「沖縄」と「福島」。その余りにも同似性のあることを以前にも書いた。アーカウブを探すのは面倒だけど。
同似性。それは“差別”とう言葉で繋がっている。言わずと知れた基地と原発事故。
きのうは沖縄の本土復帰40年の記念式典。基地問題は何も解決していない。
今朝の新聞に載っていた大田昌秀元知事の言葉は重い。「沖縄の実情はお祝い出来るような状況ではない。復帰とは何だったのか。自らを省みる日にしたい」。彼は招待された式典を欠席した。
「沖縄は絶えず、政治的取引の具にされてきた。人間扱いされてこなかった」。
「沖縄の問題を何とかしなければ、という政治家の熱意はすっかり失われてしまった」。
「本土と沖縄の心理的な溝は、ますます深まっている様子がはっきり見えてくる」。
「“痛みを体験しないとわからないのなら本土に基地を移して”という考えが県民の間に広がっている」と語っていた。
言葉を多少置き換えれば、差別という言葉で結べば、沖縄と福島はあまりにもその状況が、環境が合致する。
政治的イデオロギーで基地反対の旗を振っていた勢力は、原発反対にシフトした。それは単なる主張であり、“苦悩”を受け入れるという、“苦悩”を共通、共有しようという「覚悟」には至っていない。
原発再稼働という“国家目標”に向かい始めた昨今。すでにして福島は、政治的には厄介なモノとさえ位置づけられているかのような。
いわえれもない、愚にもつかない「放射能汚染論議」だけは、ますます、かまびすしい。「フクシマ」という名のもとに、差別的言辞や差別を助長する言辞も、各界各層で後を絶たない。
「痛みの体験」。それが“本土”にどう伝わっているのだろうか。
40年後、国は「福島」をどう総括し、どう位置付けるのだろうか。
福島県から沖縄に避難した人たちもかなり居ると聞く。現地の人たちの“厚遇”を受けていると聞く。
避難の是非は問わない。ただ一点、その福島県民として、沖縄の基地問題をどう思っているのか、どう考えていくのか。それだけは聞きたい気がする。
そして、もし、沖縄の米軍基地を福島県に“移転”という話が持ち上がったら福島県民はどう反応するのだろう。かつて、首都機能“移転”話で県知事はじめ県議も県の役人も、そして、県民も「盛り上がっていた」時代があった。わずか10年くらい前の事・・・。
2012年5月16日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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