2012年5月23日水曜日

「瓦礫処理」とマスコミ報道

宮城・岩手の震災瓦礫の処理問題。石巻市の瓦礫を北九州市が受け入れ「処分」するとしたら、なんとまたもや猛反対。反対運動。

きのうのツィッター。今はもう滅多にツイッターのTLは見ないことにしているんですが。なぜなら原発問題をめぐり、リツイートされまくるうす汚い言辞や不毛の論争みていると吐き気さえ催してくるから。

社会の断面が垣間見えるという意味では、“貴重“な情報ツールではあるんですが。
もちろん中には「まとも」な人も大勢います。ジャーナリストでも。そして友人知人のつぶやきは見てみたいし。

そのツイッター。きのうの。「北九州市に集まれ!!」というのから始まって、「警官隊が善良な市民にけがを負わせた」「ただいま強制排除中、逮捕者も」「市役所に抗議行動を!!」などなどと。そのリツイートたるや相当の数でした。

どう見ても「専門の市民運動家」らしき団体が発信しているような気配。そして必ず出てくる常套句。「子供たちを被曝から守ろう」。

この専門家集団たる人たちのやっていること考えていること理解不能。怒りだけ覚える。

沖縄で反基地闘争をやって、でも本土に基地移転とは絶対言わない。もし、移転があったらそこで抗議行動を起こすこと必定なり。基地は沖縄に閉じ込める。

福島の原発周辺の瓦礫を持ちこむ、処理を依頼するってわけじゃない。岩手や宮城ですよ。それも検査して上でなのに。
放射能も瓦礫も東北に閉じ込める。被災地に閉じ込める。自分たちは「安全」だと思われる環境に身を置いて・・・。

まさに東北処分だと。何回も書いてきたけど。

なんでかな~~。無知な人ばかりが騒いでいるわけではないのに。「市民運動」なるものに生きがいを感じている人たち。震災や原発事故で、そのターゲットが出来たのかとも。それまでの溜まりに溜まった「社会」への不満、閉塞感を爆発させる事例が出来たと。

これを報じるメディア。全国紙。北九州市の住民という人たちの名前を挙げて「子供たち」を前面に出して、その不安を書きまくる。

かたや地元紙。「その運動の中に地元の人間がどれだけいるのか。処理場の周りに学校や幼稚園があるわけじゃない」と。

数日前、中央紙が伝えた処分必要な瓦礫量。当初の予想より三分の一だったという環境省の発表記事。書き方、読み方によるけれど、減ったのだから県内で処理しろって議論の元にもなる。想定を下回ったといってもまだまだ大量にあるはずなのに。
さらには瓦礫処理の費用にまで言及し、運搬費考えたら現地でという論調も。

昨夜の報道ステーション。この瓦礫搬入の問題をとりあげていた。NHKはネグッていたみたいだったけど。

古館曰く。「瓦礫処理には全国の協力が必要です。私はそう思います。しかし・・瓦礫を搬入された自治体の反対の声もわかります。放射線量は無いに等しい微量だと言っても、それを焼却したら凝縮されて大量の線量となる。反対するお母さんたちの気持ちもわかります。しかも、瓦礫処理をめぐって“黒いカネ”の動きも垣間見える。この三点からこの問題を考えてみます」というような前振り。結果VTRでは反対運動だけ放映。カネの問題言及無し。そしてまとめ。「要は国がはっきりさせないからいけないのだ。専門家の意見も分かれている。焼却した結果の安全性についての数値を出さないからいけないのだ」といった具合。

おお、古館よ。お前、やはり「言葉の“詐欺師”だな」って。去年の年末特番で、宮古かどっかの駅舎の中で「被災地に寄り添っていきます」って涙ながらに断言してたじゃないのか。二枚舌だったのかい。

どっかからの「抗議」がこわいのかい。どっちつかずの何でも国が悪いっていう逃げ口上。・・・としか聞こえない。

反原発運動。否定しません。当然です。しかし、その思想やイデオロギーと瓦礫処理問題とは全く違う。
あらためて思う。背骨の無いおかしな国になっているんだなと。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...