亭主謹白。
当「からから亭日乗」では再三書いてきました。常連さんはお読みいただいたと思いますが。
3・11の後、しばらくして書きました。「この国は終わった」という趣旨を。総理が菅直人、福島県知事が佐藤雄平だったことで。その様子をつぶさに見聞きしていて。
さらに「リーダー論」の中でも書きました。危機に際してのリーダーのあるべき姿を。
今更、何回も書くのも癪ですが、国家が危機に瀕した時に、どういうリーダーがいたかによってその国の命運が決まります。歴史も証明しています。
例えば一例。江戸城の無血開城。勝海舟と西郷隆盛がいなければ結果は違っていたでしょう。
国だけじゃない。県と言えば昔で言えば一つの藩。知事は一国一城の主。どいいう主君がいたかによって、どういう家老がいたかによってその藩の命運が決まる。民草の営みも変わる。
福島県民の二つの不幸。総理が菅であったこと。知事が佐藤雄平であったこと。
「雄平をリコールすっぺ」。書きました、県議にも言いました。あと二年半は待ってられないぞいと。動けと言いましたが。
昨日の国会事故調の話で、菅のことは言ったけど、雄平に関しては、この場では書きませんでした。
あらためてはっきり申し上げます。「雄平、お前は最低だよ」と。反省の言葉ほど、こんなに安っぽくつかわれるなんて。何の意味も持たない反省の弁。
「知らない、聞いてない、国が悪い、東電が悪い」。責任転嫁でのその場しのぎ。きのう午後の福島市での事故調参考人。事あるごとに後ろを振り向き、役人に助言求める無様さ。
“中継”見てて悲しくなりましたね。いや、やっぱりってとこか。期待通りってとこか。
事故調の委員の“追及”もゆるい。・・・が、しかし、あの映像を全国には見せられないかも。「あんな人が知事だったの」。福島県民の見識が疑われる。選んでしまったんだから。
「雄平リコール」の声があがっているようです。多少はね。でも、仮にリコール成立して、その代りは・・・いないんです。今の本県には。
雄平の対比として、佐藤栄佐久前知事がもてはやされているようです。たしかに彼はプルサーマルには反対だった。経産省とずいぶんやりあっていた。それは知っています。原子力についてもそれなりに知悉してた。それも知っています。
栄佐久返り咲きなんて言い出す人もいる始末。でも、それはちとご勘弁。県選出の国会議員で雄平の後釜狙っている人もいると聞く。いないね。ろくな国会議員。
「輸入」でもいい。誰かいないかな。本当にそう思うのです。
たしかに雄平は立派だった。それは渡部恒三の秘書として。カネ集め、票集めにはその才を遺憾なく発揮した。地元への利益誘導にも活躍した。しかし、所詮、秘書は秘書。その“分”をわきまえていなかったということか。
昨日の福島での事故調。全国紙はどんな扱いでつたえたのでしょうか。地元紙でも呆れているようです。
はてさて、なじょすっぺか。書きたくないこと書いてしまった。全国に“恥”を広めるみたいで。
県民は誰を担げばいいんだい。誰を神輿にすえればいいんだい。
結論ないままの「敬白」とさせていただきたく。
2012年5月30日水曜日
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