2011年6月26日日曜日

「責任」という無意味な言葉

「責任を持って」「それが責任」からはじまって「責任を取れ」「責任はどうする」などなど、毎日、毎日「責任」という言葉が飛び交っている。

飛び交えば飛び交うほど「責任」という言葉の重さが薄れ、意味を持たなくなってくる。

「責任を取れ」と迫り「責任をとります」と答えればそれで終わり。その責任なるものの実態は何にも無い。

子供を守るのは親の責任だという。この子たちに万一の事があったら誰がどういう責任を責任をとるのですかと責める。

誰かに責任を押し付ければそれで満足する。納得する。こんな風潮がまかり通っていないだろうか。通っている。

意味の無い、実態を伴わない責任論が横行していることにいささかうんざりしてきた。

首相が辞めれば「政治責任をとった」ということになるのだろう。東電の社長が辞めれば責任をとっての引責辞任ということになるのだろう。居直って「今、しなければならないことをやるのが責任を全うする所存」というのもあるし。

不毛で不能な政治のもとで苦しみを与えられている人がいる中で政治責任をとった人はいない。

刑事責任を問われれば裁判で有罪となり獄につながれる。刑を受けることで責任を果たしたと言われる。多分、裁判所というか司法が追及し、法の名の下で問える責任はそこに犯罪と言う実証出来る事実があってのこと。

子供たちの健康が心配だから。保護者と弁護士が「学校疎開」の仮処分申請をした。市を相手取って。市長の責任を、学校の責任を問うということか。
多分、おそらく、司法は判断を下せない。せいぜい「行政の裁量の範囲のことだから司法にはなじまない」ってことになるのでは。

社会通念上「責任」という言葉に実態は無い。あるのは刑事責任や民事責任を問われて裁かれることだけ。

「お前じゃわからん。責任者を出せ」。クレームや不服がある人たちが企業や役所の窓口で使う常とう句。責任者って単なる上司でしょ。

責任という言葉には「当然負わなければならない任務と義務」という意味もある。与えられた仕事を全うし、人の役に立ち、人から必要とされる。これ、人としての責任。利他の心。

意味の無い責任と言う言葉が横溢し、その言葉が余りも軽くなってしまった今。あげく、被災にあったのは「自己責任」なんて言われだされるのではないのかと危惧の念を覚える始末。

ああ、またなんかぐだぐだ書いている。亭主の責任って何だろう。何をもって責任を果たしていると言えるのだろう。

本来は重い意味を持っているはずの言葉が、余りにも軽くなっている今。

10 件のコメント:

yuki さんのコメント...

お久しぶりでございます。
御亭主様もお変わりありませんようで。
ところで、
この世にあって、無限のものなど何がありますか。
”責任”といっても、人が負えるものなどたかが知れています。
”恨み・つらみ”という感情だって、時がたてば薄れていきます。
この国の人達は、何かを間違えているのではないですか?
毎日起きる一つ一つの事が、「胸に手を当てて考える」ための出来事のように思えてなりません。
もっともっと謙虚でいられるように、小さな自分である事を忘れないようにしたいものです。

亭主 さんのコメント...

yukiさま
震災後、何も考えない人はいないでしょう。
小さなことでも考えるようになったのではと。
いろいろ気付いたこともあるでしょう。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
ちょっと気になったのでコメントさせて頂きます。
無限のものは何かありますか

幸せを求める気持ちだと思います。
幸せに天井はないんだなとつくづく感じております。

通りすがりに失礼しました。

亭主 さんのコメント...

匿名さま
わざわざ恐縮です。
「無限」について書いたつもりはありませんが。コメントには無限という表現がありましたが。
幸せ。たしかに無限というか無限大のものかもしれませんね。天井ないですね。オニギリが欲しかった時にあれば幸せだと思い。風呂に入れれば幸せだと思う。ビールの一杯にも。幸せを「形」としてとらえるか「こころ」だけに捉えるか。物としての幸せは「欲望」を産み、原発を作り出した。
人間の欲望とはまさに無限大かもしれませんね。
「キミと一緒になれて幸せだ」と言った人が「あの人と別れられて幸せ」というようにもなる。ブラックジョークのようですが。

匿名 さんのコメント...

すみません、コメントに対してコメントしてしまいました…。
ご丁寧にありがとうございます、こちらこそ恐縮です。

どこまでも、どこまでも、もっともっとと幸せを求めてしまう。
幸せを求める事は良い事だとも思ったり
今ある幸せを、幸せだと思うことが大事だとも思います。
ちょっと放射能の影響かよく自分が理解できなくなっております。

ですが、手のひらから落ちていった物をいつまでも悔むより
手のひらに残った物を大切にして生きていこうかなと
少しずつですが前向きに考えることができるようになってきました。

今後も時々拝見させていただきます。

亭主 さんのコメント...

匿名さま
了解していただいてありがとうございます。
放射能という言葉を使われるということは福島県の方かと推察します。放射能の影響は物を考えることとは次元が違っていますよ。ただ、ストレスで「考える」という作業をする時にやたら深刻になったり、投げやりになったりということはあるかもしれません。
でも、逆に言えば「こんな環境」になったからこそ、たとえばあなたの言われるような「幸せ」という、それがたとえ些細なものであっても、それについて考える機会が出来たとも言えるのではないでしょうか。
どっかの作家か詩人が言っていた「手のひらの中の小さな幸せ」という表現が大好きな言葉です。
手のひらから落ちて行った葉っぱでも地に落ちて腐葉土になってやがて新芽を産む。落ちたものにも役割はあると思うのですが。
時々覗いてください。ありがとうございます。

匿名 さんのコメント...

随分前の記事ですが、ちょっと思うところがあるのでコメントします。
私はアルバイトの身ですが、社員になるための試用期間ということもあり現在店長をやっております。それで責任という言葉を四方八方から投げつけられます。
確かに社員候補で店長なのだからアルバイトであるといういい訳はあまりしないほうがいいというのは理解できますが、権限はろくにないし、何に対する責任かを明言されていないのに責任と言われても理解できません。
責任と言う言葉は「誰の」と「何に対する」が伴わない限り無内容です。
ですが、「責任」という便利で無内容な言葉を使うことで、何か奇妙な任命をしていると勘違いしているのかもしれません。

亭主 さんのコメント...

匿名さま
記事の本意はまさに無責任にはびこる責任とう言葉につぃてその「使用責任」を皮肉っぽく書いたものですが。
政治家の責任云々の発言はともかく、実際に日常生活の中で言われる責任と言葉の乱用、困ったもんですね。

「キミを今日から責任ある立場(店長)にするから、責任を持って仕事に励んで欲しい」。そんなこと言われたって。
まさに誰に対する何の責任ってことになりますよね。

部下の仕事ぶりについての責任?製品への責任?売上?お客様への責任?

アルバイトという身分がどうこうということでなく、人は与えられた、あるいは求めた仕事を成し遂げるという概念的な責任というのは生き様としてはありますが。

企業においては「店長」とは単なる任務。どんな投げかけられ方をしているのかはわかりませんが、すべての責任は経営者にありなんです。

西洋かぶれの人たちがつかうじゃないですか。CEOだのCCOだの。最高経営責任者って。

部下や他人に責任をおしつけておいて自らは責任逃れをしている。そんな図式なんでしょうか。

的確な「回答」になっているかどうか。

当からから亭、とかく「暴論」を書いていますが、ひとたび口から発せられた言葉には「責任」を持ちます。その責任とは。反論あったら堂々と受けて立つ。向かい合うという「覚悟」です。

やはり「回答」になってないかも。

匿名 さんのコメント...

「回答」ありがとうございます。
あんまり事情を事細かに書くと、愚痴になってしまいますので書きません。
サービス業な身の上です。


「求めた仕事を成し遂げる概念的な責任」というのは理解できますが、それは権限が無いものがやってもやはり無内容な気がします。

「部下や他人に責任をおしつけておいて自らは責任逃れをしている。そんな図式」でもないような気もします。本人としては説明しているつもりなんでしょうけど、曖昧で不明確な指示を出しているだけです。

「君は責任を負うことに逃げ腰なようだけど、もっと積極的にいかなきゃ成長できない」といわれましたが、マニュアルも無い、具体的な指示もない、別店舗には行かなきゃないでどうやって逃げ腰にならずにいられるのか知りたいです。

店長になってからの給料とそれまでの給料になんら変化ありません。仕事には慣れてきましたが、この半年ほどトラブル続きでおそらくずっとこんなのが続くのでしょうから辞めることにしました。

これが私が私の生活を守る為にとれる責任ある行動で、それが私の成長につながるはずです。
愚痴っぽくなってしまいすみませんでした。

亭主 さんのコメント...

匿名さま
マニュアル至上主義は人間の思考回路を停止させます。指示待ちは積極性を奪います。
ひとそれぞれいろいろでしょうが、辞められたのなら一つの悩み解消かとも。
成長。なにを持ってそれを定めるかも難しい言葉ですが。