2012年5月31日木曜日

重みを失った言葉たち

新約聖書、ヨハネの福音書。
「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によって成った」。
これの解釈はともかく・・・。

最近、いや、もっと以前からか。政治家か始め、枢要な立場にいる人たちの発する言葉の数々。それは「神」とは程遠い、軽い、意味を持たないようなものになってしまっているようで。日本語が「軽く」なってきてしまっているようで。

言葉を支えとして生きている。たった一言で鼓舞され、ふるまいを決した人たちもいるというのに。

「反省しています」「責任を感じています」。なんと空虚に響く言葉か。
反省と言う言葉の意味は? 省の字を使った三省堂の辞書にも書いてあるはず。
「自分のしてきた言動を省みて、その可否を改めて考えること。自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること」。

責任。法的責任と道義的責任。その他もろもろのことに責任と言う言葉が使われるが、責めを負うという意味では、それこそ政治家はその職を辞するということになるのがいわば“常識”。

にも関わらず、「反省」「責任」という言葉を発することで免罪符を受けたような気になっている人がほとんどのようで。

あまりにも漠然とした「概念」のように、これらの言葉が使われるから、その内容や意味するところがわからない。

大飯原発再稼働に向けての動き急。野田曰く。「自分の責任で決める」。その責任とはなんぞや・・と。

最近の野田語録。「乾坤一擲」「一期一会」。この四文字熟語の意味や成り立ち御存知か。少なくとも一期一会は、一期に一度の会のようにーー茶道の心得。もう二度と会うこともないだろうから・・・って“覚悟”の言葉。茶の道の真髄、心得。

小沢との会談。この二つの言葉は意味をなしていなかった。
松下政経塾では何を学んだのかな。

あげく、小沢との再会談について「反芻しながら考えます」。嗤ったね。
「どじょうが牛に変身かい」って。

大飯原発再稼働。「暫定的」って言葉で糊塗してる。暫定の期間は明らかになっていない。
福島県民は「暫定基準値」なるものの散々泣かされた。

暫定が恒久になるってことだってありうる。

言葉で逃げてる橋下、細野・・・と。

今の世の風潮。「言葉の貧困さ」。彼らの言葉では、万物は成らない。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...