらめもつくけど村に戻れば家さあっからな~~~」。この人たちは長い「非日常」に耐えていかなければならないのです。

仮設のばあちゃんから電話がかかってきました。「ごちょさま、久しぶりにうまいもん食ったよ。ありがとね。また遊びに来てね」。

亭主にとって「日常」とは?「非日常」とは。模索の日々です。

随所に主となれば立つ処皆真。そんな道元の言葉が浮かんできます。

2011年6月14日火曜日

「数字」に振り回される日々

原発事故以来、放射線量をめぐる「数字」の議論は増すばかりです。新聞紙上では毎日都市部ごとの空間線量が載っているし、各ホームページでは細かい線量も出ているのですが。

この発表される線量を誰も信用していない。早く「信用出来るきちんとした数字を出して欲しい」と言う。もはや、こと原発に至っては東電も政府も自治体もそここから発表される「数字」に関して誰も信用しなくなった。

頼るのは「個人」による計測。昼でも夜でも、人が集まるとこの話しばかりです。数字に窒息させられそうです。

個人が計測器持ってあちこち計って一喜一憂。一喜はないけど。なぜそこが多いか、高いかの議論しきり。

一律的な空間線量は、もはや何の指標にもならなくなった。葉や土や側溝や。そこが問題だと。平均的個人は存在しない。個人ごとの把握が大事と。

線量の数字に生活が行動が頭の中が振り回されている。

とにかく測ることが大事。専門家も含めて言う。

伊達市では8千人の子供たちに積算放射線量測定器をもたせるという。バッジ型の線量計。ガラスバッジという。それを専門期間に送って計ってもらいひと月後くらいに結果を知らせてもらうという。

福島市でも9月から始める。3万4千人の中学生以下の子供が対象。仮に登下校時に線量の高いところに行っても「ピピピ」と鳴るわけではないが、積算量を自分たちで知らないと納得出来ない。

結果が出たときどうなる。多くの子供たちを避難させるのか。すでに”被曝”しているとわかったらどうするのか。

原発現場でも毎日が数字との戦い。水の量や放射線量や。そして従業員の被曝線量や。
日々明らかにされる数字への恐怖感。

そして都会では電力の供給量や節電対策の数字で話題がもちきり。気温が気になる日々。節電メーターの数字が気になる日々・・・。

そして・・企業の営業マンたちは「数字を上げろ、上げろ」と売上増を求められるのか。それはともかく。

線量計にだけ安全、安心を託すことになってしまったこの国の姿。

2011年6月13日月曜日

なぜか引越しのトラックが

放射能を満喫しながら街を歩いていると、車を走らせていると、最近やたらと目に付くのが「引越し屋さん」のトラック。住宅街。戸建やマンションで。

例えば転勤時期などでは見かける光景だったのですが。なんでこの時期・・。
その家が壊れているわけでもないのに。

どうやら「放射能」を恐れての移転のようです。家中で。なんとも言えませんな。どうやら校庭の汚染表土問題以来、郡山も「汚染地域」とされてしまった。

複雑な心境です。

とにかく郡山からも県外移住というか避難というか、他地域へ出て行く人が増えています。妻子だけの避難はもちろん。郡山の人口は確実に減っています。実質人口。住民票まで移した人もいるというし。

最近のはやりコトバになったホットスポット。郡山にもそう言われるところが点在しています。そのホットスポットに居を構え、で~~んと笑いながら暮らしている人もいるし。ホットスポットでウオーキングしていたり。犬の散歩をしている人もいたり。様々です。

きのう郡山農学校主催で放射能と土壌汚染の講習会がありました。満員でした。皆真剣。質問続出。

表土の剥離は有効。菜種植えるのは効果的。井戸水は問題無し。湧き水は要注意。セシュウム薄めるには。田んぼの水は一回かくはんして上にセシュウムが浮いてくるはずなのでそれを捨てて新たな水を入れればとか。どうやって水の入れ替えやるのか。それは答え無しだったけど。

野菜農家のおばちゃん。「畑にひまわり植えました。その周りの野菜、息子に線量計で計ってもらったら1,3ミリシーベルトだった。食べても大丈夫ですよね。大丈夫ですよね」。念をおすように。先生、大丈夫だとは答えられない。計るのはいいことですよとしか。誰かに大丈夫と言ってもらいたのがおばちゃんの心理。

だれも正解をもたない郡山の放射能汚染。「正しく怖がっていきたいと思います」。農学校代表の謝辞。

別の引越しも盛んです。避難所から仮設への。とりあえずの「自立」です。避難所暮らしだったとはいえ、なんだかんだと荷物はたまっているようです。もちろん引越し屋のトラックなんて頼めない。自分たちでコツコツと。

仮設周辺で日常の買い物が出来る”スポット”を教えてあげてきました。「犬と一緒に住める」。嬉しそうにしていましたが、「新生活」にはちと不安げ。
エアコンは付いているけど使わないと。窓を開け放っていました。ほとんどの家で。窓の外にはゴーヤを使ったグリーンカーテンの準備がされていました。

これまたなんだか皮相的な光景に見えてしまいましたが。

2011年6月12日日曜日

自分の言葉を持たない政治家

菅直人がきのう被災地岩手県で乞われて寄せ書きをした。そこに書かれた言葉は「決然と生きる 菅直人」。唖然としましたね。きのうかおととい書いたけど、これって福島県三春の住職であり、芥川賞受賞作家、玄脩宗久さんの言葉。「なりゆきを決然として生きる」。被災後の心境を、たしか、吉岡忍との対談で言って言葉。相当お気に召したらしい。で、玄脩さんは復興構想会議のメンバーへ。菅は座右の銘にしたとか。

人の言葉に感銘を受け、座右の銘にするのはいいことですよ。しかし、寄せ書き見るとまるで自分の言葉扱い。署名入り。そして、主語が無い。自分の心境なのか、被災地へのメッセージなのか。決然として生きていないのはアナタだ。

確かに菅は「辞任」という言葉を口にしていない。代議士会での発言。「一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責務を引き継いでもらいたい」。この発言、塩野七生さんが書いた「日本人へ、リーダー篇」に書かれた、拝啓 小泉純一郎さまに出てくる表現と同じ。「刀折れ、矢尽きて、満身創痍になるまで責務を果たし続け、そのあとで今はまだ若造でしかない次の世代にバトンタッチして政治家としての命を終えてください」ってくだりと酷似していませんか。

自分の言葉は持たない。思いつきで手にいれた他人の言葉をパクッって恥じない人。

いまさら言っても仕方ないことなんですが「自分の言葉を持たない政治家」はすでにしてその器に非ずなんです。何を言っても馬の耳に念仏なんでしょうが。

馬でもいいや。馬なら同じ動物の悲鳴は聞こえるはず。殺処分に回された飯舘村のあの牛の鳴き声を聞け!
「元気で行ってこいや、ごめんね」。泣いて見送るばあちゃんの声は耳に入らないだろうけど。

元市民運動家。とばっちりのようだけど仙谷は元全共闘の闘士。極左が極右に“転向”したように、反権力を標榜してきた人に限って、実は、凄い権力欲にもえている。市民をダシにして権力の頂点を極め、市民は目線の外。

市川房江の門下生だった時代の盟友、田上等がホームレスになったことも、させたことももはや存念の外に置ける人。一人の友人を救えないで多くの国民を救えるわけが無い。

厚生大臣の時にある講演会で出会ったことがあります。当時は時代の”寵児”だった菅直人。印象。傲慢な奴。市民運動家と称する奴らは、常に、二面性を持っているんだ。そんなことを感じた昔。

四国での御遍路。マスコミはもてはやした。免罪符を与えた。「マスコミがいないところでは車に乗っていたよ」。当時たまたま御遍路をしていた亭主の知り合いだった男の”証言”。

ばかげた政局報道を見てほくそ笑んでることでしょう。その言葉の持つ意味を理解しないまま「決然」「決然」とお題目のように唱えながら。

2011年6月11日土曜日

「東北処分」

今日が大震災からの三カ月目。一つの、カレンダーとしての節目。メディアはそれぞれが特集を組んでいる。合点が行くものも行かないものも。

少なくとも、被災者に対してどういう目線で接しているか、アプローチしているか。

遠いところから、意識の距離感がある中で発せられる「非現実的な空想」。原発にたいしての。それが被災者に何ほどの励ましと力となるのか。話としては納得できるのだが。

菅が首相に就任したあとの沖縄米軍基地問題で、国会で行なった答弁の中に「今、琉球処分という本を読んでおりまして、いろいろ勉強させてもらっています」というようなくだりがあった。以降、その読後観を質問した議員はいない。本当に読破したのかどうかわからない。

明治政府による琉球王朝の廃止、廃藩置県策による沖縄県の設定。そして第二次世界大戦の本土防衛の最後の砦となり、多くの「県民」に犠牲を強いた”琉球処分”。

明治維新。官軍は会津藩を斗南藩に移封した。見知らぬ荒野。会津藩の人たちはまさに辛酸を舐めた。罪、咎を問うた中央政府の処置であった。処分であった。

それから100年あまり。東北地方を襲った大災害。一つ一つの事例を挙げるまでもない。家を無くし、家族を無くし、生業を無くし、生きる希望さえ失いかけている「生き残った」人たちへ、この国は何ほどのことを為しているのか。

悲痛な叫び声は、彼ら政治家が好きな言葉、「民意」としては中央政府に届いていない。届いていても無視しているとしか見えない。政治家も官僚も然り。既存の法律を盾に取り、規制だらけの法律を是として、それらは平時に作られたものであるにも関わらず、それを適用しようとする。問題の解決にならない。なぜなら今は戦時であり、非常時なのだから。

菅はきょうは被災地にいるという。それに何の意味があるのか。

すでにして、支援物資中止という報もある。避難所に暮らし、被災地に佇む人たちに自立を促す。これを是とすべきか。

震災をダシにして政争に明け暮れる人々の群れ。言葉として被災者に目がむいているようなことを言うが、心はむいていない。ダシなのである。

とにかく仮設、仮設、仮設住宅。菅はそれの”完成”を責任を果たすことだという。

昨日、郡山の仮設に行ってきました。雨露しのげ、風呂はあり、ライフラインは整っている。「狭いながらも楽しい我が家」の”形”だけはある。
原発避難民。仮設村でどういうコミュニティーが築かれるのか。隣に入居するひとは知らないという。三陸地方では仮設への入居を躊躇する人が多いともいう。

これらをあわせて、あえて言わせてもらう。中央政府のやっていること、不作為も含めて、この国の中で、同じ権利を持つ国民であるはずなのに、「東北処分」が行われていると。

もし、この大震災が東京や大阪で起きたことなら、対応は違っていただろう。
地理的な距離感だけではない。意識の、目線の、こころの距離のなんと大きいことか。

今日の日を一つのメモリアルデーとでもしているのか。「平和な町」では原発反対のデミもが行われていると聞く。原発反対。結構。良し。

水も無く、電気も無い日々を送りながらあすの国の形を考えることも出来ない環境にある人たちは群れて声を上げることも出来ない。

なぜかこの日を「東北処分の日」と呼びたくなった。

2011年6月10日金曜日

やはり時は止まったままだ

明日で震災から3カ月。原発は依然「進行中」。季節はすっかり変わり、あの日の寒さ、雪模様は嘘のよう。

被災地では、復旧の動きがと伝えられるものの。たとえば南三陸。未だ水道が復旧していない。川で洗濯する住民の姿に、時代が100年逆行したような“幻覚”すら覚える。

津波で流された家の時計がその時間で止まっているように、感覚としても時は止まったままなのだと。

時が止まったままというのは、結局何も変わっていないということ。周りの光景が少しは変わったとしても心の時計は止まったままの人のなんと多いことか。

全国紙の県版のコラムにあった多分若手であろう記者の一文。
「限りある紙面に被災者そっちのけの政治劇を扱わなければならないことを、やけに悲しく思う」と。

たしかに「辞める」と言ったはずなのに”続投”に意欲を見せる菅直人という人。案の定、不信任案否決は信任されたことだと開き直り。

政治の世界では時が止まっている。

テレビではAKB48の人気投票がすべての話題のように取り上げられ。「平和すぎる・・・」そうごちたコメンテーターもいたけれど。

メディアの世界では、この3カ月は無かったことのような。

現場で取材にあたる前線の記者は書きたい、伝えたいと思うことが山ほどあるはず。それが紙面や画面には反映されない。

「限りある紙面」という”言いわけ”では片付けられないような。

やけに悲しい。そうつぶやいたこの記者にエールを送る。その悲しさがわかる。

止まった時の中で、全く無意味な政変劇や政治家の、もちろん与野党問わずですが、政局に浮き身をやつす奴らのケツを追い、無意味な見通しを語ることに何の意味があるのか。

時が止まったまま、前へ進まない、進められないなら、いっそ時を逆戻りさせてみたはどうだろうか。御天道さまの恵みに感謝して、うちわや打ち水で涼をとっていた時代に。
少なくとも今よりは少しマシな、国を思う政治家がいた時代に。

一部の報道によれば、菅の伸子夫人は、公邸でビールとワインをあおり、「菅さんはそう簡単にはやめないわよ。決然として今を生きるというと書かれた福島県の僧侶であり作家である人の本を座右の銘としている」と言っているとか。

止まった時は人間を思考停止にもしてしまっているのかも。

2011年6月9日木曜日

修復始まる

私事ですが・・・・

やっと我が家の修復が始まりました。外壁含め、あちこちひび割れた箇所の。
室内の漆喰のひび割れ。かなりのモノでした。大きくへこんだ箇所もあり。

余震の度におちてくる白い粉。吊るしてある洋服などは常に白くなっていた。
「ま、住めるからいいや。もっとひどい被害の家もあるだろうし」と優先順位を低くしていいよと業者さんには言っていたこともあり。

ようやく大工さんの手がちょっと空いたということで修復作業が行われています。
家中は養生のビニールシートだらけ。まさに足の踏み場も無し。接着剤で壊れた箇所を張り合わせ、漆喰を塗って行く。一つ、一つが手作業。

タバコの煙のせいもあり、塗りむらが出てくる。もちろん致し方無し。よくよく”点検”してみると「被害箇所」のなんとも多いこと。

ま、終われば見た目は、とりあえず、まともになれる。家があるだけ感謝、感謝と。食器も大半が割れてしまっていますが、どうにか箱に詰めていたモノを食器だなに戻す作業も。

はい、軽微な被災者感覚を十分味わっています。

いまだブルーシートのままの瓦屋根の家も多いし。

修復と言えば、数日前から激しく歯が痛み。歯茎がかなりの「地盤沈下」。歯が露出しているとか。そして膿みが発生してるとか。修復始めたものの、はかどらず。

「うーん。もしかしたら前歯数本抜くことになるかもしれませんね」。歯医者さんのお話。

「口の中はバイ菌だらけなんです。それが体の他の所にいかないようにしないと。喉や腎臓にまで影響してくるし」。これも歯医者さんのお話しです。

放射能より歯の恐怖。はい、痛みこらえての亭主の今日この頃。バイ菌だらけの政界の悪口ばかり言ってたせいかな。

2011年6月8日水曜日

「福の歌」

きのう福島県民の歌について書いたら、塾生の一人が「こんな歌もありますよ」と教えてくれました。猪苗代湖ズよりははるかに良い。

この歌を作って歌っているAVEという人は知りませんが、エイブと読むらしい。アベさんという名前ではないかとの説もある。福島市のミュージシャンらしい。

聴ける方は聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=M_U1WB7fq7o

今風の楽曲だけど力強いし、歌も迫力あるし、歌詞が良いのです。

歌をうたうことしかできないから僕は歌う。自分が出来ることは無理しないでやって行こうって。

永田町の方々に聞かせてあげたい歌詞も。

「誰かのせいにすれば容易なことを、自分のせいにして立ち上がろう」とか「出来ないことに背伸びばかりして、出来ることすら出来ないで」とか。

時々はこの曲を聴いて自分の励みにしてみたいものと。

「福の歌」を聞いたあとには「福音」を聞きたい。いつになったらどうなるんだとう。

「一定のメド」、「常識の範囲」。相変わらずの曖昧コトバ。政権引退の一定のメドや常識の範囲なんてどうでもいいこと。
我々が知りたいのは、被災地の人たちが避難所暮らしの人たちが知りたいのは、自分達の生活が多少は改善されるであろうメド。原発事故による放射能の常識。放射能という言葉が日常からなくなる日、そのメド。

きのうの粒ゝ塾。講義のテーマは「真のリーダーとは、上に立つ者の人間力」にしました。

講義の内容はそのうち塾のホームページにアップします。要旨を。

弟から貰った焼酎でしたたか酔いました。
次回の粒ゝ塾。みんなで「福の歌」が歌えるといいな。よろしくね、塾の音楽担当さん。風邪ひいてる場合じゃないよ(笑)。

2011年6月7日火曜日

福島県民の歌

全国都道府県、どこにでも歌があります。東京都だって東京都歌があります。
福島県には福島県民の歌というのがあります。

大震災後、テレビやラジオはじめ人が集まるところに流れている歌は「猪苗代湖ズ」という福島県出身のミュージシャンが歌う歌です。
♫I love you & I need you ふくしま♫
あまり好きになれません。特に歌詞が。ミュージシャンの表情が。これって個人の好き嫌いの問題。いいなと思った人はもちろん歌うべき。へそまがり亭主は即座に「なんだいプレスリーのパクリじゃないか」と言ってしまった。

福島県には福島県民の歌というのがあります。昭和45年に公募で出来た歌。

  ♪しゃくなげ匂う山なみに呼びかけよう若い理想をかざして
   あしたの夢がはてなく伸びる
   明るいふるさと福島をつくろう
   みどりひかるこの空いつまでもああ 福島県

   けやきの樹にしあわせの虹かけよう若い血汐を燃やして
   嵐をこえて雪崩に耐えて
   豊かなふるさと福島をつくろう
   ちから満ちるあしおと高らかにああ 福島県

   きびたき歌う尾根を背に手をつなごう若いあこがれむすんで
   町から村へひとつにみのる
   楽しいふるさと福島をつくろう
   こころあわせつち音絶やさずにああ 福島県

長々と歌詞を書いてごめんなさい。シャクナゲは県花。きびたきは県の鳥。

かつてはこの県民の歌がテレビやラジオから流れ、学校で歌われていました。いつの間にか”消えて”いきました。なぜだかわかりません。

郡山には郡山市民の歌というのがあります。これもあまり歌われていません。

たぶん、今の郡山の人たちに聞いても県民の歌も市民の歌も知らないという人がかなりいます。

亭主は”変人”なんでしょうか。どの歌も歌えます。歌を覚えました。

なぜか。歌の力っていうのを皮膚感覚で信じているからです。
小学校の校歌も中学も高校も。歌えます。歌うとその時代が蘇ってきます。

先日あった大学の郡山支部総会。恒例になっています。校歌と応援歌を歌うことが。一緒に歌ったからと言って、特別の連帯感がうまれるわけではありません。でも、みんなで同じ歌を歌うってことに心根の変化があるのです。

県民の歌。歌詞にはほとんど、どこでも「ふるさと」という言葉が使われています。亭主は福島県を故郷とは思っていません。感じていません。では、東京は。やはりふるさとなのではないかと思っています。それは幼少時の思い出がいっぱい詰まっている場所だからか。

他所者、流れ者の亭主がなんで県民の歌を覚えようとしたか、なんで覚えたのか、歌えるのか。「今、自分がいる場所が、立っている場所がふるさとなんじゃないか」。そんな想いがあるから。

今、福島県民が、こころを一つにする、いささかの縁(よすが)にする歌がと問われれば、やはり県民の歌ではないかと。

「この空いつまでも。嵐をこえて、雪崩に耐えて。つち音絶やさず」。

いろんな音楽家の人たちが激励に訪れてくれます。いい演奏や歌を聞かせてくれます。つかの間、避難所の人たちも含めて癒されます。音楽の力、歌の力は大きい。だから、四重苦に耐えて、せめてその場に居合わせた人たちが心をひとつにするためにも、県民の歌を演奏して欲しい。一緒に歌いたい。

アンコールで県民の歌をやってくださいと所望したひとがいます。にべもなく断られたそうです。知らない。楽譜が無いと言って。だって、あなた福島県出身でしょ。楽譜なんてすぐ手に入る。知らないっていうのはおかしい。

国歌、君が代ではないのだから。起立して歌わなくてもいいです。学校の先生は校歌を歌うときは起立すると思うけど。座ったままでいいんです。一緒に歌える歌を、共通の歌を歌おう。

郡山市内の防災無線からは昼、市民の歌のメロディーが流されます。朝と夕方は違う。お決まりの童謡。それもいいけど、県民の歌も流してみたらいかがでしょう。せめてメロディーだけでも子供たちの耳に届けてあげれば。

大オーケストラの伴奏で会場の県民みんなが県民の歌を歌う。きっとなにかしら”高揚”するものがあるのではないかと思うのです。

政治に力はないけれど、歌には力がある、音楽には力がある。

津波で家も家族も流された、大船渡高校の佐々木瑠璃ちゃん。彼女が海に向かって吹いていたトランペットの音。東京の人たちの心を動かした。その音に心を揺さぶられた。音楽家同士の心の通い合い。東京で、彼女のトランペットが奏でたザードの曲。負けないで。それが被災地に多くの楽器を届けることにつながた。そして、その楽器を手にした子供たちが、新しい「力」をきっと奏でてくれるはず。

もしかしたら、太古の昔から音楽というのがあったかも。言葉よりも昔から。

2011年6月6日月曜日

「村社会」

村。商工業者を主とする「町」、都市に対して、第一次産業である農林水産業を主たる生業とする人々の集落を「村」という。農村、山村、漁村。
小学校の社会で習った定義。

市町村合併によって多くの村が消えていった。合併を”拒否”して存続している、しかも立派に存続している村もある。そこの根付いているのは相互扶助や連帯意識。ふるさととしての心の拠り所。

からから亭、毎度ご登場いただく飯舘村。村の一つのモデルケースかも。村長(むらおさ)のもとに作られた、良い意味での父系社会。

大震災。破壊された村の数々。行政区画としての名は残すだろうが事実上消えてしまう村もあるという。もはや人が住めないということで。

この国の原点は「村」にあるように思えてならない。

「こんな素晴らしい村をなくしてはならない」。飯舘村に寄せられたメッセージ。

物理的な苦難を乗り越えて、飯舘村は消えない。蘇ると思う。


村ーー。日本人はこの言葉にいろんな意味を込めてこだわる。
度し難い村。それは原子力村。いわば東電の中の派閥。武藤という副社長を村長にして、独自の風土を作り、その村の信条は「排他」。他所者の介入を許さない。身勝手な論理を構築し、勢力の誇示を図る。上下の、ボスと子分との秩序を最高のものとする。

この国の超一流企業の中にあったムラ社会。原子力や電気という文明を扱う企業の中に、第一次産業をなりわいとする村の感覚が持ち込まれている。本来の「村」とは全く違うカテゴリーで。この東電の中にあった原子力村が今日の悲劇を招いた。抹殺すべき村。

永田町という都会のど真ん中にある町に「村」が存在する。自民党の長期政権時代。政党を構成し支えていたのは派閥である。その派閥を、彼ら政治家は「ムラ」と呼んだ。なんら恥じることもなく。「村にもどって決めてきます」。相言葉だった。

たしかに派閥という言葉はあまり使われなくなった。呼び名を変えただけ。今は、気取って「グループ」。民主党も然り。なんとかグループの集合体。グループとはつまり派閥。はっきり言えばいいのにメディアもグループなんて呼び名を倣い、派閥の弊害なるものを隠そうとする。大の大人がグループになって時局に対処する。そのグループでの意思決定に従う。なんら派閥と変わらない。原子力村と同じような。

原子力村は東電の中だけではない。学者の中にも存在していた。多分、その「ムラオサ」は斑目という名前だったのだろう。この村も”悲劇”の主犯。

テレビでご託を並べていた斑目。「3.11以降のことは全て消したい」。意味不明。今からでは遅いが「あんたが消えろ」。

寄らば大樹のかげ。ムラ社会を象徴した言葉の使用法。

派閥とはその領袖を宰相にすることによって恩恵を得ようとする”我欲”の集団。さらに、例えば落選した時には面倒を見てもらえる相互扶助体制もできあがっていた。

その永田町ムラがまたぞろ動き始めた。この村にはろくな生物は生息していない。

原子力村が飯舘村を苦しめ、壊した。永田町村は三陸の村を救えない。
村と村は常に諍い事を起こしている。

2011年6月5日日曜日

すべてのことには時がある

以前にも書いたかもしれませんが。あらためて想起される言葉。
旧約聖書、伝道の書。第三章。略記します。


  天の下のすべての事には季節があり、すべての業には時がある。
  生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、
  植えたものを抜くに時があり・・・・・。殺すに、いやすに、壊すに、
  建てるに、泣くに、笑うに、悲しむに、捜すに、失うに、保つに、
  捨てるに、黙るに、語るに・・・。時があると。

別に聖書の読み解きをするのではなく、人間、引き際も「時」だと思うから。

「武士(もののふ)の進退は、ある日ある時、瞬時にして決すべし」。宰相としての評価はともかく、竹下 登はよくこの言葉を口にしていた。彼が佐藤栄作や田中角栄の引き際を見てきていただろうからか。もちろんこの言葉も誰かの受け売りだろ思うけれども。
宰相学の一つである。誰かも言っていた。過去の首相。「総理になったとたん考えることは、いつ、どのように辞めるかということだ」と。

辞任、辞職が取りざたされたら、もうその政権はおしまい。死に体と言われている。誰もついていかない。これを成し遂げてからという思いはあってもそれを達成することは不可能。

真逆の発想を持って、それが菅の政治家としての使命感であると理解しても。責任感だとしてもだ。

メディアはすでにして「後継」が話題に。

被災地の惨状改善の兆しなし。原発ますます泥沼の感。

救国内閣以外に方途は無しと。菅、小沢、鳩山。すべて引きなさい。谷垣も引きなさい。民主・自民が新しい盟主を立てて事に当たらねば、この国は終わりにひとしくなる。未だ政治に一縷の望みを託するとしたらこれ以外には方途は無いものと。

一期一会という茶の精神を説いた言葉がある。「その時にその人が為すべきことはただ一つである」と解釈します。

延命寺からお遍路を再開するのでなく、仁為寺(そういう寺があるかどうか知りませんが)からのお遍路を。そして世捨て人になられんことを。身を殺して仁を為す。その機会を得られたことだけでの菅は幸せ者だったと。

鳥のまさに死なんとするやその鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言や善し。論語を引き合いに出すまでもないでしょう。いかなる死に際を選ぶか。それによってのみ「事定まる」のではと。

この政権と出会ったことも「すべての事には時がある」という聖書の一節の中の言葉で、納得しなければならないのか・・・。

2011年6月4日土曜日

これも一つの”悲劇”なのだ

原発事故の後の人災。とどまるところを知りません。毎日のように新たな悲劇が生まれています。

原発に近い双葉町。町そのものが大半埼玉県の加須市に避難しています。その避難民の一人に変な奴がいて、児童買春・児童ポルノ禁止法違反で逮捕されました。先月下旬のこと。犯行は3月下旬。

井戸川町長がある決断をしました。町に直接寄せられた義捐金を辞退すると。
避難先の高校で町民に説明。町民からは辞退に反対の声があがったという。
当然です。金がないと大変なんです。避難民は。

事件発覚後の町には苦情のメールが多数寄せられたという。「役場ごと埼玉から出ていけ」と。それを受けての町長の「けじめ」だとか。

「乱暴だったとは思うが、町は行くところが無く、埼玉にお世話になっている立場。お金のことより、埼玉県との結びつきや、埼玉県民の心情面を大事にしたいと思った。町民全体で規律を守らねばならない」と話しているという。

町長、まさに苦渋の決断だったのでしょう。流浪の民はその寄留地にここまで気を使い、小さくなって生きていかなくてはならないのか。不条理です。遠慮することはない。大手をふって堂々とお世話になりなさい。なんたって電気を供給してきてあげたのだから。

苦情のメールを寄せたのが本当に埼玉県民だったのか。確証はもちろん無いけど2チャンネラーのような、匿名で何でも汚い、えげつない言葉を発することを喜びとしている人種の為せることかも。

正直もんの町長は真に受けた。もし埼玉県民が書いたメールなら、その県民は日本から出ていけ。

人のあるところ何処にでも不心得もの、犯罪者はいる。一人の犯罪者のために全町民が“犠牲”を強いられる。「けじめ」を背負わされる。不合理です。町長を責めららません。今の地で町民とともに生き抜いていかなくてはならない、町民を束ねていかねばならない使命感が嵩じたものと。

悲劇の連鎖です。この類の話はこれからもっと出てくるでしょう。

一人の犯罪者と複数の罵倒メールを送った人達と。数人の行為が、犠牲者の町民を苦しめる。町の結束にひびを入れる。やるせない思いでいっぱい。

からから亭村の村長として亭主は言いたい。

「人心を騒乱させ、虚言、妄言で世を惑わした罪は大きい。罪人とも言うべき宰相を生み出した国会議員全員、歳費を返上しろ」と。

町長の言ったことはいわば教育現場でもよくある「全体責任」の論理。ならば国会議員にそれを問うてもいささかも誤りなしと。

2011年6月3日金曜日

何も変わっていない・・・

あの国土を揺るがした大震災。爆発する原発。その有様を見た国民はすべてが思ったであろう。この国は変わらなくてはならない。変わるべきだと。

結局、何も変わっていない。被災者の、いまや日常となった悲惨な生活も。原発の恐怖も。

本来の国家であるならば、一番最初に変わるべきだったのは国の指導者であり、政権であり、政府であり、政治家だったはず。それが、まったく変わっていない。

辞める辞めない。ペテン師詐欺師。もうそんなことはどうでもいい。政治を論じることに意味を見いだせなくなった。

テロリズムの予感さえしてくる。

リーダー無き国家。もしかしたら政治家と称する人たちが居なくても、いや、居ない方が、この国は立行くのかもしれない。

飯舘村の菅野村長は穏やかに言った。「政治とは心です」と。
だから村民は黙って村長について行く。彼は信念を曲げないという。

岩手県大船渡の銘菓「かもめの玉子」。その銘菓会社の斎藤社長は言う。「社員は財産です」と。全社員はどんなに辛くてもその社長について行くという。そんなリーダーに巡り合えた事を誇りと思う、幸せだと思うと言う。

数日間の政局騒ぎ、無意味な政争。与野党を問わない。国民は今議席を持っているすべての政治家に「ノー」を突きつけているはず。これだけ政治不信に陥らせた責任はあまりにも大きい。この国の議会制民主主義は崩壊した。立て直すのにどれくらいの年月を要するのか。

すべての議員さんたちよ。もう一回己の胸に手をあててよく考え直せよ。人間としてそれでいいのかと。


メディアも結局変わっていなかった。悲しい。菅を鳩山を小沢を自民を非難する声は発せられているけれど「おざなり」である。通り一辺である。

「辞める」ということを一旦口にした以上は辞めねばならない。口にしたことを守らない以上それを政治家とは呼ばない。

メディアなこの国家存亡の危機をどう捉えているのか。飢え、苦しみ、恐怖にさいなまれている人たちをどう見ているのか。メディアに出来ることはあるはず。
メディアが見放されないための正念場を迎えている。

新聞は菅退陣に向けた大論陣をはりなさい。書いて書いて書きまくりなさい。東京の記者クラブや高層ビルの本社で書くのでなく、被災地へ行ってこの国を書きなさい。

テレビは各局で振り分けて、国会議員をすべてスタジオに呼びなさい。嘘偽りのない政治家としての考えを問いただしなさい。もし政局にいまなお言及する人がいたら、その人の名を記憶しなさい。次に選挙では落としなさい。

今の政治家が半分以上国会議員でなくなっても国民は困らない。原発作業員が一人欠けるほうが困る。

議員さんよ。群れている場合じゃない。個々人がどう思うか、どうするか。天下に明らかにし、衆目に自分の考え、行動を晒す時。

永田町生息者に「国民」と呼ばれたくない。だけど信じる。あまたの議員さんの中で「政治は心だ」と思っている人が数人でもいることを。

2011年6月2日木曜日

伝えない”勇気”

まもなく衆院本会議が開かれ、不信任案が採決される。可決の可能性も大。いまのところ菅は解散に打って出るという。

政局の細々な動き、論評をする気はさらさらない。ほとんどの国民は呆れ返っているはず。被災地の人のみならず。

一昨日書いたが「落差」は怒りを超えて悲しみになっている。身が震える。手段はともかく国民が国会議員に、政治に「不信任」を突きつけるしかない。
その声を聞く耳は持ってはいまいだろうが。

政局どころではない。重ねて言う。菅の無能さにも傲岸さにも辟易している。
不信任案が可決されようと否決されようと政治は機能しなくなる。それが被災者にどういう影響を与えるか。

原発では汚染水の処理をめぐってギリギリの作業がすすめられている。水道の復旧しない三陸では川で洗濯をしている。

岩手、宮城、福島の三県選出の国会議員は何を考えているのか。何をしているのか。

ここ数日の政局騒ぎ。メディアは緊迫だとかぬきさしならないだとかいろんな表現で伝えようとしている。

可決の票読みをマンガを使って解説しているテレビ。国民不在だと必ず言うけれど政局を伝えているメディアに国民不在って言えるのか。同罪だと。
伝えなければ国会議員の動きも変わる。

伝えるから政治家は余計に張り切って行動する。

被災地の「国民」はダシにされている。政局の。政争の。

ダシにしているのはメディアも同じかもしれない。

この政局の動きを「否」とするならば、新聞一面を全部使ってバカな政治家を糾弾する論陣を全紙がはればいい。テレビもワイドショー的報道はやめれればいい。「否」を鳴らしつづけなくてはいけない。

そこにそういう動きがあるから伝えるのが使命。それの是非は後で論じるとでも言うのだろうか。政治家のあとを追い、小沢に群がり、マイクを突き出しているテレビ。情けなくはないのかい。自分たちのやってることが。

「伝える」ということはメディアの使命である。知る権利に答えるのもメディアである。しかし、今、伝えなければならないのは、被災地のことである。

政局。予測をクダクダやるのが使命か。伝えない勇気というものがあってもいい。このバカバカしい政局ごとを逐一追いかけ伝え、永田町の論理にどっぷりつかってしまっているメディア。

メディア本来の力を発揮して欲しい。バカバカしい動きを伝えない勇気を持って欲しい。

バカバカしさを伝えることで国民に政治家の実情を伝えることにもなる。だから意味がある。そういう見方も出来るかもしれない。しかし、

ここまで書いたらニュース速報。菅は震災対応にメドがついたら退陣と。
結局ぶれまくりの民主党。猿芝居を演じきった民主党。この「結末」を読めなかったメディアのお粗末さ。

またもばかばかしくなってきた。政治のゲームに付き合うことが。政局を面白がっている奴らは誰だ。

戦後60年あまり。こんな無能な政治家達を見たのがはじめてだ。
メディアの無責任さを知らしめられたのもはじめてだ。

「がんばろう東北」。そう書いたステッカーを貼った車が事務所の前を走り去っていった・・・。

2011年6月1日水曜日

「義捐金」のこと

「おいしいコーヒーは心が和みます。その一杯分を被災地に!」「おいしいケーキを食べるとシアワセ~になります。その一個分を被災地に!」「食後の一服はまさにこの世の天国です。その一箱分を被災地に!」

過日新聞の投稿欄にあった一文。等身大の援助を長く続けて行きたいという呼び掛け。そうなんです。一過性では無く、息の長い援助が必要なんです。

支え合おう、つながろう、「足長おじさん」が必要だし、日本人は皆その思いを持っているものと。

震災直後から多くの義捐金が寄せられました。日赤や共同募金会、各マスコミになど。個人で億の単位の人もいた。

全額はわかりませんが数千億円は間違いなし。例えば日赤。きのう現在で2389億円。しかし、そのうち被災者に渡ったのは287億円。多くの義捐金が日赤の金庫の中に眠っているってことになります。

なぜか。国が出てきて「配分委員会」なるものを作り、基準を決めて自治体が配布という方法。配布する自治体は職員もいない、足りない、住民の動向が「捕捉」出来ない。配れない。

ここに日本人が大好きな「公平・公正」の原理原則が登場してきます。もちろんそうあるべきなんですが。

避難所とってみても義援金や見舞金が配布されたところもある。全くないところもある。公平じゃない。

津波の被災地。避難所で100人位の人が暮らしている。最近、その近くにスーパーが復旧した。そこそこの品揃え。だけど避難所の人は買い物に行かない。いや、行けないのです。お金が無いから。

「適当とはいわないけれど、おおまかの実態でいい。とにかく大雑把でいいから現金を配ってあげたら」。無一文ってのは辛すぎますよ。それが亭主の考え。あとで公平だったかどうか、誰かが非難するかもしれない。しかし、それを覚悟でやるってことが、人の命を救うこと。誰かのお役に立てたということで募金した人は納得できるはず。眠っていることには納得出来ない。善意が届いたとは言えない・・・。

原発避難民のいる郡山。東電や県から見舞金が支給されました。そのお金を持って街に飲みに出る人も。街で飲んで歌ってまたダンボールハウスに帰る。

中にはいます。「避難してきてお金貰ったからと言って飲んでるのはおかしい」と。いいじゃないですか、というより当然じゃないですか。あのダンボールハウスでもう三ヶ月近く。飲める人は酒でも飲んでないとやってられない。
むしろ「避難者割引」ってのがあってもいいくらいかと。たまに無理無態を言う人がいたとしても。

多くの支援物資が被災地に届けられています。衣類からはじまって日常の生活用品まで。その物資が入ったダンボールは倉庫に山積みされたまま。ダンボールには励ましや慰めのメッセージが手書きで書かれている。倉庫の中の物資。衣類はほとんどが冬物。だってあの時はまだ寒かった。毛布が必需品だった。
その支援物資が被災者の手にわたらない。なぜか。配る人がいないから。相当な労力を必要とするでしょう。仕分けや配布には。リサイクルショップのボランティアに頼んでいるという話もありますが。無料の青空市が開催されているという話もありますが。

もう季節は夏になります。夏物の衣料だって必要。

義援金は各県や市町村に送られているものもあります。義捐金以外に「支援金」というのもあります。支援金はある程度自治体の裁量で使われるもの。

例えばその支援金使って、避難所にいる人に、若い元気な人に「日当」払って物資の配布をやってもらったら。役場は手がまわらないことはわかっているのだから。民の力を活用しようと思えば、いろんな知恵も出てくるだろうし、多くの善意に報いる手段もあるはず。

コーヒー一杯、ケーキ一個の善意も億の善意も。善意にかわりなし。善意は被災者の手元に渡ってこそ生きた物になる。

援助を末永くつづけるために。知恵を出せ、原理原則、役所感覚をなくせ。滞貨一掃。それが次の善意を生むと。

政局で生き生きとしている永田町の金持様よ。全員で仕分け配布ボランティアへどうぞ。