2012年5月21日月曜日

「目線」あれこれ

きょうは金環日食。ということで、朝から近所の子供たちとそれ用のグラス持って空を見上げて。はい、目線は常に東の空に向けられており。曇り空にもかかわらず。しかし、結果は残念としか。雲間からちょっとだけ。一瞬。グラスを使うまでも無く・・・。
空を見上げる子供たちの目線は悔しそうでした。日本中の多くの人の目線は東の空にくぎ付けになっていたでしょう。

マスコミ人、メディア人。最近はとにかくいろいろな発信者が居てその範疇は難しいのですが、およそ物を伝えようとする人たちの目線、視線。

「時には鳥の目線になって、全体像を俯瞰してみなければならない。時には蟻の目線になって、下から物をみなければならない」。そう言ってきました。記者にもカメラマンにも。

よく言われる上から目線って言葉。上から、上の立場に居る人が偉そうにものを言うことへの反発。

今、政府や役所の発する言葉や見方には「上から目線」がやはり多いと。
新聞記事にも時々見られる上から目線。古人曰くなのであります。
「葦の髄から天井を覗く」と。
ヨシの中心の細い穴を通して天を見ても、天のごく一部しか見えないように、自分の狭い見識で物事を判断しようとするのよくないことだと言う例え。

どうもこの「葦の髄目線」がまかり通っているようで。

物事をどこから見るか、どう捉えるか。裏からみるか、表から見るか。それによって、書かれ方や伝わり方が違ってくる。

「ふくしま」を見る目線。よく言われるのが「東京目線」と「地元目線」という言葉。

一昨日の土曜日。郡山でも小学校の運動会が盛んに行われました。時間短縮して。もちろん除染された校庭での運動会。玉入れ競争では子供たちがマスクを着けました。
土ぼこりの舞う玉入れ競争では、一応内部被ばくを防ぐためにという事でです。

これが記事になる。写真も付く。写真はマスクをしている子供の画。そして見出し。「マスクをしての運動会」となる。東京目線なるもので書かれ、東京目線で読まれると、福島の子供たちはマスクをしてまで運動会をやっている、いや、やらされているという風になる。運動会全体が「マスク」とばかりに。
実態は玉入れ競争の時だけなんですが。「玉入れ競争だけはマスクして。子供たちが待ちに待った運動会」って見出しや記事にするべき。それが地元目線かとも。

悪意はもちろん無いにしても、「葦の髄目線」に陥りがちな報道。

葦。ヨシとも読むし、アシとも読む。「人間は一本の葦(アシ)に過ぎない。しかし、それは考える葦である」。有名なパスカルのことば。中学校でみなさん習ったはず。そしてその言葉に感銘を受けたはず。

ヨシ目線で無く、アシ目線でと申し上げたい。

「これを、どう書けば、こうなる。こう書けばどうなる。こうなるかも」。ちょっと考えてみればわかることだと思うのですが。

金環日食見逃した子供たちは早速バスケットボール遊びに熱中。聞けば運動会の代休できょうは学校休みとか。出勤するするお父さん。「いいな、子供たちは・・・」。大人目線で流し眼でしたっけ。

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