2012年5月4日金曜日

憲法に書かれている自由のこと

きのうは憲法記念日。どうもメディアの憲法に関する記事が小さくなったし、少なくなったし、憲法論議に臆病になっているような気がする。

憲法と言えば、きのうもちょっと触れたけど、第9条に絞ったような話が多く。

「3・11と憲法」。そんな話が欲しかった。あったみたいだけど消化不良だったし。

憲法には国民の権利として、いろいろな自由が保障されている。例えば憲法22条。「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。
少なくとも、被災地では居住、移転の自由がはなはだしく損なわれている。憲法は罰則規定では無い。権利の保障であるから、「損なわれている」と言っても。どこの誰が憲法違反だという論議にはしにくい。しかし、権利が侵害されていることは事実だ。

たしか、去年の今頃のこのブログにも書いたと思う。
第二十五条。「 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。
国民の生存権に関する規定である。だから去年書いた。国は憲法違反を犯していると。しかし、それを裁判所は裁けない。
たまたま昨日は国連が定めた「世界報道の自由の日」だったという。

憲法21条。「集会・結社及び言論・出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する」と。

これゆえに、戦後、言論の自由という言葉がこの国を「支配」した。そしてかなりの人がこの「自由」の意味を、その成り立ちの意味を“誤解”した。曲解した。これが援用されて、「報道の自由」という“思想”が蔓延った。

憲法が制定されてから65年。少なくとも今、3・11以降、求められているのは報道の自由、履き違った自由ではない。報道の「質」なのだと。

報道の自由と言う名の下、不確定な情報やデマも思いのままに世の中に流されていく。国民すべてが「判断力」を有しているわけでなない。憲法では「教育」についても保障しているが、一定の教育水準を有しているとしても、判断力にが限界があるし、情報弱者という人達も多数存在する。

質の高い情報とは・・・・。

情報発信者が取材対象について、きちんとした知識を持ち、取材対象から上がってきた材料を分析し、事実をえぐりだす能力をもってはじめて可能になることであり、それに対しては憲法が「自由」を保障しているものだと理解する。

取材対象者の言に対する分析が欠けているものが多い。情緒的、近視眼的報道が多い。そこにもってきての「ネット」。ネットメディアによる「発信」は、憲法に言う「その他一切の表現の自由」に該当するのだろうか。

憲法が保障した「言論の自由」が、さまざまな“害毒”を吐き出し、それが、憲法で保障されている国民の生存権を脅かしているという“矛盾”。

とりとめもなく、そんなことを考えてしまった五月四日・・・。その成り立ちが意味不明な「みどりの日」。

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