2012年5月3日木曜日

やはり”ブランド化”なのだろうか

きょうは憲法記念日。改憲論がやはり台頭してきているような気がします。
改憲論が前文と9条を的にしているような短絡的な感がいなめないのですが。

憲法が保障しているという「言論の自由」。自由の履き違えが目立つ、激しい、3・11以降・・・。

かつて田中角栄は選挙時に引っ張りだこだった。各地から応援演説の要請が殺到。ヘリコプターで全国を飛び回っていた。演説時、開口一番。「人寄せパンダの田中角栄です」。

大飯原発再稼働問題。霞が関の経産省前ではテントを張っての抗議活動が続けられている。
ハンスト、ハンガーストライキをする人も。
そこに、きのうは作家で僧侶の著名人、瀬戸内寂聴さんが加わった。作家の澤地久枝さんも一緒に。
昨日の日没までテントの前に不自由な体をおして座っていたという。いや、写真もあるから座っていただけど。

この抗議のハンスト、以前から続けられている。でも、滅多にメディアはネタにしてこなかった。著名人が加わった、スワっとばかりにマスコミが殺到したという。

抗議行動にも、人寄せパンダやブランドが必要なんだということ。郡山であった反原発集会も大江健三郎らが参加したということで、マスコミのネタになった。
御本人たちはどう思っておられるのかしらないが。
「使えるものなら私の名前をどんどん使ってください」ってなものか。

経産省前で瀬戸内寂聴さんは言ったという。「九十のばあさんがここに座ったら、マスコミに取り上げられ、それを見た若者が張り切って行動してくれると思って」と話した。さらに、「これまで生きてきて、福島の原発事故のような恐ろしいことは戦争以外に一度もなかった。政府は再稼働をどうして焦るのか。原発事故は人災であり、同じことを繰り返しては子どもや若い人たちがかわいそうだ」などと訴えたと新聞には書かれていた。

ツイッターでこれに反応していた書きこみを見た。
「経産省前テント広場に着いたら、大手メディアがたくさん集まっていて驚いた。有名人が来る時だけ取材しやがって、と大きい声で言ってやった。そして、寂聴さんがとどめの一言。「あなた達記者も、命をかけて報じなさい」と言ったと。

「有名人が来る時だけ取材しやがって」。その傾向は確かにありなんですよね。

数日前、元部下のテレビ屋と飲みました。メディアの在り方めぐって様々な話を。彼曰く。「結局、なんだかんだ言ってもテレビは変わってないんですよね。変わると思ったけど」。結果、痛飲となった次第。

温度差とか風化とか忘れないとか。寄り添っているとか。たしかに、被災地に向けての様々なメディアの姿勢が見られます。どっかでは何かが伝えられています。
「福島の現実」を職業意識としても知った人は、取材した人は、原発というものに対して限りなく懐疑的になるはずだと思うのです。それは、放射線による直接的被害のことでは無く、放射脳と揶揄される「人」のことでも。

事故から一年以上が経ったいま、マスコミの話題は、何か異変がない限り、福島原子力発電所の現状がどうなっているかではなく、人々の生活や人間模様に関心が移ってきている。そしてそれは、どこかで涙を生ませる感動の話であったり、こんなことは許されないという悲劇の話に集約化されてきているように思えてならない。そして、展望の見えない“希望”の話・・・。
取材対象になる被災地も、どこかで“ブランド化”されているような。同じ顔ぶれの登場だったり。メディアの目線が届かない、触手が湧かない非ブランドもあるという現実。

きのう「ジャーナリスト」の江川紹子さんが郡山に来ていた。らしい。らしいと書いたのはボクが実際に見たわけではないから。でも写真もあったし。上杉に反論するための現場入りかとも。
「案内人」のような人もいた。郡山在住者らしい。応酬される、往復されるツイートの数々。江川紹子も“ブランド化”されているような気さえしてくる。本人にその気は全く無いのだろうが。

江川さんも書いていたけど、郡山の子供、まだ、ガラスバッジ付けているんだろうか。止めたという話もあったけど。亭主に周りにはぶら下げている子はみかけないんだけど。

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