2014年5月20日火曜日

やっと来た、除染のための線量測定

市役所主催の除染説明会があってから3か月以上も経って。
除染作業をする前の線量測定の人が来た。
二人。言ってみれば“重装備”。
「これから暑くなっても長袖とヘルメットは着用なんですよ」。作業を邪魔しないようにしての会話。

とにかく、我が家の周りの町内ではやっと来たんです。除染の具体的動きが。

100メートル離れた同じ町内会では、もう除染は終わっている。
「除染は字単位でやってます」。存在するんだな字という字が市役所には。

除染が終わった家。
「なんか枯山水って光景だな」と旦那はぼやいていた。

「うちは八百屋に買いに行ったことがなかったんだよ。敷地で大体の野菜は作っていたから。あれ以来、野菜は買いにいくものになった。あはは、家計圧迫だ。それも補償してもらいたいくらいだね」とも。

約1時間の測定。車は出したり入れたり。
「1メートルの線量は0,1μ以下ですが、芝生のとこは高いですね。0,7μ以上ですね」。

植え込み除いてほったらかしだった庭。どうせ穿り返されるんだからと。

芝生の脇ではトマトやフキノトウ、みょうがを植えていた。ほんのちょこっとだけど。去年も今年も食べましたよ。それを。なんたって身土不二を良かれとしている身。

“そこの住人に合ったものが出来てくる”。自然界の“掟”を聞いていたし。

旬の味は美味かった。美味しんぼだった。旬の野菜はエネルギーをくれる。

除染業者さんがいつくるのか。厄介だぜ。どうやってもらうか。どこまで掘ってもらうか。芝生の脇には「思い出の樹」も、旅立った犬の思い出の樹も何本もあるし。

それにしても終わらない「美味しんぼ騒動」。特にテレビは大騒ぎの格好のネタ。
報じることに何の意義やある。大手新聞社も参戦。
理屈っぽく書き始める。
そんなに「価値」があるのかい。あのマンガは。マスコミが付加価値つけている。雑誌完売とか。やはり儲かっている。美味しい商売だ。

漫画喫茶が流行り、ラーメン屋さんにまで漫画が積まれており、長文の小説は読まず、漫画で事足れりとなり。短文の絵解きの世界が歓迎され、やがて140文字が席巻し、長文は読まれなくなった。

思考が短絡になった今の時代。

2011年から2012年。双葉郡8町村の首長会議がしばしば行われていた。
そこで鼻血にお話が出たことはない。
川内村の遠藤村長も「聞いたことも見たこともない」とはっきり否定した回答を寄せている。

取材と言うのは「裏を取る」行為だ。誰かが言ったからといって、それを鵜呑みにして書いているのは取材とは言わない。単なる伝言板だ。

井戸川さん、ちょっと勘違いしてしまったんじゃないかな。受けを狙って。
反原発団体に悲劇の首長として祭り上げられ、国会議員選挙にまで担がれて。

もう引くに引けない。ピエロを演じるしかないような気がする。気の毒だ。


「こんな騒ぎになって、住めないなんてばかり言われて、秋田に行っている妹たちは帰ってこないわ」と近所の蕎麦屋のお姉ちゃんが嘆く。

風評被害。福島県人はそれを言うべきではないとあの年に書いた。言えば、嘆けば、「被害者いじめ」は加速する。過激になる。正義の名のもとにそれに愉悦を感じる人は多いのだから。

漫画誌に載った弁解と識者なる人の弁。なんであの人が識者なのって人も散見。
それを識者とすること自体、あの雑誌の価値がわかる。お里が知れるっていうこと。

この件、川内村の遠藤村長の文が「納得できる結論」だ。肝心な部分をあえて書いておく。

“「非難する・避難しない」。「戻る・戻らない」の対立構図を作らないこと。目に見えない放射線は、仲が良かった隣近所を仲違いさせ、親子・夫婦関係までギクシャクさせる。コミュニティーまで崩壊させる。被災者同士がそれぞれ批判しあう姿に心が痛む。県外に避難した住民が、「福島は危ないから避難しろ」という。戻った住民が、「故郷を捨てるのか」と問う。
善意の押し付けや過激な干渉は出来る限り避けてほしい。そこで生活している多くの住民がいること、避難を余儀なくされている村民がいることを忘れないでほしい。
健康被害についてはあくまでも科学的・医学的検証に基づいて語ってほしい。原発事故直後、政府や県、東電からの情報が信頼出来ない中で、「危ない、危険、逃げろ、健康被害」という刺激的な情報の方に飛びついた。復興は信頼関係の上で成り立つもの。
原発事故はお金の問題も絡んで人の心をズタズタにした。だから疲れてしまう。戻ってきても毎日が不安だ、という人は避難したほうがいいと思う。避難したけれども、親子や家族がバラバラ、両親が体調を崩して心配、という人は戻ってきたほうがいいと思う。避難している人、戻ってきている人、避難所を往ったり来たりしている人も、それぞれの判断を尊重して支援していくつもりだ“

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