2012年5月17日木曜日

「エコ」と「エゴ」

「エコ」とはエコロジーの和製英語であり、生態学や環境に関わる事柄と理解している。和製英語や略語がお好きな日本人。省エネは文字通り省エネルギーだが、ほとんど「省エネ」。


今朝もついつい見てしまうツイッター。そこにRTも含めて、というよりかRTを趣味としかしていないような物を含めて、原発問題をめぐる言い争いを見ていてすっかり不機嫌になっていた時・・・。

事務所の前の道路にぞろぞろと人影。ドアを開けてみると、あの、なんていうんですか、腰パンって言うんですか。今の若い子特有の格好した制服の子たちが数人行く。手にはビニール袋とトングを持って。
そう、道路や軒先にあるゴミを拾っている子供たち。男女。先生が“引率”して。

思わず追いかけて聞いてみる。君たち、どこの学校って。近くのビルにある“専門学校”の生徒。「はい、郡山学院高等専修学校の生徒です」。専門学校じゃない、高等学校なんだ。
不登校児を受け入れたり、社会教育の実践を身につけさせ、卒業後は普通の高等学校の生徒と同じような“資格”が与えられるという。

「ゴミ拾いありがとうね、いつもやっているの」。「はい、ボランティア学習の一環でやっています」。「御苦労さま、ほんとありがとうね」。

ねぎらいと励ましの言葉をかけようとするけど、ちょっとジ~ンときちゃってる亭主。「ありがとうございます!」。大きな声で答えてくれる高校生。

大人が捨てた煙草の吸殻やゴミを高校生が拾っていく。地域の環境美化のために。あちこちで実践されている教育の一環かもしれませんが、やはり目の当たりにすると感激なのです。

ゴミを捨てる人、それを拾う人・・・。

先日見たテレビでのインタビュー。電力不足が言われる関電管内。近隣の電力会社への融通問題。名古屋の市民が言っていました。なんで大阪の電力不足のために中部電力の電気を融通しなければならないんだ。納得出来ない。なんで節電しなければならないんだ」と。

これって関電の不足問題の本質は別にして、やはり「エゴ」じゃないんでしょうか。エゴイズムなんじゃないでしょうか。人間が持っている本質的な。自分勝手、わがまま、利己的。

人間のエゴイズム、地域社会のエゴイズム。放射能問題は当然として、瓦礫処理問題でもいやというほど感じさせられました。

エコとう字に濁点がつくだけで、こんなに言葉の意味や内容が変わる。

道を進んでいく高校生の一団を見送りながら、もうちょっとこの子たちと話をしてみたいなという気になって。たまたま見かけた町の光景に感傷的になってしまってでしょうか。

後姿を見ていても嫌々やっているという雰囲気はなかった。むしろ使命感みたいなものも見てとれ。子供の背中に教えられたのです。

はい、高校生たちはマスクはしていません。空き地の草むらの中にも入って行きます。

あ、また思い出してしまった。わけのわからない反原発集会に東京から来て、プラプラとデモをしながら、煙草の吸殻を道に投げ捨てて平然としていた人たちの姿を。

大人が作った核のゴミを子供たちに拾わせる、背負わせる。そんな構図と・・・。どっか重なるような光景。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...