2014年5月23日金曜日

日本人よどこへ行く~“真実”~

「真実一路」という小説があった。山本有三の小説。多感な中学生はそれを読みふけった。

冒頭だったか。北原白秋の「巡礼」という詩が使われていた。

真実諦めただ一人 真実一路の旅をゆく。
真実一路の旅なれど、真実、鈴ふり思い出す。

言葉に惹かれた。しかし、それをどう理解すればいいのか。「師」が欲しかった。夏目漱石の「こころ」ではないが、「先生」が欲しかった。

俺が今生きているのは真実だ。しかし、その生きているという真実をどう捉えればいいのか。いや、生きているという真実の意味は・・・。

どうも真実と言う言葉を少年は“哲学”として考えようとしていたみたいだ。
なんの答えも見いだせないまま、「真実」という言葉にはこだわり続けてきたみたいだ。

「真実は一つだ」。そんな言葉もよく使われていた。

ちなみに辞書を引く。広辞苑。真実―うそいつわりでない、本当のこと。まこと。とある。
[仏]仮でないこと。究極のもの。絶対の真理。とある。


「3・11」後、福島を「真実」と言う言葉が埋め尽くした。「福島の真実」「フクシマの真実」。本でも漫画でもブログでも。

「フクシマの真実」(正確なブログ名は忘れた)という、どこの誰が書いているのかわからないブログ。真実なんて書かれていない。多言の引用、勝手な解釈、そして「嘘」。
不思議なことに、そういういわば“過激”なものがネットで伝播する。

前双葉町長が鼻血を出した。とまらなかった。と言う。言い続けている。それは彼にとって実際にあった“真実”なのかもしれない。しかし、それはたった一人の個人の“真実”だ。決して福島の真実ではない。

鼻血を出した子供に出会ったことはない。そういう「話」をした親にも会ったことがない。夜中に鼻がむずかゆく、指で掻いていて朝になったら指に鼻血がついていた。そんなドジな40数歳がいた。持病の花粉症。
これは僕が知っている中での鼻血に関する福島の真実。

福島県内には200万人近い人が住んでいる。面積は広大だ。そこで人々は普通に暮らしている。真面目に生活している人も、おバカな振る舞いをしている人も。
それも僕が知っている福島の真実。

何故、人は、多くの日本人は「真実」「真実」と言うのだろう。
それは体感していることなのか。この国に真実が無いということの裏返しとして。あまりに隠されていることが多いからなのか。

「真実欠乏症」とでも言おうか。

「いちえふ」という漫画がある。竜田一人という人が書いた1Fで働いた経験のある人。このペンネーム、「たつた・かずと」と読むらしいのだけど、「たったひとり」と読めたりもする。

その人は言う。1F構内で働いていたけど、1Fの事だけでも真実なんてわからないと。自分が見聞きしたこと以外はわからないと。まして「福島」と言われてもその真実なんてわからないと。

「あ、行って私が知った福島の真実は、食べ物が美味いってことですかね」。

真実・真理・事実・・・。“三段論法”で重なってくる、つながってくる言葉。

昔、有ったな。新聞週間の標語。「真実を知って知らせて明るい社会」っていうのが。

竜田一人さんも言っていた。東電が用意したバスに乗って構内を一回りして説明受けて、入れないところはたくさんあったのに「1Fの真実を見た」なんて記事を見るとおかしいんじゃないって思うと。

「真実一路の旅」は、気が付いたらもうとっくに終わっていた。というか、旅にすら出ていなかったこのヘタレ野郎。
日本人はどこに行く・・・真実を探し求める、探究し続けるのだろうか。

「吉田調書」と言うのが存在し、それを新聞記者に渡した“内部”の人間がいる。それは「真実」だ。

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