2014年5月14日水曜日

「福島」は食い物にされている。しかも“美味しい”ネタとして

昨夜は「塾」だった。民主主義とは何か、がテーマ。いろんな意見を交わした。
民主主義との関連で、「自由」という言葉が出た。
話のはずみで「美味しんぼ」のことになった。瞬時。
「あれは表現の自由にも、言論の自由にも該当しません。自由のはき違いです」。
切って捨てるように塾生の一人が言った。やがて母親になるであろう若い女性が。

きょう、いつもの病院。月に一度の。COPD患者としての定期的顔見せ。
担当の病院長。呼吸器内科の権威。

なにかのはずみで“美味しんぼ”のことになり。
「鼻血を出した患者って来ましたか?」。
「来るわけないでしょ」。

何ミリシーベルトを浴びて急性被ばくしないかぎりそんな症状は出ない。などと数字を挙げた医学的話が始まり・・・。仮に放射線由来の低線量被ばくで鼻の粘膜が傷つくことがあったとしても、あったとしてもですよ。それはすぐ治ります。大の大人が毎日鼻血ダラダラ。有り得ませんとも。

その医者、東京の虎の門病院でも週に2回担当している。先週は講演を頼まれたという。やはりこのことが話題にされたとか。それなりの人、公職にある人、世間に名の知れた人たちの集まりだったが。

「やはり東京の人たちが福島をみている感覚は完全にずれてますよ。風評に乗っているし、知識がなさすぎる」と。眼は怒りを含んでいた。


漫画「美味しんぼ」の話は先月の30日に書いた。その後、話は大きくなり、なにやら格好の話題になり、いわゆるマスコミ、新聞・テレビでも取り上げられ、ネットではまだまだ尾を引いている。

「あんなばかばかしい話、放っていけばいい」。と思っていたのだが。なにやら各界、各層でも話題になり、“くだらない被ばく話“が再燃し、福島県も反論、政府も参戦。「なんでこうなるんだ」っての感。

漫画の中では「福島県には鼻血を出している大人や子どもが沢山いる。福島県には人が住んではいけない」と書かれている。

福島県の広さってご存知なのだろうか。

郡山に住む亭主の周りでは、鼻血を出した子供は見たことが無い。そんな話も聞いたことはない。
被ばくによって鼻血が出るっていうのは4年前に「有り得る症状」として伝えられていたが。

漫画であろうとなんであろうと、今や「福島」は完全にネタにされている。しかも、業界でいう「美味しいネタ」に。

識者と称される人たち、双葉町のドキュメンタリー映画を作った監督までも。漫画の作者や井戸川元町長だけではないんだ。
「ふくしま」に対して手を打たない県や国を批判し、あらためて問題提起をしたもので、評価に値すると。

視点がずれているんだな。

狙いがどうであろうと、それは東京人が見た感覚。福島県人、少なくとも双葉町民はかっこうの餌にされているんだなと。

ネットを見ていて驚いた。2011年の6月ごろの東京新聞。ま、ご丁寧に切り抜きとっておかれているもんだと思うけど。
「郡山でも鼻血の子供が」という記事。親の名前がかいてあるが実在の人かどうか。

そして2012年の中日新聞。同じ記事が載っている。寸分たがわぬ記事。

なんか「郡山の線量めぐる上杉隆報道」を思わせるような。

漫画家は2年間福島で、原発現場で取材した結果だという。取材ってどういう取材なのだろう。

「フタバから遠く離れて」。騎西高校での避難生活描いた映画。長期間わたって取材した映画。そこでは鼻血の血の字も言葉も出てこない。町民からも町長からも。

あげくもっと驚いたこと。大阪での瓦礫焼却処理で鼻血の話。何百人だって。
大阪で処理されたのは福島の瓦礫では無い。宮城の瓦礫。
だから言う。ばかばかしいにも程があるって。

マスコミの取材って、おおむね事前の「意図」がある。意図に沿わないものは対象から外される。意図に沿った“発言”だけが公にされる。事実だとして。

福島の人間にどういう影響を与えようが、傷つけようが、それは無関係なこと。
おどろどろしく福島を語ることが本意。それが彼らの“正義感”。

話題になれば有名になれる。テレビへの出演も増える。雑誌は売り上げが伸びる。

所詮、そんな功名心とか欲望とか営利とか。それの対象にされてしまっている福島。

無視するのが一番賢明なんだけどな。

漫画騒ぎに便乗するような新聞、テレビ。それらの報道は皆、「大局的見地」からの優等生的報道。朝日新聞のきょうの社説に至ってはまさに噴飯もの。ああでもないこうでもない、要するに福島に寄り添わなければ。そんな社説の定番。

漫画の「意図」に飛び乗った県内の大学準教授。皆、名を上げたいのかな。

無知、無定見、無信条の輩が福島を語るという、今、この国に蔓延しているような“文化”。

やはりーーというべきか。飯坂の旅館、団体客予約キャンセルの報道。その団体側も漫画に乗せられた。メディアリテラシーの欠如だ。


あのマンガの巧妙な罠。鼻血も全身倦怠も、原発事故由来とは言っていないこと。直接的には。「読者の読み方次第ですよ」って手口。

不安感のある人たちは、すぐ、自分の頭の中で、被ばくと結び付けてしまうということ。

福島を餌に“欲望”を満足させることはやめてよ。

漫画家も出版社も、井戸川も、あまりにも欠如している「想像力」。描けば、喋れば、どんな影響が出るか。意に介していない。自己完結の世界だな。

五月晴れの中、ここ郡山では老若男女。普通の暮らしをしていますよ。きょうも。

何時までも福島は2011年3月以降のまま語られるんだな・・・。風評か・・・。

心ある福島県人よ。風に向かって立つライオンであれ!

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